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大陸と香港、深い隔たり - ふるまい よしこ 中国 風見鶏便り

ニューズウィーク日本版 2014年5月9日 5時10分

 今回は少々びろうな話題が出てくるので、食事時に読むのはご遠慮いただきたい。

 これまで何度かこの欄で書いてきたが、中国と香港の間で続く不協和音にまた新しい火種が持ち上がった。今回きっかけになったのが、繁華街で若い中国からの観光客の夫婦が幼い子供にウンチをさせていた様子を、通りがかりの香港人の若者がパシャリと写真を撮ったことだった。

 ネットで目にした、その1枚と思われる写真にはいろいろな情報が詰まっていた。写真中央には道端にしゃがんでお尻を丸出しにした女の子。お尻の下にはティッシュが広げられ、脇に女性がティッシュを手にしゃがみ込んでいる。すぐそばに女の子が乗っていたらしいベビーカーがあり、父親らしい若い男性がその横に立っている。路面には香港では駐停車禁止のサインである黄色い斜線が引かれており、女の子の向こう側の歩道をたくさんの人たちが行き来する様子が映っている。看板などが映っていないので具体的にどこかは分からないが、かなり人通りの多い香港の繁華街の一つであることはひと目で分かった。

 この写真を撮られたことで母親が激怒し、写真を撮った若者と揉み合いになったという。この揉み合いで若者がちょっとしたケガを負ったことも含めて写真がネットで公開され、大騒ぎになったのだ。

 香港人側の怒りは、白昼堂々と繁華街の路上で排泄行為が行われたことに集中した。中国国内からは「子供が我慢できなくなるのはよくあること」「写真を撮るのはプライバシーの侵害」「相手は子供なんだから、そんなに大騒ぎすることではない」といった声が上がった。さらにこの騒ぎから香港の若者が集団でショッピングモールの中で排泄をする真似をして新聞ネタとなったり、また中国からは「そんなに細かいことに噛み付くなら、メーデーの連休に子供を連れて香港に行き、路上でおしっこさせまくろう」なんて物騒な話も飛び出した。さらには「5月からは香港旅行をボイコットしよう」という呼びかけも起こっている。

 子供が我慢できないのは当たり前――若い夫婦がその後メディアに語ったところによると、実際にトイレを探したが長蛇の列で子供が我慢できなかったという。実のところ、若夫婦はティッシュを広げて子供を見守っており、後片付けをするつもりという点では周囲に気を使っていたようだ。だが、実際に周囲を歩く人達の数を見る限り、繁華街のど真ん中でそれを見た人にはかなりショッキングな光景だったのは間違いない。

 激しい香港人側の反応に対して、中国国内からは「西洋人や日本人の子供が排泄しているところを見ても、あそこまで怒らないはずだ。あれは大陸人への差別意識だ」という声もある。だが、実のところ、世界中からの観光客を迎えてきた香港において、たとえ子供でも道端で排泄する姿など見たことがない。子供は我慢できないのは世界共通だが、だからといって子供が道端で排泄して良いというわけではないはずで、そこは親たちの技量――出かける前にはトイレを済ませる、外出後は水分補給を調節するなど――と、日頃の習慣がものをいうのだが。

 香港ではかつて、やはり「我慢できない」子供に親が地下鉄の中でおしっこをさせて、それが電車の揺れに合わせてゆらりゆらりと広がっていくさまを携帯で撮影したビデオがネットにアップされているのを見て震え上がったことがあるが、こういう光景はわたしが知っている香港では決してありえなかった。初めてそんなビデオを見た人は「子供の一度や二度くらい...」と思うのだろうが、狭く商店や住宅が密集した香港で門前で排泄されれば、やはり笑ってばかりいられないだろう。



 だが、実のところ香港の衛生観念もわずか20年前までは緩かった。洗面所の使い方もそれほど綺麗とは言えず、腰を浮かせて用を足す、という手段をわたしが身につけたのも香港時代だった。だが、2003年に大陸から持ち込まれたSARSがあっという間に大感染を引き起こし、死者が出て、感染源となったマンションやホテルが封鎖されたり、病院でも次々と看護関係者が感染して倒れるという事態となり、WHOによって渡航禁止地区に指定された。お陰で貿易や観光を柱としていた香港経済は壊滅的な影響を受け、それ以来香港人は人が変わったように潔癖と思えるほど清潔さに気を使うようになった。

