静岡県の川勝平太知事は7月に行われた県議会の一般質問で、一般論として「15~16歳から20歳前後までの時期に女性の方が早く成熟するという生理学的、生物学的な現実がある。実際上、学校の成績などに表れる」と主張。その上で、静岡県が発足させる人口減少問題を考える有識者会議から「ひょっとすると思春期の男女共学は一度やめてみては」との検証結果が出る可能性があると指摘したそうです。
同知事は、別学になった場合、「大学で一緒になればお互いの尊敬やあこがれという念が深まるということもあろうかと存じます」と述べたそうです。知事に言わせれば、最近の思春期の女子は「生理学的に男性より早く成熟する。同年齢の男の子より自分の方が成績が高いわけだから、男の子を尊敬するというふうなことがなかなかできにくい」というのです。要するに「男の子の思春期に幼くて格好悪い姿を見せると、女の子は男性一般に幻滅してしまう」ので、少子化になるという理屈です。
まあ、このロジックは、どちらかと言えば中道主義の知識人である知事自身が、自分の思想と支持基盤の保守票の持っているセンチメントの間を「アクロバット的なレトリック」で埋めている、つまり川勝平太的な「話芸」であって、それ以上でも以下でもないのかもしれません。
それにしても21世紀のご時世に、思春期の男女別学を推進しようというのですから、何ともため息の出る話ですが、確かに日本では中学や高校を中心に男女別学の伝統が根強く残っています。
大学の場合は、特に女子短大というカテゴリの人気がなくなった結果、4年生大学への転換や共学化が進んでいるわけですが、中学や高校の場合はそうではないわけです。例えば、東大や京大に多くの合格者を出している「受験校」のほとんどは男子校か女子校ですし、公立高校の場合でも、おかしなことに「北関東以北」の県立高校では男女別学が主流になっています。
ちなみに、川勝知事のように、改めて「別学の効用を説く」声が現在確かに強まっているのは事実なのです。例えば、女子校というのはどちらかと言えば「良妻賢母」を育てるというよりも、女性のエリートを育成しようという趣旨の学校が多くなっています。この点では、アメリカの女子高校(ガールズ・スクール)と同じだとも言えます。
具体的な理由としては、共学だと理系の女子は「女のくせに生意気だ」という目で見られるので、女子校の方が「理系女子」を育てるのにはベターだというような話があるわけです。
一方で男子校に関しては、それこそ川勝知事が主張しているように「一般に男子は女子より精神的な成熟が遅い」ので、女子と比べて「萎縮しないで伸び伸び育てる」には男子校が良い、などという「理由付け」が昨今流行しています。例えば、中高一貫教育を行っている私立校の「広告記事」などを見ると、そうした主張が「大真面目で」されています。
しかしながら、こうした考え方は実社会の変化を見ていると、やはり問題が多いように思います。確かに男尊女卑的な偏見から女子を守るための別学というのは成立するかもしれません。ですが、男女ともに実社会に出ればそこには男も女もいるわけです。仮に日本の男性が「脆弱なカルチャー」を抱えて「カラ威張り」をしているだけであっても「男というのはそういうものだ」という知識と対処ノウハウを女性が経験として持っていないと、結局は下らない男性の嫉妬心や裏取引などを力勝負で「ねじ伏せる」のは難しくなるかもしれません。
それ以前に、現代の国際社会で活躍できるような人材には、精神的な成熟とコミュニケーション能力が問われるわけで、男性に関して言えば、十代に「マセた女子から隔離」して育てるなどというのは、全くもって回り道だと思えます。同国人の異性とのコミュニケーションが出来ない人間には、そもそも国際社会で生きてゆくことなど不可能でしょう。
男女交際についても、アメリカの高校を見ていれば、勉強熱心な学生でもみんな交際のパートナーがいるし、パートナーとの真剣な会話を通じて自分の進路や専門性を考えたりしているわけです。そうした経験を高校生の時に積んできた人間と、男女が隔離された環境で、異性との自然なコミュニケーションの経験が不足したまま育った人間では、ビジネスにしても社交にしてもどちらが「パワーエリート」になれるかというのは一目瞭然だと思います。
そこまで大げさな議論にしなくても、非婚少子化や女性専用車両の存在など、男女隔離社会の弊害はいくらでも指摘できるように思います。日本社会が更に開かれた社会になるためには思い切って高校の共学化を進めるべきであって、別学を拡大するなどというのは言語道断だと思います。
