いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる証言記事に関して朝日新聞が誤りを認め、取り消したことに関連して、あらためてこの「従軍慰安婦」の議論が盛んになっています。その議論の多くは「誤報」、つまり「狭義の強制」があったと報道されたことで、「国際社会の誤解」を招いた朝日新聞には責任があるという考え方です。
例えば安倍首相は9月14日のNHKの番組で、朝日新聞が「世界に向かってしっかりと取り消していくことが求められている」と述べたそうですし、加藤勝信官房副長官も17日の記者会見で、「誤報に基づく影響の解消に努力してほしい」と述べています。
また朝日新聞の訂正直後に実施された、読売新聞の世論調査によれば、『朝日新聞の過去の記事が、国際社会における日本の評価に「悪い影響を与えた」と思う人が71%に達した』そうです。
しかし、こうした「国際社会に誤解されている」という議論は、それ自体が「誤解」であると考えるべきです。以下、その理由を指摘したいと思います。
一点目は、80年代末にこの「従軍慰安婦」問題が知られるようになって以降、たとえ偽りの証言や、誤報によって「狭義の強制」があったという伝わり方をしたとしても「現在の日本国の名誉や評判」はまったく傷付かなかったということです。
ですから「国際社会における日本の評価に悪影響があった」という印象、あるいは加藤官房副長官の言う「誤報による影響」というのは、そうした理解の全体が「誤解」です。
理由は簡単です。国際社会では、サンフランシスコ講和を受け入れ、やがて国連に加盟した「日本国」は、「枢軸国日本」つまり、常任理事国でありながら国際連盟を脱退し、更にナチス・ドイツ、ファシスト党のイタリアと組んで第二次世界大戦を起こした「枢軸国日本」とは「全く別」であることを認識しており、そこに一点の疑念もないからです。
それは、講和を受け入れたという法的な理由だけではありません。戦後の日本政府、日本企業、日本人が国際社会で活動するにあたって、国際法や各国法を遵守し、多くの国や地域の中で際立った国際貢献を行い、例えば国連安保理の非常任理事国にも再三選出されているように、戦後の日本および日本人の行動が国際社会から信頼されているからです。
現在の日本国と枢軸国日本が別である以上、第二次大戦の戦中に枢軸国日本が起こした非人道的な行為に関しては、現在の日本国が、現在の世代として政府の正式謝罪を行ったり、現在の世代の納税した国庫金から補償をしたりする必要はありません。
補償に関しては「講和条約で解決済み」だというのは、別に責任から逃げているわけではなく、「講和によって枢軸国日本から日本国への移行が相手国により承認された」、つまり「現在の日本国は枢軸国日本ではない」ことが相手国から承認されたことを意味するからです。これは、サンフランシスコ講和の対象外であった、日中、日ソの各講和や日韓条約でも全く同様です。
第2の誤解は、したがって「枢軸国日本」の行動への批判がされると、まるで自分たちが批判されたように感じて、反論や名誉回復を行わなくてはならないという心情になる、そのこと自体が「誤解」であるということです。
もちろん、「国のかたち」はサンフランシスコ講和によって変わったけれども、民族や文化の上で一貫性はあるし、その延長で、戦場で亡くなった多くの兵士も自分たちと同じ日本人であり、そうした犠牲者に「枢軸国の不名誉」を押し付けることはしたくない、それは自然な心情としてあると思います。
ですが、この問題に関しても、個々の兵士に至る日本軍の「全員が戦争犯罪人」であるという考え方は「講和」の精神にはありません。あくまで誤った方針へと指導した責任者のみの罪を問うという「講和条件」で和平を実現したのであって、個々の兵士や戦没者の全員の名誉まで否定しているわけではありません。
ですから、偽証言や誤報に基づく問題があったからといって「慰安所を設置した軍隊」としてまるで日本軍全体や個々の戦没者までが不名誉な印象で固定化されているわけではありません。批判の対象としては、そのような「慰安所を設けなければ士気が保てない」ような作戦を続けて、実際に「慰安所設置」に関わった軍の上層部へのものであると理解すべきです。
第3の誤解は、それでも軍の方針や軍の上層部の名誉を回復したいとして、これはこの欄でも再三申し上げてきたことですが、「狭義の強制」つまり銃剣を突きつけて「人さらいのように」女性を集めたというのは「事実でない」と主張することに「効果はない」ということです。
つまり「強制連行ではなかったが人身売買だった」、または「軍や警察が女性の身柄を拘束した事例があるが、それは業者の財産権という社会秩序維持のためだった」、「脱走を取り締まったが、それは戦地での危険から保護をするためだった」、「一晩に大勢の相手をさせたが、少なくとも対価として金銭の支払いはあった」という「事実の訂正」をしたからといって、国際社会の評価は変わらないと考えるべきです。
