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『ドラえもん』のアメリカ進出に30年かかった理由とは? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2014年5月22日 11時15分

 日本の人気漫画・アニメの『ドラえもん』は、1980年代からアジアやヨーロッパで人気となり、90年代の初頭からは、これにイスラム圏や中南米も含めたほぼ全世界で出版・放映されています。ですが、アメリカは例外でした。報道によれば1985年に一旦テッド・ターナー(CNNの創業者)が放映権を取得したそうですが、結局のところ放映はされませんでした。

 それからほぼ30年を経た今年、遂に『ドラえもん』は北米に上陸することになりました。ディズニーが版権を取得し、「Disney XD」というケーブル・チャンネルで8月から全国放映をするという発表がされています。

 この間、アメリカで放映がされなかった理由は比較的簡単です。アメリカでは子供向けのTV番組や出版物に関しては、極めて保守的な考え方があるからです。特に思春期前の子供たちを対象としたものはそうで、その社会の「善悪の価値観」から外れたものは「この年齢では与えない」ということになっています。

 そこには、素朴なプロテスタント思想を軸に開拓時代を生きたという歴史的経緯もありますし、多様な人種が共存する社会であるといった事情もあります。ですが、それだけでありません。

 子供が小さいうちに「善悪の価値観」を明確に教えておくと、思春期を通過する際に、既成の価値観への「何故?」を考えさせることで「抽象概念をハンドリング」する能力を仕込むことができる、そうした経験則もあるように思います。

 ですから、教育という観点から述べれば、小学生段階の子供たちには、教育現場だけでなく、家庭でも社会でも「やや保守的」であるぐらいに「善悪」を教えるということをしてきました。その延長で、子供向けのTVや出版物に関しては厳しい基準を適用してきたわけです。

 では、『ドラえもん』はどこが引っ掛かったのかというと、かなり多くの点で「アウト」でした。まず「のび太」という主人公が子供たちの「ロール・モデル」にならないという点があります。何よりも「自信なげで怠惰」というキャラクターが失格ですし、また「のび太が困った時にはドラえもんの特殊能力に依存する」というパターンも自立心を養う上でダメというわけです。

 これに加えて、「お母さんの叱り方」が表面的で愛情不足、「ジャイアンなどのいじめ的行動」への全否定ができていない、「しずかちゃん」の描き方にジェンダー上のステレオタイプがある、という具合ですが、全体的には「1つの理念に貫かれた空間」が成立していないということが最大の理由だと思います。アメリカ社会が「小学生レベルの子供に示したい」価値観から外れてしまっていたわけです。

 では、今回どうしてその『ドラえもん』は許容されるようになったのでしょうか?

 まず価値観の多様化、あるいは価値相対主義というものが、アメリカのカルチャーを大きく変えたということがあります。要因としては、9・11からイラク戦争へという時代の中で、アメリカ人自身が善悪二元論の限界にようやく気づいたこと、更に善悪二元論では飽き足らない団塊二世が社会の中核を担い始めたということ、グローバリズムや移民によってヨーロッパやアジアのカルチャーの影響が濃くなったことなどが挙げられるでしょう。

 教育の問題でも、従来はアメリカの小中学生に対しては「原則は放任して、顕著な才能があれば引き上げる」という「のんびり」した姿勢であったのが変化してきています。大学受験が過熱する中で、学校の宿題の量は増えるし、親からのプレッシャーも高くなる、つまりアジア的になってきたということが言えます。



 これに加えて、「いじめ問題」がアジアなどに遅れてアメリカの子供たちの間でも深刻になってきました。従来は「高校で体育会のエリートが威張る」という種類の比較的に限定的であった「いじめ」が、SNS利用の低年齢化などもあって、中学生から小学生にも広がっているのです。

 そうした中で、いつの間にかアメリカの子供社会において『ドラえもん』の世界観は、何の違和感もないことになりました。また団塊二世より更に若い層を含む、今のアメリカの親たちも、往年の「善悪二元論」によるクラシックな子供向けコンテンツでは飽きたらず、様々な「価値相対主義」や「多元的な価値観」を持った表現を子供に与えたがるようになっています。

 この『ドラえもん』をディズニーが取り上げたというのも象徴的です。90年代までのディズニーは「善悪」とか「美醜」といった価値観に関しては、非常に単純なものにこそ「夢」があるのだというメッセージに固執してきたわけです。ですが、2001年にライバルのドリームワークスが『シュレック』で二元論ではない、少なくとも善悪と美醜の話をマトリックス化する中で「子供向きアニメ」の世界観を変えてしまうという事件が起きました。

 以降のディズニーは、徐々にそうした変化への対応を始めていったのです。一つには、自社のブランドイメージに直結する「お姫様」の造型をブラッシュアップしていったということがあります。例えば、2007年の『魔法にかけられて』では善悪二元論の世界と現実世界のクラッシュを描き、今回の『アナと雪の女王』では複雑な人間関係の中で「自分が自分であること」を生き抜く女性像というように「新しさ」を追い求めています。

 もう一つは、様々な「外部のカルチャー、ブランド」との連携です。「スタジオジブリ」との提携、「スター・ウォーズ」ブランドの買収と新三部作の製作というように、自分たちの持っていなかった分野を埋めるために外部のブランドを取り込んでいます。今回の『ドラえもん』ブランドとの提携もその一つと見ることができます。

 では、ディズニーが変化していくように、アメリカという国も、素朴な楽観主義や理想主義を捨てることで、アジアやヨーロッパを追いかける「普通の国」になってしまうのでしょうか?

 必ずしもそうではないと思います。複雑な現代社会におけるリーダーシップを育てるカルチャーはアメリカにはまだまだ健在です。その新しい時代のリーダー像というのは、例えば『ハンガー・ゲーム』のカットニスのように、そして『ダイバージェント』のベアトリスのように、そして『アナ雪』の姉妹のように女性に託されています。

 男性は、そして少年たちは『アメイジング・スパイダーマン』のピーターのように、突き進んでいく女性たちを見守りながら「自分探し」をする時代なのです。その意味で、多少「頼りない」が「柔軟」であるキャラの「のび太」というのは、アメリカの少年たちの現在の位置に非常に近い存在になったのだと思います。

 その代わりに「しずかちゃん」は、相当に快活で知的なキャラを与えられ、前へ前へと進んでいく強さを託されることになるでしょう。それが、アメリカの若者や子供たちを取り囲んでいる同時代性なのだと思います。

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