内戦の嵐が吹き荒れるシリアに行くことになれば、普通なら二の足を踏むだろう。従軍記者ですら誘拐を恐れて取材を拒む、世界有数の危険地帯だからだ。
だがリチャード・バンアズは動じなかった。「シリアに行くことになってワクワクした。よほど退屈していたんだろう」
危険にスリルを感じたわけではない。今年の春、バンアズが南アフリカのヨハネスブルクを出てシリアに向かったのは、内戦で手や指を失った人々に自身の開発した低価格の義肢を提供するためだ。
とはいえバンアズを知る実業家のミック・エベリングによれば、彼は「最高に思いやりがある一方で、最高にクレージーな男」。向こう見ずな行動はいつものことだという。
シリアでバンアズは砲撃をかわし、検問所をくぐり抜けた。食あたりに苦しんだ以外は、無傷でトルコに出国した。
ある日の夕食で、アルカイダ系武装勢力アルヌスラ戦線の戦士と隣り合わせたこともあった。後で分かったことだが、戦士は自爆テロ用の爆弾入りチョッキを身に着けていたという。
シリアでバンアズが3Dプリンターなど義肢を作る装置を設置したのは、非営利団体が出資しているナショナル・シリア義肢プロジェクト(NSPPL)の診療所だ。
NSPPLはシリアとの国境近くにあるトルコ南部の町レイハンルと、反政府勢力が制圧したシリア北部イドリブ県のハザノで診療所を経営している。ハザノの診療所には、民間援助団体エブリ・シリアンが6万ドルを援助している。
バンアズ自身にとって、義肢の開発は切実な問題だった。大工だった彼は11年、仕事中に事故で右手の指を4本失った。だが調べてみると、義肢は手が出ないほど高価だった。
そこでバンアズは義肢を自ら開発することにした。「義肢が必要な人間に対する病院の態度も、値段も気に入らなかった。自分で作れば人助けもできる」
バンアズはアメリカ人の特殊効果デザイナー、アイバン・オーウェンと協力して自分用の義指を開発し、続いて5歳の少年に手と指を作って提供した。
12年には義肢製造会社ロボハンドを立ち上げ、これまでに作った機械制御の上肢は200を超える(現在、義足も開発中)。ロボハンドの義肢は熱可塑性プラスチックを3Dプリンターで成形し、アルミニウムのパーツを組み合わせて仕上げる。手首や肩の関節の動きに反応して動き、電子機器は必要としない。
現地の若者に技術を伝授
エブリ・シリアンの支援を受け、NSPPLは400ドルの義肢を150個ほど製作する予定だ。シリアにいる家族の安全のため「アブ・ファイサル」の偽名を名乗るエブリ・シリアンの職員によれば、手を1つ作るのにかかる時間は10時間ほどだ。
ロボハンドの義手は耐久性にも優れている。バンアズによれば耐久年数はまだ不明だが、起業当時に作ったものは今もしっかり機能しているという。
経営は半ば慈善事業で、富裕国の顧客が支払う代金などで貧しい人々の分を賄う仕組みだ。さらに誰もが自前の3Dプリンターで製作できるよう、ロボハンドはデザインをオープンソースとして公開している。ただこうした動きは業界の反感を買っていると、バンアズは言う。
バンアズが万人に好かれる人間でないことは想像に難くない。せっかちで厚かましく、口も悪い。だがシリアで目撃した惨状には心を痛めた。「兄弟同士で戦うなんてバカげてる」と、トルコ側からイドリブの丘を見詰めながら彼は語った。
内戦がシリアに与えた打撃は甚大だ。NSPPLの理事を務めるマーロス・アルスード医師によれば、手や脚を失った人々は2万人近くに上るという。
NSPPLは当初、義手より安く作れる義足の提供のみを想定していた。だが噂が広まるにつれ、上肢を失った人々が旅費を工面し、危険を冒して診療所を訪ねるようになった。
「最初は(義手の製造に)消極的だった」と、アルスードは言う。「だがロボハンドなら耐久性に優れ、手の機能の一部を補える義肢を良心的な価格で作れるのではないかと気付いた」
エブリ・シリアンのファイサルはSNSのフェイスブック経由でバンアズにコンタクトを取り、そこからNSPPLとロボハンドのプロジェクトが生まれた。「人を送るから技術を教えてくれないかと頼むと、自らシリアに出向くとバンアズが申し出てくれた」と、彼は振り返る。
