こまかい雨が降るなかで日本がコートジボワールに逆転負けしたのを見届けて、宿に着いたのが午前1時半。少しだけ仮眠をとった後、飛行機をつかまえてリオデジャネイロにやって来た。
この日はマラカナン・スタジアムで、アルゼンチン─ボスニア・ヘルツェゴビナの試合を見る。このブログの最初に書いたけれど、ブラジルに来ようと本気で決めたのは開幕の1カ月前くらいになってからだった。だから昔から憧れだったリオデジャネイロにいることが信じられなかったし、これから自分がマラカナンに行こうとしていることはさらに信じられなかった。いかにマラカナンでも、ブラジルでワールドカップが開かれなかったら僕は来ていなかっただろう。
簡単におさらいしておくと、マラカナン・スタジアムはブラジルサッカーの聖地というか総本山というか、とにかく大変な場所である。1950年代には実に約20万人を収容したという。しかしその後スタンドの落下事故などが起こり、改修に着手。現在の収容人員は約8万人で、全席椅子席の近代的なスタジアムに生まれ変わった。
リオデジャネイロでマラカナンがどれだけ大きな存在かは、地下鉄の駅に行けばわかる。どの駅にもホームはもちろん、駅のあちこちに「マラカナン行きはこちら」という意味のサインが出ている。都市の中でひとつの施設や場所がこんなにも存在感をもっている例は、世界を見渡してもそれほどないんじゃないだろうか。
リオに着いて宿に直行して荷物を置いたら、もう午後4時を回っていた。マラカナンでの試合は午後7時から。レシフェでの日本戦でもそうだったが、スタジアムに行っても手荷物検査やボディーチェックがあって、中に入るまでに相当に時間がかかる。レシフェではその順番を待つ時間が1時間半近くに及び、観客から大ブーイングが起きた。ちょっとあわててマラカナンへ向かう。到着したのは午後5時半ごろだ。
ここで僕は前日に続いて、猛烈な空腹をおぼえる。今日も朝食の後、まともなものを食べていない。口にしたものといえば、レシフェからリオへの飛行機の中で出されたチーズをはさんだパンだけだ。スタジアムの売店で何か買おう。たしかハンバーガーくらいはあったはずだ。
売店には長い列ができている。しかも前の人との間に無駄なスペースをつくるから、列が必要以上に長くなっていて、時間がものすごくかかるように見えてしまう。外国でこういうときにいつも思うのだが、日本人はきちんと列をつくることが体に染み込んでいるのだろう。「順番待ち整列ワールドカップ」があったら、つねに優勝候補にあげられることはまちがいない(2番手はイギリス人じゃないかと思う)。
試合開始まで30分。スタジアムの中では選手紹介が始まったが、僕はまだ売店の列に並んでいる。列が進まないことにいらつく他の観客から、早くしろと売店に向けてブーイングが起こる。このあたりで言いようのない不安が頭をよぎる。誰もフードを買っていない......。メニューにはダブルチーズバーガーやらホットドックがあるのだが、買い終えた客が手にしているのはビールかコカ・コーラだけだ。
試合開始5分前、ようやく僕の番になる。フードはやはり売り切れていた。だったら「フードは売り切れ」と書いておけばいいだろうと思う人がいるかもしれないが、そういうことを考える国民は世界で明らかに少数派なのだ。仕方なくビールとチョコレートバーのようなものを買って、席につく。キックオフには数分遅れた。
アルゼンチンのサポーターは相変わらず元気で、ピョンピョン飛び跳ねる。この日の対戦相手は苦難の歴史の末にワールドカップ初出場を果たしたボスニア・ヘルツェゴビナなのだが、アルゼンチン人は容赦ない。各ブロックに番長格のサポーターがいて、「ここはブーイングだぜ」「危ないシュートを受けたけど、全然へっちゃら」みたいなことをピッチを背にして、スタンドのサポーターのほうを向いてポーズで伝える。これもとくに組織化されているわけではなく、やりたい人がやっているだけなのだろう。