というよりも、「事実関係の訂正キャンペーン」を強化すれば「日本軍の従軍慰安婦という問題を初めて知ることになる」人を増やしてしまうだけです。そうした人々が「なるほど人身売買であって民間主導の経済行為だったのだ」と「理解」を示して「ポジティブな印象」を持つ可能性はゼロだと思います。
この論点に関しては、「現在の価値観で過去の問題を断罪している」とか「19世紀まで奴隷制を実施していたアメリカに言われたくない」などという反論があるようですが、こうした言い方も日本を一歩外に出れば現実論として全く説得力は持ちません。
第4の誤解は、「狭義の強制はなかった」という点など、「枢軸国日本の名誉回復」を進めることが、国際社会での日本の立場を強化するという考え方です。これは大変に危険な誤解です。というのは、この考え方で押し切れば、中国や韓国は「現在の日本政府や日本人は枢軸国日本の名誉にこだわる存在」つまり「枢軸国の延長」だというプロパガンダを国内外で展開することが可能になります。
そうしたプロパガンダがあるレベルを越えていくようですと、国際社会における日本の政治活動や経済活動に支障を来すばかりか、特に中国の場合は日本を仮想敵とした軍拡の口実にもなっていきかねません。そのように対立を激化させた責任が日本にあるとなれば、アメリカなど同盟国の心証も悪化させることになります。
第5の誤解は、これは「朝日新聞」の立場に近い人々の間に見られると思いますが、日本の保守的な世論や、あるいは安倍政権がこの問題で強硬になれば、「いつかは強い外圧が来て何とかしてくれるだろう」という見通しがあるように感じられます。これも誤解だと思います。
国際社会は「激しく日本批判をするような面倒なこと」はせず、むしろ日本を軽視したり無視したりするだけでしょう。というのは「慰安婦問題に関する事実関係の訂正をしたい」という日本の意向が「全く理解できない」からです。反発する以前に「理由が分からない」ことでの違和感、不快感がひたすら深まるだけだと思います。
そうかと言って、日本の主張に「国際社会に挑戦する」ような危険性や覚悟が見えるわけではありません。ですから「もう一度戦争をしたがっている」という危険性ではなく、「この程度の男尊女卑や既得権益擁護の古さを抱えている」という象徴的なニュアンスで感じ取って、例えば市場としての優先順位を下げたり、投資額を抑制したりという静かな動きを加速する、つまり国際社会のリアクションとしては、軽視、あるいは無視ということになるだけではないでしょうか。
いずれにしてもこの議論では、「誤報により誤解されているから、その誤解を解きたい」という考えそのものが「誤解」だということを理解していただきたいと思います。
例えば安倍首相は9月14日のNHKの番組で、朝日新聞が「世界に向かってしっかりと取り消していくことが求められている」と述べたそうですし、加藤勝信官房副長官も17日の記者会見で、「誤報に基づく影響の解消に努力してほしい」と述べています。
また朝日新聞の訂正直後に実施された、読売新聞の世論調査によれば、『朝日新聞の過去の記事が、国際社会における日本の評価に「悪い影響を与えた」と思う人が71%に達した』そうです。
しかし、こうした「国際社会に誤解されている」という議論は、それ自体が「誤解」であると考えるべきです。以下、その理由を指摘したいと思います。
一点目は、80年代末にこの「従軍慰安婦」問題が知られるようになって以降、たとえ偽りの証言や、誤報によって「狭義の強制」があったという伝わり方をしたとしても「現在の日本国の名誉や評判」はまったく傷付かなかったということです。
ですから「国際社会における日本の評価に悪影響があった」という印象、あるいは加藤官房副長官の言う「誤報による影響」というのは、そうした理解の全体が「誤解」です。
理由は簡単です。国際社会では、サンフランシスコ講和を受け入れ、やがて国連に加盟した「日本国」は、「枢軸国日本」つまり、常任理事国でありながら国際連盟を脱退し、更にナチス・ドイツ、ファシスト党のイタリアと組んで第二次世界大戦を起こした「枢軸国日本」とは「全く別」であることを認識しており、そこに一点の疑念もないからです。
それは、講和を受け入れたという法的な理由だけではありません。戦後の日本政府、日本企業、日本人が国際社会で活動するにあたって、国際法や各国法を遵守し、多くの国や地域の中で際立った国際貢献を行い、例えば国連安保理の非常任理事国にも再三選出されているように、戦後の日本および日本人の行動が国際社会から信頼されているからです。
現在の日本国と枢軸国日本が別である以上、第二次大戦の戦中に枢軸国日本が起こした非人道的な行為に関しては、現在の日本国が、現在の世代として政府の正式謝罪を行ったり、現在の世代の納税した国庫金から補償をしたりする必要はありません。