支援団体や企業とタッグを組み、バンアズは技術を携え世界を回る。昨年はエベリングが先頭に立ち、やはり内戦が続く南スーダンのヌバ山地にロボハンドの診療所を設立した。
バンアズに学んだ技術を、エベリングは現地の若者8人に伝授。若者たちの覚えが早かったのは、ロボハンドの設計が「シンプルで卓越している」ことの証しだと彼は言う。
南スーダンのクリニックは、たちまち週1本のペースで義手を作り始めた。戦闘の激化で12月に一時休止したが、活動は続いているという。
戦闘と税関に翻弄されて
だがシリアの危険度はスーダンとは比較にならない。それでもシリアに行くと決めたのは必要とされたからだったと、バンアズは言う。「政府に頼まれてもアルカイダに頼まれても、私は行く。人種も信条も階級も関係ない。支援を受ける権利はすべての人にある」
予想どおりというべきか、プロジェクトはアクシデントに見舞われた。トルコに送った4台の3Dプリンターや2枚のソーラーパネルなど約500キロの機材が、トルコのアダナ空港で差し押さえられたのだ。
バンアズは携帯していた小型3Dプリンターなどを携えて、ハザノの診療所に向かった。シリア初のロボハンド義肢を作るため、地元の男性アブドゥル・ラヒムに技術指導をした。
バンアズのチームがトルコに引き揚げても、機材はまだ空港に留め置かれていた。そこでエブリ・シリアンは税関と交渉し、荷物をトルコ・シリア国境の「中間地帯」に投下してもらう手はずを整えた。国境警備隊の目を引かないように「不良品」と札を貼った荷物を、NSPPLの職員は少しずつ診療所に運んだ。
レイハンルの診療所に最初の3Dプリンターが到着したのは、バンアズが南アにたつわずか数時間前。バンアズは大急ぎでプリンターをセットアップした。ラヒムは自分で義肢を作り、その技術をほかの者にも伝えていくと自信を見せる。
戦闘と税関に翻弄されたものの、シリアのプロジェクトにバンアズは手応えを感じている。帰国の途に就く直前、ずっとぴりぴりしていた表情をふっと緩めて、彼はつぶやいた。充実の1週間だった、と。
[2014.7.15号掲載]
ジョン・ベック
だがリチャード・バンアズは動じなかった。「シリアに行くことになってワクワクした。よほど退屈していたんだろう」
危険にスリルを感じたわけではない。今年の春、バンアズが南アフリカのヨハネスブルクを出てシリアに向かったのは、内戦で手や指を失った人々に自身の開発した低価格の義肢を提供するためだ。
とはいえバンアズを知る実業家のミック・エベリングによれば、彼は「最高に思いやりがある一方で、最高にクレージーな男」。向こう見ずな行動はいつものことだという。
シリアでバンアズは砲撃をかわし、検問所をくぐり抜けた。食あたりに苦しんだ以外は、無傷でトルコに出国した。
ある日の夕食で、アルカイダ系武装勢力アルヌスラ戦線の戦士と隣り合わせたこともあった。後で分かったことだが、戦士は自爆テロ用の爆弾入りチョッキを身に着けていたという。
シリアでバンアズが3Dプリンターなど義肢を作る装置を設置したのは、非営利団体が出資しているナショナル・シリア義肢プロジェクト(NSPPL)の診療所だ。
NSPPLはシリアとの国境近くにあるトルコ南部の町レイハンルと、反政府勢力が制圧したシリア北部イドリブ県のハザノで診療所を経営している。ハザノの診療所には、民間援助団体エブリ・シリアンが6万ドルを援助している。
バンアズ自身にとって、義肢の開発は切実な問題だった。大工だった彼は11年、仕事中に事故で右手の指を4本失った。だが調べてみると、義肢は手が出ないほど高価だった。
そこでバンアズは義肢を自ら開発することにした。「義肢が必要な人間に対する病院の態度も、値段も気に入らなかった。自分で作れば人助けもできる」
バンアズはアメリカ人の特殊効果デザイナー、アイバン・オーウェンと協力して自分用の義指を開発し、続いて5歳の少年に手と指を作って提供した。
12年には義肢製造会社ロボハンドを立ち上げ、これまでに作った機械制御の上肢は200を超える(現在、義足も開発中)。ロボハンドの義肢は熱可塑性プラスチックを3Dプリンターで成形し、アルミニウムのパーツを組み合わせて仕上げる。手首や肩の関節の動きに反応して動き、電子機器は必要としない。
