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中国の夢、それぞれの日々 - ふるまい よしこ 中国 風見鶏便り

ニューズウィーク日本版 2014年4月11日 20時8分

「息子がスマホにVPNを入れてくれたんですよ...」と友人がスマホを取り出しながら言った時、わたしは一瞬くらっときた。

 そうか、中国ではもう高校生でもVPN(仮想プライベートネットワーク)を使うようになっているのか......。この友人は夫婦ともに仕事の関係で外国とお付き合いのある家庭で、この息子さんも大学はそのままアメリカ留学を目指すという。外国のロックを聴くような子だから中国でブロックされているYouTubeなどもきっとVPNで観ているのだろう。

 その夜、知り合ってから20年になる文化コンテンツ製作会社社長に会った。彼は自分が副業で香港の老舗と提携して経営している火鍋屋で、わたしを2人の友人に引きあわせた。「昔、香港で広東語のわからないぼくと北京語の分からない香港人の間を、彼女が通訳してくれたんだ...」とわたしを指さしつつ、その2人を北京にある由緒あるスポーツ選手養成学校のコーチだと言った。

 なんでまた彼がそんな人たちと知り合いなのかよくわからないが、鍋を突きつつ、彼が1月にアメリカに行った話をし、そしてその帰りに日本に寄ってふぐ専門店で舌鼓を打った、渋谷をぶらついた、日本が大好きだなどという話をすると、見たところ何の変哲もない中年コーチ2人も「日本はいいところだよなー」と頷いていた。過去、試合で何度か日本に行ったことがあるそうで、そのうち1人は「女房も子供も日本が大好きで、よく行ってるよ」とつぶやいた。

 わたしの友人の中で「日本大好き!」とか日本語ができるという人はほんの一部だ。どちらかというと、「日本」と聞いて目を輝かせるタイプの中国人は昔から苦手だ。わたしは基本的に日本文化を中国人に伝えようという興味も意欲もほとんど持っていないので、逆に日本に興味や好感を持つ中国人にあれやこれや尋ねられるのがうっとおしいからだ。初対面で会話の緒をつかもうと一生懸命自分の知る日本の話題を振ってくる場合はともかくとして、わたしとしては話題がスムーズにもっと日常に近いものへと移るのが望ましい。

 この製作会社社長の友人だって知り合った頃は日本に関心を持っていたが、同じくらいアメリカにもオーストラリアにも職業的、そして個人的な興味を抱いていた。コーチ2人も別に示し合わせて日本の話をするためにやってきたわけではなくて、ふらりと火鍋店にやってきて、そこで夕食を取る約束をしていた製作会社社長とわたしに出くわしただけだった。



 なぜこの二つのケースをここで並べたかというと、一口に中国人と言ってもいろんな人がいる、ということだ。彼らは日頃自身の存在や関心を声高に叫んだり、仲間内で集まってシュプレヒコールを上げたりするわけではない。そしてたとえば日本についても、日頃は選手養成所に泊まり込みで年がら年中、準(及び準々)ナショナルチーム選手の訓練に明け暮れている中年コーチが、鍋の向こうで「いいとこだ」なんてふとつぶやくなんて、その場を経験したことのない日本人には多分想像もつかないだろう。

 人間というのは、いろいろな要素が組み合わさってできている。中国にも別に日本のアニメの話題に集まる若者や、日本語教室や日本の関係機関に足繁く出入りするわけじゃない人でも日本に好感や良いイメージを持っている人はたくさんいる。中国発の日本メディアの記事を読んでいると、日本での反中感情の高まりに抵抗しようと一生懸命に中国で日本に好感を寄せる人を掘り起こし、その声を日本に伝えようとしているが、「日本」をキーワードに集まってくる人ばかりをどんなに追いかけても彼らの存在は伝えられても、水面に現れない現実は見えてこない。

 そんな彼らは声高には叫ばないと書いたが、中国国内で起こっている事象についても彼らは知っていても同じように叫ばない。たとえば、この二つのケースでわたしはこんな話をした。