補償に関しては「講和条約で解決済み」だというのは、別に責任から逃げているわけではなく、「講和によって枢軸国日本から日本国への移行が相手国により承認された」、つまり「現在の日本国は枢軸国日本ではない」ことが相手国から承認されたことを意味するからです。これは、サンフランシスコ講和の対象外であった、日中、日ソの各講和や日韓条約でも全く同様です。
第2の誤解は、したがって「枢軸国日本」の行動への批判がされると、まるで自分たちが批判されたように感じて、反論や名誉回復を行わなくてはならないという心情になる、そのこと自体が「誤解」であるということです。
もちろん、「国のかたち」はサンフランシスコ講和によって変わったけれども、民族や文化の上で一貫性はあるし、その延長で、戦場で亡くなった多くの兵士も自分たちと同じ日本人であり、そうした犠牲者に「枢軸国の不名誉」を押し付けることはしたくない、それは自然な心情としてあると思います。
ですが、この問題に関しても、個々の兵士に至る日本軍の「全員が戦争犯罪人」であるという考え方は「講和」の精神にはありません。あくまで誤った方針へと指導した責任者のみの罪を問うという「講和条件」で和平を実現したのであって、個々の兵士や戦没者の全員の名誉まで否定しているわけではありません。
ですから、偽証言や誤報に基づく問題があったからといって「慰安所を設置した軍隊」としてまるで日本軍全体や個々の戦没者までが不名誉な印象で固定化されているわけではありません。批判の対象としては、そのような「慰安所を設けなければ士気が保てない」ような作戦を続けて、実際に「慰安所設置」に関わった軍の上層部へのものであると理解すべきです。
第3の誤解は、それでも軍の方針や軍の上層部の名誉を回復したいとして、これはこの欄でも再三申し上げてきたことですが、「狭義の強制」つまり銃剣を突きつけて「人さらいのように」女性を集めたというのは「事実でない」と主張することに「効果はない」ということです。
つまり「強制連行ではなかったが人身売買だった」、または「軍や警察が女性の身柄を拘束した事例があるが、それは業者の財産権という社会秩序維持のためだった」、「脱走を取り締まったが、それは戦地での危険から保護をするためだった」、「一晩に大勢の相手をさせたが、少なくとも対価として金銭の支払いはあった」という「事実の訂正」をしたからといって、国際社会の評価は変わらないと考えるべきです。
というよりも、「事実関係の訂正キャンペーン」を強化すれば「日本軍の従軍慰安婦という問題を初めて知ることになる」人を増やしてしまうだけです。そうした人々が「なるほど人身売買であって民間主導の経済行為だったのだ」と「理解」を示して「ポジティブな印象」を持つ可能性はゼロだと思います。
この論点に関しては、「現在の価値観で過去の問題を断罪している」とか「19世紀まで奴隷制を実施していたアメリカに言われたくない」などという反論があるようですが、こうした言い方も日本を一歩外に出れば現実論として全く説得力は持ちません。
第4の誤解は、「狭義の強制はなかった」という点など、「枢軸国日本の名誉回復」を進めることが、国際社会での日本の立場を強化するという考え方です。これは大変に危険な誤解です。というのは、この考え方で押し切れば、中国や韓国は「現在の日本政府や日本人は枢軸国日本の名誉にこだわる存在」つまり「枢軸国の延長」だというプロパガンダを国内外で展開することが可能になります。
そうしたプロパガンダがあるレベルを越えていくようですと、国際社会における日本の政治活動や経済活動に支障を来すばかりか、特に中国の場合は日本を仮想敵とした軍拡の口実にもなっていきかねません。そのように対立を激化させた責任が日本にあるとなれば、アメリカなど同盟国の心証も悪化させることになります。
第5の誤解は、これは「朝日新聞」の立場に近い人々の間に見られると思いますが、日本の保守的な世論や、あるいは安倍政権がこの問題で強硬になれば、「いつかは強い外圧が来て何とかしてくれるだろう」という見通しがあるように感じられます。これも誤解だと思います。
国際社会は「激しく日本批判をするような面倒なこと」はせず、むしろ日本を軽視したり無視したりするだけでしょう。というのは「慰安婦問題に関する事実関係の訂正をしたい」という日本の意向が「全く理解できない」からです。反発する以前に「理由が分からない」ことでの違和感、不快感がひたすら深まるだけだと思います。
そうかと言って、日本の主張に「国際社会に挑戦する」ような危険性や覚悟が見えるわけではありません。ですから「もう一度戦争をしたがっている」という危険性ではなく、「この程度の男尊女卑や既得権益擁護の古さを抱えている」という象徴的なニュアンスで感じ取って、例えば市場としての優先順位を下げたり、投資額を抑制したりという静かな動きを加速する、つまり国際社会のリアクションとしては、軽視、あるいは無視ということになるだけではないでしょうか。
いずれにしてもこの議論では、「誤報により誤解されているから、その誤解を解きたい」という考えそのものが「誤解」だということを理解していただきたいと思います。