少なくとも、優れた教育を施している国立や私立の中高で「男子校」の伝統を守って女子を排除している存在は是正がされるべきですし、それこそ「北関東以北」で公立高校の男女別学が残っていることなど、一刻も早く解消すべきではないかと思うのです。
同知事は、別学になった場合、「大学で一緒になればお互いの尊敬やあこがれという念が深まるということもあろうかと存じます」と述べたそうです。知事に言わせれば、最近の思春期の女子は「生理学的に男性より早く成熟する。同年齢の男の子より自分の方が成績が高いわけだから、男の子を尊敬するというふうなことがなかなかできにくい」というのです。要するに「男の子の思春期に幼くて格好悪い姿を見せると、女の子は男性一般に幻滅してしまう」ので、少子化になるという理屈です。
まあ、このロジックは、どちらかと言えば中道主義の知識人である知事自身が、自分の思想と支持基盤の保守票の持っているセンチメントの間を「アクロバット的なレトリック」で埋めている、つまり川勝平太的な「話芸」であって、それ以上でも以下でもないのかもしれません。
それにしても21世紀のご時世に、思春期の男女別学を推進しようというのですから、何ともため息の出る話ですが、確かに日本では中学や高校を中心に男女別学の伝統が根強く残っています。
大学の場合は、特に女子短大というカテゴリの人気がなくなった結果、4年生大学への転換や共学化が進んでいるわけですが、中学や高校の場合はそうではないわけです。例えば、東大や京大に多くの合格者を出している「受験校」のほとんどは男子校か女子校ですし、公立高校の場合でも、おかしなことに「北関東以北」の県立高校では男女別学が主流になっています。
ちなみに、川勝知事のように、改めて「別学の効用を説く」声が現在確かに強まっているのは事実なのです。例えば、女子校というのはどちらかと言えば「良妻賢母」を育てるというよりも、女性のエリートを育成しようという趣旨の学校が多くなっています。この点では、アメリカの女子高校(ガールズ・スクール)と同じだとも言えます。
具体的な理由としては、共学だと理系の女子は「女のくせに生意気だ」という目で見られるので、女子校の方が「理系女子」を育てるのにはベターだというような話があるわけです。
一方で男子校に関しては、それこそ川勝知事が主張しているように「一般に男子は女子より精神的な成熟が遅い」ので、女子と比べて「萎縮しないで伸び伸び育てる」には男子校が良い、などという「理由付け」が昨今流行しています。例えば、中高一貫教育を行っている私立校の「広告記事」などを見ると、そうした主張が「大真面目で」されています。
しかしながら、こうした考え方は実社会の変化を見ていると、やはり問題が多いように思います。確かに男尊女卑的な偏見から女子を守るための別学というのは成立するかもしれません。ですが、男女ともに実社会に出ればそこには男も女もいるわけです。仮に日本の男性が「脆弱なカルチャー」を抱えて「カラ威張り」をしているだけであっても「男というのはそういうものだ」という知識と対処ノウハウを女性が経験として持っていないと、結局は下らない男性の嫉妬心や裏取引などを力勝負で「ねじ伏せる」のは難しくなるかもしれません。
それ以前に、現代の国際社会で活躍できるような人材には、精神的な成熟とコミュニケーション能力が問われるわけで、男性に関して言えば、十代に「マセた女子から隔離」して育てるなどというのは、全くもって回り道だと思えます。同国人の異性とのコミュニケーションが出来ない人間には、そもそも国際社会で生きてゆくことなど不可能でしょう。
男女交際についても、アメリカの高校を見ていれば、勉強熱心な学生でもみんな交際のパートナーがいるし、パートナーとの真剣な会話を通じて自分の進路や専門性を考えたりしているわけです。そうした経験を高校生の時に積んできた人間と、男女が隔離された環境で、異性との自然なコミュニケーションの経験が不足したまま育った人間では、ビジネスにしても社交にしてもどちらが「パワーエリート」になれるかというのは一目瞭然だと思います。
そこまで大げさな議論にしなくても、非婚少子化や女性専用車両の存在など、男女隔離社会の弊害はいくらでも指摘できるように思います。日本社会が更に開かれた社会になるためには思い切って高校の共学化を進めるべきであって、別学を拡大するなどというのは言語道断だと思います。
少なくとも、優れた教育を施している国立や私立の中高で「男子校」の伝統を守って女子を排除している存在は是正がされるべきですし、それこそ「北関東以北」で公立高校の男女別学が残っていることなど、一刻も早く解消すべきではないかと思うのです。