夏は国際学会のシーズンである。海外で開催される中東関係のさまざまな会議やインタビューを梯子していると、やはり今年の大きなテーマは、イラクに勢力を広げたイスラーム国についてと、蔓延する宗派対立に関するものが多い。そうした会議では国内外からやってきたイラク人研究者に会う機会が多くあるが、最近交替したばかりの新首相をどう見るか、に話題が集中した。
新首相に任命されたハイダル・アバーディについては、これまでのマーリキー首相に辟易していたせいか、おおむね期待する向きが強い。マーリキーの何がそんなにダメだったのか?と聞くと、とにかく腐敗がひどい、と皆が口にする。身内びいき、側近びいきという、典型的なネポティズムを嫌う声が強かった。だが、なぜ特にマーリキーがネポティズムに依存することになってしまったのだろう?
面白いのは、複数のイラク人(国内に住む人も、欧米在住の人も)から「マーリキーは田舎出身だから」と語ったことだ。言い換えれば、都会出身の「知識人」ではない、ということ。なるほど、その説明は、アバーディがそこそこ評価を受けているのと合致する。
アバーディは首都バグダードの、しかもカラーダという伝統的に商業で栄えてきた地区(東京でいえば銀座あたりか)の出身。一方でマーリキーは、シーア派の聖地があるカルバラー県の出身だとはいえ、地方部出身である。同じカルバラー出身でもアディープ高等教育相は、聖地であり県庁所在地であるカルバラー市の出身なので、党内No.2なのにマーリキーに対して優越感があるらしい。マーリキーの前に首相を務めたイブラヒーム・ジャアファリも、いつも知識人を気取っていて、党内幹部会議などでマーリキーを小馬鹿にしたような態度をとっていた、とは、ダアワ党が野党だった時代の野党仲間の証言だ。
イラク社会を見る上でイラク人がよく指摘するのが、この「都市部出身か地方出身か」との視点だ。前者をハダーラ(文明)と呼び、後者はバドゥ、つまり遊牧部族社会が色濃く残る社会、とみなす。知識人の多くは、都市出身、つまり「文明人」の政治家を望む。
しかし、現実の政治はどうかといえば、非都市部の、伝統的には蔑まされてきたような出自の者たちが権力を牛耳ってきた。イラク戦争前、長く独裁を誇ってきたサッダーム・フセインがまさにその人である。ティクリートの、さらに田舎のオウジャという村で、周りが学校に行かせてもらえるのを横目で見ながら、育った。
ティクリートの町自身もまた、近代化の過程で蒸気船による河川交通が発達し、地場産業の羊皮で作った渡し船産業が廃れたため、仕事のなかった若者がこぞって軍に職を見つけたという、没落経緯がある。今回イスラーム国に支配されたモースルも、歴史的に軍人を輩出してきた地域として有名だが、これまた鉄道交通の発展で、ラクダ運送に携わっていた部族たちが失業し、軍人になったのだ。なぜイラク戦争までの国軍が、スンナ派地域の出身者に占められていたかというと、こういう背景がある。フセイン政権がスンナ派を重用したから、という説明は、単純化しすぎだ。
シーア派でも同じである。戦後、イラク政権内の台風の目となってきたサドル潮流の支持者たちは、イラクのなかでも最も貧しい、南東部出身者か、南部の部族社会からバグダードに移住してきた人たちだ。バグダード出身といっても、こうした地方出身者たちは都市の「文明人」とはみなされず、部族的意識を強く残していると考えられている。力への依存とか血で血を洗う復讐とかマッチョ思想とかは、部族的連帯意識に典型的なものだ。イラク戦争直後にサドル潮流が、同じシーア派であっても聖地ナジャフのお偉いイスラーム指導者たちを目の敵にしていたのは、「文明人」を気取る聖地の知識人たちに「造反有理」したからである。
こう考えると、今イラクで起きている問題は、宗派対立というよりは政治の舞台に剥き出しの部族的マッチョ意識が表出していることなのではないか。地方人たるマーリキーを退けて、都市「文明人」のアバーディを持ってきたのは、その荒々しい「非文明的」な応酬に終止符を打とうという考えなのかもしれない。マーリキーがなぜこうも政敵に容赦ないのかについて、80年代、イラク・イラン戦争中にマーリキーがイラク国内でゲリラ活動を指揮していた軍事経験からくるのでは、というダアワ党の元同僚もいた。
都市「文明人」でない政治家は、ポピュリズムに走る。家系のよさや伝統がないので、急ごしらえの身内で重職を固め、威厳を保とうとする。カネと地位と権力をばらまけば、民心の忠誠を買い、選挙となれば強い支持を得ることが可能だ。なによりも、「持たざる層」の出身だということで、親近感を持つ民衆は少なくない。特に、非都市部を小馬鹿にし、政治ゲームに明け暮れるような都市「文明人」に対する反感は、多くの人々の共感を呼ぶだろう。
宗派に関わらず、イラク戦争前であっても後であっても、マージナライズされた人々が抱く荒々しい復讐への怨念をいかに抑えられるか。それが新政権の課題だ。アバーディを評価する人たちの一人が言った一言が印象に残った。「マーリキーは人の言葉に耳を貸さなかったけれど、アバーディは聞きすぎて何も決められないかもしれない」。
新首相に任命されたハイダル・アバーディについては、これまでのマーリキー首相に辟易していたせいか、おおむね期待する向きが強い。マーリキーの何がそんなにダメだったのか?と聞くと、とにかく腐敗がひどい、と皆が口にする。身内びいき、側近びいきという、典型的なネポティズムを嫌う声が強かった。だが、なぜ特にマーリキーがネポティズムに依存することになってしまったのだろう?