 一方、中国では子供に対して昔も今も割と寛容だ。都市化が進められているとはいえ、農村と密着した場所も多く、地方都市になると親もかなり自由だ。都市においても中国ではまだまだ衛生観念の向上を図らなければならないと思うことも多く、また社会ルールというものを気にする習慣があまりないし、公共の場における身の振り方についての意識がかなり緩い。北京などの繁華街ではさすがに大通りのど真ん中では余り見かけないものの、ちょっと裏通りに入れば子供に道端でおしっこをさせている姿をよく見かける。「結局は子供だからね」という緩いお目こぼしがある社会なのだ。

 こういった意識の違いもあるだろう。だが、件の事件を写真で見た限り、子供の両親は周囲の目に気を配っていた。実際に現場で撮られたビデオでは母親は「トイレに行ったけれど、長蛇の列で仕方なかった」と繰り返しているそうだし、写真ではティッシュに見えたそれは実は紙おむつで、彼女は言い訳しながらもそのおむつを丸めてゴミ箱に捨てようとしていたという。

 確かに香港の青年側も大人げがなかった。積もり積もった、大陸からの観光客の「蛮行」の連続に怒りをたぎらせている香港人は多い。それが習慣化して大陸人と見るとわざとトラブルを起こす香港人も増えているという。彼らもそんな一人で、実際にアンチ中国旅行者の活動に関わっていることが後でわかっている。だが、今や、中国vs.香港は感情的なしこりになってしまっており、お互いの心に余裕がなくなっている。

 しかし、今回の大騒ぎにため息をついている人たちも少なくない。「我々が香港に行かなければ、香港経済はすぐに縮小してしまうだろう」という鼻息荒い発言に、「貧しい大陸や災害に同情して我々が民間募金で援助してきたのは何だったのか」という香港の声。一方で、「日頃から北京や上海でも田舎の観光客の素養の無さを指摘しているくせに、なぜ香港人が叱責すると怒りを爆発させるのだ?」という大陸人同士の声。「もともと大陸には批判的なぼくですら、フェイスブック上で大陸人を罵る香港人には反吐が出る。彼らの態度はぼくのように日頃から香港に好感を持っている人間ですら不快にさせてしまう」......。

 わたし個人は、香港人側の反応も直情的過ぎると感じている。彼らは昔から弱者を――例えば他人の広東語の訛りを真似て大声で笑うと言ったような――あざ笑うという悪い習慣があった。だが、大陸の「オレたちがいなければ香港経済は潰れていた」という態度も、それを言う本人がどれだけの貢献をしてきたというのか。そんな物言いをすれば「虎の威を借る非文明的な狐」と言われても仕方がないのである。

 確かに香港経済の多くの部分が中国の経済発展に大きく依存していることは間違いがないが、一方で大陸からは毎年数万人の大学及び大学院生が香港にやってきて、香港で有利な就職のチャンスを狙っている。さらに出生地主義を採る香港で子供を産んで、香港人としての権利と自由を手に入れたいと求める親たちが引きも切らず、香港人妊婦のベッド確保に大きく影響し、昨年やっと中国人妊婦の病院での受け入れ規制が始まったばかりだ。つまり、中国に経済力はあっても法的に整備された香港で生活するための権利を手に入れたいというのも大陸人の本音なのだから。

 香港と大陸、その双方に明らかに欠落しているものがある一方で、お互いに頼りにしている部分もある。地続きだけに切っても切れない関係にあるこの二つの地域の、感情的な小競り合いはまだ解決の緒は見えず、ちょっとした何かが起これば再び悪化する傾向にある。このままではお互いにとって良い方向に向かわないと思えるのだが、どちらかにこの状況を打開する策はあるのか。お互いにあさっての方向を向いて怒鳴っているような、なんともやりきれないぶつかり合いが続いている。


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