4月30日に実施された第三回イラク議会選挙は、まだ完全に確定してはいないものの、与党「法治国家連合」が第一党の地位を確保することが明らかになった。同じシーア派勢力の国民同盟やサドル潮流を大きく引き離して、両者がタッグを組んでも第一党に及ばないだろう。三選は許せない、と批判されてきたマーリキー現首相だが、この勢いに乗って次期政権を担う意欲は満々である。
2005年から10年以上同じ首相とはいかがなものか、イラク戦争で民主化したというわりには長期独裁の再現じゃないか、と白けた声も強く、投票率は前回とほぼ同じ、六割程度である。最初に選挙が行われた2005年の八割と比べると、激減だ。
ところで、選挙に白けたイラク人でも、選挙前日に流れてきた次のニュースには、心躍らされたらしい。「イラク人作家、アフマド・サアダーウィの小説『バグダードのフランケンシュタイン』が、今年度のアラビア語本屋大賞を受賞した」。
アラビア語本屋大賞は、アラビア語で書かれたフィクション小説のなかで最優秀作品に与えられる国際的な賞で、最終審査に残ったエジプト、シリア、モロッコの作家計六人のなかから、サアダーウィが選ばれた。よほどうれしかったのだろう、友人のイラク人は本をまるまる一冊、データにしてメール添付で送ってきた。
「エジプト人が書き、レバノン人が出版し、イラク人が読む」とは、昔からよく伝わる云いだが、イラク人が読書好きだ、ということをよく表している。首都バグダードの下町にムタナッビ通りという書店街があるが、そこに通い詰めるのが教養ある人の証みたいなものだった。今年4月、ムタナッビ通りの名物書店主が高齢で亡くなったときも、内外のイラク人の間でその死を痛むツイッターが行き来した(古本に囲まれて浮浪者と間違えられるような姿は、昔から名物だった)。文学賞を取ったり書店主が亡くなることのほうが、イラクの知識人にとっては、決まりきった選挙結果より関心が高いのかもしれない。
受賞作は、タイトルからわかるように、「イラク版フランケンシュタイン」を作る空想小説だ。だが、その舞台が鮮烈である。イラク戦争以降、自爆テロの結果であれ米軍やイラク国軍の掃討作戦であれ、国内に吹き荒れた暴力の応酬のなかで、多くのイラク人が死亡した。そのバラバラになった死体のパーツをかき集めて作られたのが、名無しのフランケンシュタインなのである。
フランケンシュタインに精神が宿ると、彼は元の体を殺した相手に対して、報復を始める。政府は彼を「犯罪者X」と呼んで、追いつめようとする...。当時のイラク社会の、暴力が浸透し殺伐とした雰囲気をよく表した小説だ。
作者のサアダーウィは1973年、バグダードに生まれた。小学校にあがった頃からずっとフセイン政権のもとで、独裁と情報統制と戦争と経済制裁に苦しまされてきた世代である。フセイン政権下でいい思いをした上の世代とも、イラク戦争後の「解放」を喜び、無邪気に下克上を目指した若者の世代とも違う。過去30年間にイラクを襲った悲劇を、体験してきた目撃者だ。選挙で野心をむき出しにする政治家たちが、なかなかその声を掬えない世代ともいえるかもしれない。
それでも、好きに小説を書き、好きにそれらを読むことのできる時代に生きていられることは、すべてのイラク人にとって心安まることに違いない。イラク人は13世紀にモンゴルの来襲によってアッバース朝が倒れたことを、こう嘆く。「襲来によって殺された人々の血で、チグリス河が真っ赤に染まった。それからモンゴルの統治者が河に投げ捨てた本のインクで、真っ青に染まった」。それだけ、文化的に蹂躙されることを、イラク人は嫌う。
今のイラクでは、シーア派政党が与党連合を固め、万年野党と化したスンナ派政治家の不満が渦巻き、宗派に偏った政治運営が続く。かつて米政府が喧伝した、民主化のかけ声などどこかに消えてしまったかのようだ。