 3月8日にマレーシアのクアラルンプールを飛び立って以来、行方不明になっているマレーシア航空機事件関連の話題だった。乗客の7割近くが中国人だったこの飛行機の行方を世界中の関係者が探しまわり、情報は二転三転した後、24日夜になってとうとうマレーシアのナジブ首相が「インド洋沖に墜落したと分析された。生還者はない」と発表、長い間一縷の望みを持ち続けてきた家族たちは悲嘆のどん底に落とされた。マレーシア側は航空会社のみならず、政府や軍がこれまで散々捜索関係者を混乱させる発言をしてきており、家族の不満は爆発した。

 翌25日午後、悲嘆と怒りに包まれた家族たちが北京のマレーシア大使館に抗議に行くというニュースが伝わってきた。現場にいた西洋メディア記者がツイッターで、「家族は(滞在先の)リドホテルから大型バスに乗り込み大使館に向かった」とつぶやいていた。これを読んでわたしの中で何かがひっかかった。だが、それが「何」なのか、その時はよくわからなかった。たったこれだけのツイートの何が問題なんだろう?

 マレーシア大使館前には多くの警官とメディアが詰めかけていたようだ。だが、警官隊はやってきた家族たちからメディアを引き離し、警官たちが作った壁の外へとメディアを追い出した。家族たちは激昂したまま、大使館に向かって大きな声を上げる。中から書記官のような若い男性が出てきて、家族代表からの抗議書を受け取ったという。

 これら現場の様子を、すべて複数の西洋メディア記者たちの現場ツイートを眺めて理解した。そして「抗議を始めてから2時間、また大型バスがやってきて家族たちはそれに乗ってリドホテルに帰っていった」......。なんとも統制がとれている。ん? そういえば、誰がその「大型バス」を手配したのだろう? ずっと待ち続けていた情報に翻弄された挙句、「生還者はいない」との発表に奈落の底に突き落とされ、情緒的に不安定になっていた家族たちが翌日冷静になり、団体を組んでバスを手配したとでも? そして誰がバス代を払うのだろう?

 そう、最初のツイートを見てひっかかっていた「何か」はそれだった。誰がそんな局面でわざわざそんな手配をすることができたのだろう?



 その夜、わたしは偶然、複数のメディア関係者と夕食の約束をしており、その場に突然の大使館前の抗議活動を取材していて遅れたジャーナリストがやってきた。彼女と同業者たちは自然にマレーシア航空機事件の話題になる。そして、そのうちの一人が、「そういえば、なんか不思議な人が家族に紛れている」と言い、他の2人もぱっと顔を挙げて、「やっぱりそう?」「変だと思ってたのよね」と言った。

 事故発生からその時まで3週間が経っていた。情報は錯綜し、なんの具体的な証拠も、片鱗も見つからない。滞在先のホテルで肩を寄せあって一縷の望みをつないでいた家族たちの情緒も波のようにアップダウンを繰り返しているのをジャーナリストは目にしていた。その中でマレーシア航空や政府のみならず、中国政府の支援を求める人たちから中国当局への不満が頭をもたげてくると、ある男性が「政府だって一生懸命やっている」「今はぼくら中国人が分裂する時じゃない」「ぼくらは団結しなければ」と必ず声をかけるのを、複数のジャーナリストが目にしていた。その人物が本当に乗客の家族なのかどうかわからない、だがずっと家族たちの中にいて、同じことを繰り返したというのだ。

 大使館前の取材から戻ってきたジャーナリストも、バスの中で彼が皆に「抗議のルール」を伝えているのを目にしたという。もう一人が、「バスの車体にも、『親愛なるキミよ、ダイヤの指輪を用意したよ。早く帰っておいで』とかいう気色悪いスローガンが貼ってあるのよね。今の家族にそんな悠長なことを言う余裕がどこにあるんだろう?と不思議でならなかった」と言う。そして現場にいたジャーナリストがこう言った。「バスとは言ってもね、旅行用の大型バスじゃなくて、路線バスよ。路線バスをチャーターしてあったの」