面白いのは、複数のイラク人(国内に住む人も、欧米在住の人も)から「マーリキーは田舎出身だから」と語ったことだ。言い換えれば、都会出身の「知識人」ではない、ということ。なるほど、その説明は、アバーディがそこそこ評価を受けているのと合致する。
アバーディは首都バグダードの、しかもカラーダという伝統的に商業で栄えてきた地区(東京でいえば銀座あたりか)の出身。一方でマーリキーは、シーア派の聖地があるカルバラー県の出身だとはいえ、地方部出身である。同じカルバラー出身でもアディープ高等教育相は、聖地であり県庁所在地であるカルバラー市の出身なので、党内No.2なのにマーリキーに対して優越感があるらしい。マーリキーの前に首相を務めたイブラヒーム・ジャアファリも、いつも知識人を気取っていて、党内幹部会議などでマーリキーを小馬鹿にしたような態度をとっていた、とは、ダアワ党が野党だった時代の野党仲間の証言だ。
イラク社会を見る上でイラク人がよく指摘するのが、この「都市部出身か地方出身か」との視点だ。前者をハダーラ(文明)と呼び、後者はバドゥ、つまり遊牧部族社会が色濃く残る社会、とみなす。知識人の多くは、都市出身、つまり「文明人」の政治家を望む。
しかし、現実の政治はどうかといえば、非都市部の、伝統的には蔑まされてきたような出自の者たちが権力を牛耳ってきた。イラク戦争前、長く独裁を誇ってきたサッダーム・フセインがまさにその人である。ティクリートの、さらに田舎のオウジャという村で、周りが学校に行かせてもらえるのを横目で見ながら、育った。
ティクリートの町自身もまた、近代化の過程で蒸気船による河川交通が発達し、地場産業の羊皮で作った渡し船産業が廃れたため、仕事のなかった若者がこぞって軍に職を見つけたという、没落経緯がある。今回イスラーム国に支配されたモースルも、歴史的に軍人を輩出してきた地域として有名だが、これまた鉄道交通の発展で、ラクダ運送に携わっていた部族たちが失業し、軍人になったのだ。なぜイラク戦争までの国軍が、スンナ派地域の出身者に占められていたかというと、こういう背景がある。フセイン政権がスンナ派を重用したから、という説明は、単純化しすぎだ。
シーア派でも同じである。戦後、イラク政権内の台風の目となってきたサドル潮流の支持者たちは、イラクのなかでも最も貧しい、南東部出身者か、南部の部族社会からバグダードに移住してきた人たちだ。バグダード出身といっても、こうした地方出身者たちは都市の「文明人」とはみなされず、部族的意識を強く残していると考えられている。力への依存とか血で血を洗う復讐とかマッチョ思想とかは、部族的連帯意識に典型的なものだ。イラク戦争直後にサドル潮流が、同じシーア派であっても聖地ナジャフのお偉いイスラーム指導者たちを目の敵にしていたのは、「文明人」を気取る聖地の知識人たちに「造反有理」したからである。
こう考えると、今イラクで起きている問題は、宗派対立というよりは政治の舞台に剥き出しの部族的マッチョ意識が表出していることなのではないか。地方人たるマーリキーを退けて、都市「文明人」のアバーディを持ってきたのは、その荒々しい「非文明的」な応酬に終止符を打とうという考えなのかもしれない。マーリキーがなぜこうも政敵に容赦ないのかについて、80年代、イラク・イラン戦争中にマーリキーがイラク国内でゲリラ活動を指揮していた軍事経験からくるのでは、というダアワ党の元同僚もいた。
都市「文明人」でない政治家は、ポピュリズムに走る。家系のよさや伝統がないので、急ごしらえの身内で重職を固め、威厳を保とうとする。カネと地位と権力をばらまけば、民心の忠誠を買い、選挙となれば強い支持を得ることが可能だ。なによりも、「持たざる層」の出身だということで、親近感を持つ民衆は少なくない。特に、非都市部を小馬鹿にし、政治ゲームに明け暮れるような都市「文明人」に対する反感は、多くの人々の共感を呼ぶだろう。
宗派に関わらず、イラク戦争前であっても後であっても、マージナライズされた人々が抱く荒々しい復讐への怨念をいかに抑えられるか。それが新政権の課題だ。アバーディを評価する人たちの一人が言った一言が印象に残った。「マーリキーは人の言葉に耳を貸さなかったけれど、アバーディは聞きすぎて何も決められないかもしれない」。