それでも「イラク戦争後の内戦状態よりはましだ」と、イラク人たちは考えているのかもしれない。二度とフランケンシュタインが登場するよりは、と。
2005年から10年以上同じ首相とはいかがなものか、イラク戦争で民主化したというわりには長期独裁の再現じゃないか、と白けた声も強く、投票率は前回とほぼ同じ、六割程度である。最初に選挙が行われた2005年の八割と比べると、激減だ。
ところで、選挙に白けたイラク人でも、選挙前日に流れてきた次のニュースには、心躍らされたらしい。「イラク人作家、アフマド・サアダーウィの小説『バグダードのフランケンシュタイン』が、今年度のアラビア語本屋大賞を受賞した」。
アラビア語本屋大賞は、アラビア語で書かれたフィクション小説のなかで最優秀作品に与えられる国際的な賞で、最終審査に残ったエジプト、シリア、モロッコの作家計六人のなかから、サアダーウィが選ばれた。よほどうれしかったのだろう、友人のイラク人は本をまるまる一冊、データにしてメール添付で送ってきた。
「エジプト人が書き、レバノン人が出版し、イラク人が読む」とは、昔からよく伝わる云いだが、イラク人が読書好きだ、ということをよく表している。首都バグダードの下町にムタナッビ通りという書店街があるが、そこに通い詰めるのが教養ある人の証みたいなものだった。今年4月、ムタナッビ通りの名物書店主が高齢で亡くなったときも、内外のイラク人の間でその死を痛むツイッターが行き来した(古本に囲まれて浮浪者と間違えられるような姿は、昔から名物だった)。文学賞を取ったり書店主が亡くなることのほうが、イラクの知識人にとっては、決まりきった選挙結果より関心が高いのかもしれない。
受賞作は、タイトルからわかるように、「イラク版フランケンシュタイン」を作る空想小説だ。だが、その舞台が鮮烈である。イラク戦争以降、自爆テロの結果であれ米軍やイラク国軍の掃討作戦であれ、国内に吹き荒れた暴力の応酬のなかで、多くのイラク人が死亡した。そのバラバラになった死体のパーツをかき集めて作られたのが、名無しのフランケンシュタインなのである。
フランケンシュタインに精神が宿ると、彼は元の体を殺した相手に対して、報復を始める。政府は彼を「犯罪者X」と呼んで、追いつめようとする...。当時のイラク社会の、暴力が浸透し殺伐とした雰囲気をよく表した小説だ。
作者のサアダーウィは1973年、バグダードに生まれた。小学校にあがった頃からずっとフセイン政権のもとで、独裁と情報統制と戦争と経済制裁に苦しまされてきた世代である。フセイン政権下でいい思いをした上の世代とも、イラク戦争後の「解放」を喜び、無邪気に下克上を目指した若者の世代とも違う。過去30年間にイラクを襲った悲劇を、体験してきた目撃者だ。選挙で野心をむき出しにする政治家たちが、なかなかその声を掬えない世代ともいえるかもしれない。
それでも、好きに小説を書き、好きにそれらを読むことのできる時代に生きていられることは、すべてのイラク人にとって心安まることに違いない。イラク人は13世紀にモンゴルの来襲によってアッバース朝が倒れたことを、こう嘆く。「襲来によって殺された人々の血で、チグリス河が真っ赤に染まった。それからモンゴルの統治者が河に投げ捨てた本のインクで、真っ青に染まった」。それだけ、文化的に蹂躙されることを、イラク人は嫌う。
今のイラクでは、シーア派政党が与党連合を固め、万年野党と化したスンナ派政治家の不満が渦巻き、宗派に偏った政治運営が続く。かつて米政府が喧伝した、民主化のかけ声などどこかに消えてしまったかのようだ。
それでも「イラク戦争後の内戦状態よりはましだ」と、イラク人たちは考えているのかもしれない。二度とフランケンシュタインが登場するよりは、と。