 その瞬間、「ああ、そうか」と全員の疑問が氷解した。たとえ家族の中にどんなに冷静になれた人がいたとしても、バス会社の社員でない限り、路線バスのチャーターは思いつかなかったはずだ。だが、路線バスをチャーターして待機させるという場面は、たとえば過去の抗議デモでも出現しており、わたしも目にしたことがある。しかしそれは必ず、公安など当局が手配したものだった。このマレーシア大使館への抗議も、深い悲しみが転じて怒りに燃える家族たちの不満をそれとなく誘導したのは中国当局だったのだ。こうして政府は行き場のない怒りが自分たちに向かうことを巧妙に回避していたのだろう。

 この話を、冒頭のテーブルで伝えた。最初は一瞬誰もが目を丸くした。そんなことはどこのメディアも伝えていないからだ。だが、さらっと「十分有り得る話だね」と言ったのはコーチたちだった。彼らは体制の中で日々生活をし、また自分の今があるのも体制内で自身が選手として暮らした経験があるからだ。体制のロジックは彼らが一番良く理解している。さまざまな場面に出入りするうちに、彼らは体制がどんなふうに「人々」を管理しているか身を持って知っているはずだ。いや、ある意味彼ら自身の日常こそ、そうした体制内管理者の末端としての役目も負っている。

 そして、「......そりゃそうだ、反日デモだってそうだった」と製作会社の社長が言った。彼らがふとそこで目を伏せたように見えたのは、わたしが日本人だったからだろうか。そして続けてつぶやいた、「今じゃ治安維持予算のほうが軍事予算よりも大きいんだぜ。この国は治安維持で支えられた国なんだから、群衆のなかにそんな人物を潜り込ませるなんて朝飯前だよ」。

 彼だって仕事上では嫌でも「当局」と付き合わなければならない。だが、そこで角を突き合わせるつもりはさらさらない。彼自身、「中国の文化コンテンツ製作には未来がない」と断言した。20年前、香港の路上で花壇に腰掛けて、熱く中国の文化コンテンツ事業への夢を語った彼は、製作会社をやっているのは「そこに市場があるからだ」と言う。「市場はある。だからお金は儲けられる。だが、未来も夢もない。中国の文化コンテンツは今そういう状態」

 彼が言う市場とはたとえば、以前も「『SHERLOCK シャーロック』ブームに思うこと」で触れたが、中国のネット動画サイトの躍進だ。若者がどんどんテレビ離れをしていてテレビにはもう期待はできない。だが、動画サイトには次々と若者が流れ込んでおり、まず昨年政府が動画サイトコンテンツの取り締まりを実施。そこで海賊版がたくさん締め出された。その結果、主だった動画サイトでは海外からきちんと版権を買い取った番組を提供するようになり、また広告主もつくようになった。ある動画サイトの広告収入は1シーズン(3ヶ月)で約11億元(約180億円)に上ったという。

 さらに、「動画サイトはモバイルでも見ることができるしね。今や中国のネット利用者はモバイル利用者がPC利用者を上回ったし」と言い、かつて人気オーディション番組づくりにも関わった彼の製作会社は今やテレビよりも動画サイトと提携する方向に傾いているという。

 だが、それでも彼は「コンテンツは市場を賑わせるという未来はあっても、社会的責任を果たせるという意味での未来はない」ときっぱり言った。20年間この業界に関わっている彼はそれに対して声は上げないという。「上げたって無理。ぼくは着々とビジネスをこなすだけ」

 コーチ2人も、「中国は水も安全じゃないし、空気だって汚れている。だから、食べるものにはとても気をつけている。この店は経営者が信じられるから来るだけ。脂ぎったものは食べないし、体調管理には気をつけている」と言った。なんとなく論理が飛躍しているようにも見えたが、それでも彼らは選手養成所の門限9時に合わせてそそくさと「体制内」へと帰っていった。

 コンテンツ製作会社の友人は言った。すでに妻と3歳の娘を海外に移民させる準備を始めているという。「しばらくはしかたないさ。ぼくが二つの土地を往復するしかないね。商売をやめる訳にはいかないし」とつぶやいた。20年前、熱く熱く中国の文化コンテンツの未来と夢を語った彼はもうそこにはいなかった。

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