僕は今までのワールドカップで、おそらく日本の試合の次にアルゼンチンの試合を多く見ているが、アルゼンチン人はサッカーを見に来ているわけではないのではないかと思うことがある。彼らが見ているのは、たとえば浅草の三社祭りを50倍にしたようなイベントで、サッカーを見るというよりはスタンドで飛び跳ねることのほうが目的なのではないだろうか。もしかするとそれは彼らにとって、サッカーを見ることより大きな意味を持つことかもしれないが。
試合は2-1でアルゼンチンが勝ったが、サポーターが元気なわりにチームのほうはパッとしなかった。前日にコートジボワールに敗れた日本がこの日のアルゼンチンと戦っていたら、本田とメッシの1ゴールずつで引き分けに持ち込めたような気もした。
そんなことを思っていると、試合中は忘れていた空腹感が再び押し寄せてくる。コンビニや夜遅くまでやっているレストランがどこにあるかもわからなかったので、早く宿に帰って寝てしまうことにする。僕にとっては、ちょっとした「マラカナンの悲劇」だった。
......と、ここで終わってしまうと、日本の第1戦の話は書かないのかという声が聞こえてきそうだ。入場チェックが1時間半待ちでキレそうになり、座席が前から6列目だったのはいいけれど、そこは屋根がなくて雨にさらされつづけ、しかも日本は逆転負けを喫してしまい、帰りの車は渋滞で、宿に着いたら午前1時半。そんな試合のことは、ねえ、もういいじゃないですか。マラカナンに行く前にまともな食事ができなかったのも、「テレビ放映の都合」でキックオフが午後10時という遅い時間に(日本時間では日曜の朝10時という可能な範囲内で最も視聴率を稼げそうな時間に)設定されたから、よけいな疲労がたまって判断力が鈍ったせいもあると思っている。
でもやはり疲労感をため込んだ最大の理由は、代表が負けたことだろう。この敗戦にかなりのショックを受けた自分にも驚いている。
この日はマラカナン・スタジアムで、アルゼンチン─ボスニア・ヘルツェゴビナの試合を見る。このブログの最初に書いたけれど、ブラジルに来ようと本気で決めたのは開幕の1カ月前くらいになってからだった。だから昔から憧れだったリオデジャネイロにいることが信じられなかったし、これから自分がマラカナンに行こうとしていることはさらに信じられなかった。いかにマラカナンでも、ブラジルでワールドカップが開かれなかったら僕は来ていなかっただろう。
簡単におさらいしておくと、マラカナン・スタジアムはブラジルサッカーの聖地というか総本山というか、とにかく大変な場所である。1950年代には実に約20万人を収容したという。しかしその後スタンドの落下事故などが起こり、改修に着手。現在の収容人員は約8万人で、全席椅子席の近代的なスタジアムに生まれ変わった。
リオデジャネイロでマラカナンがどれだけ大きな存在かは、地下鉄の駅に行けばわかる。どの駅にもホームはもちろん、駅のあちこちに「マラカナン行きはこちら」という意味のサインが出ている。都市の中でひとつの施設や場所がこんなにも存在感をもっている例は、世界を見渡してもそれほどないんじゃないだろうか。
リオに着いて宿に直行して荷物を置いたら、もう午後4時を回っていた。マラカナンでの試合は午後7時から。レシフェでの日本戦でもそうだったが、スタジアムに行っても手荷物検査やボディーチェックがあって、中に入るまでに相当に時間がかかる。レシフェではその順番を待つ時間が1時間半近くに及び、観客から大ブーイングが起きた。ちょっとあわててマラカナンへ向かう。到着したのは午後5時半ごろだ。
ここで僕は前日に続いて、猛烈な空腹をおぼえる。今日も朝食の後、まともなものを食べていない。口にしたものといえば、レシフェからリオへの飛行機の中で出されたチーズをはさんだパンだけだ。スタジアムの売店で何か買おう。たしかハンバーガーくらいはあったはずだ。