現地の若者に技術を伝授
エブリ・シリアンの支援を受け、NSPPLは400ドルの義肢を150個ほど製作する予定だ。シリアにいる家族の安全のため「アブ・ファイサル」の偽名を名乗るエブリ・シリアンの職員によれば、手を1つ作るのにかかる時間は10時間ほどだ。
ロボハンドの義手は耐久性にも優れている。バンアズによれば耐久年数はまだ不明だが、起業当時に作ったものは今もしっかり機能しているという。
経営は半ば慈善事業で、富裕国の顧客が支払う代金などで貧しい人々の分を賄う仕組みだ。さらに誰もが自前の3Dプリンターで製作できるよう、ロボハンドはデザインをオープンソースとして公開している。ただこうした動きは業界の反感を買っていると、バンアズは言う。
バンアズが万人に好かれる人間でないことは想像に難くない。せっかちで厚かましく、口も悪い。だがシリアで目撃した惨状には心を痛めた。「兄弟同士で戦うなんてバカげてる」と、トルコ側からイドリブの丘を見詰めながら彼は語った。
内戦がシリアに与えた打撃は甚大だ。NSPPLの理事を務めるマーロス・アルスード医師によれば、手や脚を失った人々は2万人近くに上るという。
NSPPLは当初、義手より安く作れる義足の提供のみを想定していた。だが噂が広まるにつれ、上肢を失った人々が旅費を工面し、危険を冒して診療所を訪ねるようになった。
「最初は(義手の製造に)消極的だった」と、アルスードは言う。「だがロボハンドなら耐久性に優れ、手の機能の一部を補える義肢を良心的な価格で作れるのではないかと気付いた」
エブリ・シリアンのファイサルはSNSのフェイスブック経由でバンアズにコンタクトを取り、そこからNSPPLとロボハンドのプロジェクトが生まれた。「人を送るから技術を教えてくれないかと頼むと、自らシリアに出向くとバンアズが申し出てくれた」と、彼は振り返る。
支援団体や企業とタッグを組み、バンアズは技術を携え世界を回る。昨年はエベリングが先頭に立ち、やはり内戦が続く南スーダンのヌバ山地にロボハンドの診療所を設立した。
バンアズに学んだ技術を、エベリングは現地の若者8人に伝授。若者たちの覚えが早かったのは、ロボハンドの設計が「シンプルで卓越している」ことの証しだと彼は言う。
南スーダンのクリニックは、たちまち週1本のペースで義手を作り始めた。戦闘の激化で12月に一時休止したが、活動は続いているという。
戦闘と税関に翻弄されて
だがシリアの危険度はスーダンとは比較にならない。それでもシリアに行くと決めたのは必要とされたからだったと、バンアズは言う。「政府に頼まれてもアルカイダに頼まれても、私は行く。人種も信条も階級も関係ない。支援を受ける権利はすべての人にある」
予想どおりというべきか、プロジェクトはアクシデントに見舞われた。トルコに送った4台の3Dプリンターや2枚のソーラーパネルなど約500キロの機材が、トルコのアダナ空港で差し押さえられたのだ。
バンアズは携帯していた小型3Dプリンターなどを携えて、ハザノの診療所に向かった。シリア初のロボハンド義肢を作るため、地元の男性アブドゥル・ラヒムに技術指導をした。
バンアズのチームがトルコに引き揚げても、機材はまだ空港に留め置かれていた。そこでエブリ・シリアンは税関と交渉し、荷物をトルコ・シリア国境の「中間地帯」に投下してもらう手はずを整えた。国境警備隊の目を引かないように「不良品」と札を貼った荷物を、NSPPLの職員は少しずつ診療所に運んだ。
レイハンルの診療所に最初の3Dプリンターが到着したのは、バンアズが南アにたつわずか数時間前。バンアズは大急ぎでプリンターをセットアップした。ラヒムは自分で義肢を作り、その技術をほかの者にも伝えていくと自信を見せる。
戦闘と税関に翻弄されたものの、シリアのプロジェクトにバンアズは手応えを感じている。帰国の途に就く直前、ずっとぴりぴりしていた表情をふっと緩めて、彼はつぶやいた。充実の1週間だった、と。
[2014.7.15号掲載]
ジョン・ベック