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ミズーリ州の暴動は沈静化へ向かうのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2014年8月21日 12時38分

 ミズーリ州セントルイス近郊のファーガソン市では、8月9日に発生した警官によるマイケル・ブラウン氏という黒人青年の射殺事件を巡って、翌日10日から断続的にデモと暴動が続いています。オバマという「史上初の黒人大統領」を実現させたアメリカですが、どうしてこうした人種間対立が収まらないのでしょうか?

 一つには、警察の対応が過剰であったという問題があります。催涙弾を使ったり、SWAT(重武装した狙撃チーム)を出動させてエスカレートさせる中で、非常事態宣言や夜間外出禁止令が発動されたのですが、こうした武力と強権はかえって逆効果だったようで、18日の夜の段階までは、特に夜間の騒乱状態は収まりませんでした。

 これに対して、オバマ大統領は夏休みを返上してワシントンDCに戻り、記者会見を行うと共に、ホルダー司法長官を現地に派遣すると表明。一方で、現地でもニクソン知事(民主)が重武装した警官隊の警備を止めるように指示したことで、19日の晩からは事態はやや沈静化しています。

 もう一つは、事件に対する捜査の問題です。事件の事実関係に関しては今後の捜査が待たれますが、発生直後の時点では、黒人青年を射殺したダレン・ウィルソンという白人警官は逮捕されず、警察が保護している格好になっています。その後「大陪審」を開いて起訴するか決定されることになりましたが、事実関係がハッキリしない中で、事件を捜査する立場の警察が動かず、情報公開もされず、コミュニティの疑心暗鬼が拡大したのは事実だと思います。

 現時点で、遺族をはじめ黒人を中心とした抗議行動の側では、両手を掲げて全く無抵抗であったブラウン氏に対して、ウィルソンが頭部をはじめ正面から6発の弾丸を命中させて死亡させたと主張しています。

 一方でセントルイスを中心とした白人のウィルソン擁護グループは、ブラウン氏が暴力を振るっていたという説を主張。ウィルソン支援のSNSが立ち上げられたり、支援のTシャツが売られたりという事態になっています。両者の主張の隔たりには根深い人種対立を感じさせます。



 今回の事態は、92年のロス暴動を思い起こさせます。白人警官による黒人殴打事件について「無罪判決」が出たことを契機として、黒人を中心とした暴動が10日間続く中で、多くの犠牲者を出し、商店や住宅の破壊などが起きた忌まわしい事件です。

 ロス暴動に続いて記憶に新しいのは2012年にフロリダ州で発生した、ヒスパニック系の「自警団員」が同じく丸腰の黒人少年を射殺した事件です。この事件でも、同じような人種対立、社会の分断が起きそうになりました。一部には全米でデモが広がる動きもあったのです。

 ですが、最終的にはメディアも政府も冷静な対応で一貫したため、射殺した自警団員に無罪判決が出た際にも、大きな騒ぎにはなりませんでした。銃規制や、南部特有の「正当防衛を擁護」する法制度への批判はありましたが、人種の分断というような現象には至りませんでした。

 オバマ大統領について言えば、こうした「人種の分断」を回避するための努力を見せたこともありました。例えば、2009年7月ボストンの「ハーバード教授誤認逮捕事件」がいい例です。ハーバード大学の黒人の教授が、出張から戻って自宅のカギを開けようとしてトラブルになっていたところ、パトロール中の白人警官が「侵入盗」と誤認して逮捕してしまった事件への対応がいい例です。

 オバマは、当事者、つまり黒人の教授と白人の警官をホワイトハウスに呼んで、「仲直りのためにビールで乾杯」という演出をしたのです。つまり「こうした誤解を一つ一つ乗り越えて、多くの人種が共存する社会にしよう」というメッセージを発信したというわけです。

 オバマとしては、就任前に自伝などで訴えていたように、自分の存在自体がアメリカン・ドリームであるということ、そして自分が大統領になることが「人種間の和解」を促すということを、自分でも信じ、そして広く国民に訴えてきたわけです。

 ですが、今回の事件は「オバマという黒人大統領」を実現させたからといって、そのオバマの下でもアメリカの社会には、人種間の対立が根深く残っていることを露呈してしまいました。そこには、6年目を迎えたオバマ政権の求心力が落ちたということもあるでしょう。大統領が黒人であることが、かえって「この種の問題に介入しにくく」しているという問題が作用しているかもしれません。



 今回の事件の場合、お互いが強い「被害者意識」を持っているということが、問題を深刻にしています。黒人コミュニティの側は、白人警官が「黒人イコール暴力的」という恐怖心から事件を起こしたのなら、それ自体が「悪質な差別」であり、自分たち全員が被害者だという強い感情と確信を持っています。

 一方で警官を支持するグループ、そしておそらくは問題の警官の周囲は「こうした問題が起きると、常に白人は差別する側、つまり悪だという決め付けを受けるが、これにはもう我慢がならない」という、こちらも被害の感覚、そして強い怒りを持っていると思われます。

 暴動自体が収束に向かう一方、社会の関心は「大陪審」に向かっています。こちらの方は審理が始まっているようですが、厳重な箝口令が敷かれる中、判事サイドからは「相当に時間をかける」というコメントが出ています。簡単には起訴・不起訴の決定には至らないようです。

 仮にブラウン氏が、相手が正当防衛をしなくてはならないほどの、あるいは警察の行動規程において発砲されても仕方がないほどの暴力を行使していた、そのような可能性があるにしても、一旦は警官のウィルソンを起訴して、透明性の確保された法廷で検察と弁護人による真相解明と情報公開を行うことは必要だと思います。

 しかしミズーリ州の警察の内部規程を見ると、全く事件性を問われない、つまり不起訴になる可能性もあるようで、仮にそうなった場合には、改めて人種間の対立、あるいは社会的な分裂が起きる可能性もゼロではないと思います。

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