売店には長い列ができている。しかも前の人との間に無駄なスペースをつくるから、列が必要以上に長くなっていて、時間がものすごくかかるように見えてしまう。外国でこういうときにいつも思うのだが、日本人はきちんと列をつくることが体に染み込んでいるのだろう。「順番待ち整列ワールドカップ」があったら、つねに優勝候補にあげられることはまちがいない(2番手はイギリス人じゃないかと思う)。
試合開始まで30分。スタジアムの中では選手紹介が始まったが、僕はまだ売店の列に並んでいる。列が進まないことにいらつく他の観客から、早くしろと売店に向けてブーイングが起こる。このあたりで言いようのない不安が頭をよぎる。誰もフードを買っていない......。メニューにはダブルチーズバーガーやらホットドックがあるのだが、買い終えた客が手にしているのはビールかコカ・コーラだけだ。
試合開始5分前、ようやく僕の番になる。フードはやはり売り切れていた。だったら「フードは売り切れ」と書いておけばいいだろうと思う人がいるかもしれないが、そういうことを考える国民は世界で明らかに少数派なのだ。仕方なくビールとチョコレートバーのようなものを買って、席につく。キックオフには数分遅れた。
アルゼンチンのサポーターは相変わらず元気で、ピョンピョン飛び跳ねる。この日の対戦相手は苦難の歴史の末にワールドカップ初出場を果たしたボスニア・ヘルツェゴビナなのだが、アルゼンチン人は容赦ない。各ブロックに番長格のサポーターがいて、「ここはブーイングだぜ」「危ないシュートを受けたけど、全然へっちゃら」みたいなことをピッチを背にして、スタンドのサポーターのほうを向いてポーズで伝える。これもとくに組織化されているわけではなく、やりたい人がやっているだけなのだろう。
僕は今までのワールドカップで、おそらく日本の試合の次にアルゼンチンの試合を多く見ているが、アルゼンチン人はサッカーを見に来ているわけではないのではないかと思うことがある。彼らが見ているのは、たとえば浅草の三社祭りを50倍にしたようなイベントで、サッカーを見るというよりはスタンドで飛び跳ねることのほうが目的なのではないだろうか。もしかするとそれは彼らにとって、サッカーを見ることより大きな意味を持つことかもしれないが。
試合は2-1でアルゼンチンが勝ったが、サポーターが元気なわりにチームのほうはパッとしなかった。前日にコートジボワールに敗れた日本がこの日のアルゼンチンと戦っていたら、本田とメッシの1ゴールずつで引き分けに持ち込めたような気もした。
そんなことを思っていると、試合中は忘れていた空腹感が再び押し寄せてくる。コンビニや夜遅くまでやっているレストランがどこにあるかもわからなかったので、早く宿に帰って寝てしまうことにする。僕にとっては、ちょっとした「マラカナンの悲劇」だった。
......と、ここで終わってしまうと、日本の第1戦の話は書かないのかという声が聞こえてきそうだ。入場チェックが1時間半待ちでキレそうになり、座席が前から6列目だったのはいいけれど、そこは屋根がなくて雨にさらされつづけ、しかも日本は逆転負けを喫してしまい、帰りの車は渋滞で、宿に着いたら午前1時半。そんな試合のことは、ねえ、もういいじゃないですか。マラカナンに行く前にまともな食事ができなかったのも、「テレビ放映の都合」でキックオフが午後10時という遅い時間に(日本時間では日曜の朝10時という可能な範囲内で最も視聴率を稼げそうな時間に)設定されたから、よけいな疲労がたまって判断力が鈍ったせいもあると思っている。
でもやはり疲労感をため込んだ最大の理由は、代表が負けたことだろう。この敗戦にかなりのショックを受けた自分にも驚いている。