『デリカテッセン』『アメリ』など、独特の世界観と映像で人々を魅了してきたジャンピエール・ジュネ監督の最新作『天才スピヴェット』が日本公開中だ。ジュネにとって初の3D作品でもある。
米モンタナ州の牧場で暮らすT・S・スピヴェットは生まれながらの天才少年だが、それぞれ個性的な家族からは今ひとつ理解してもらえない。ある日、由緒ある科学賞を受賞したという知らせを受けたスピヴェットは、ワシントンでの授賞式に向かうべく家出を決意する。双子の弟の死後、ばらばらになった家族を残して──。
原作はライフ・ラーセンの『T・S・スピヴェット君 傑作集』。ただの小説ではなく、欄外に書き込まれた膨大な図版やイラスト、文章に驚かされる仕掛けだ。ジュネ監督はこれを読んで、すぐに3Dでの映画化を思い立ったという。
脚本から衣装、美術や音楽、撮影技術まで、映画作りのすべてが楽しいというジュネに話を聞いた。
──自然の光景も、飛び出す絵本のような仕掛けも、とにかく3Dの映像が非常に美しい。
僕は空想とか、視覚的なイメージを大事にしている。お気に入りの映画監督はティム・バートンやデービッド・リンチ、フェリーニなど映像美に優れ、強い視覚的イメージで世界をとらえる人たちだ。
『デリカテッセン』『アメリ』『ミックマック』といった僕のこれまでの作品は、どれも3Dで撮ることができたと思う。ただ3D作品は時間も手間もかかるし大変なんだ。例えばアメリカの映画会社なんかは2Dで撮影したものを3Dに変換する形を取って、3Dのよさを殺しているところもある。
でも『天才スピヴェット』は史上最高の、最も美しい3D映画になったと思うよ! 撮影のための事前調査をしっかりしたし、3Dカメラを使って撮った。さらに編集段階でも、細かい部分の調整にすごく時間を掛けたからね。
僕は9歳で劇の脚本を書いて、それから「ビューマスター」というおもちゃでよく遊んだ。写真を3Dのように立体的に見るもので、写真の順番を変えて楽しんでいた。その後は、友達の会話を録音するレコーダーを買った。考えてみれば、これは映画作りのステップと同じ。ただ当時の自分は何かを作るのが楽しいだけで、そのことには気付いていなかったが。
──「スピヴェットは僕だ」とあなたは言っているが、どんなところが?
彼と同じで、僕もスケッチをするのが大好きだ。スピヴェットのような科学的発明とは違うけど。でも映画って、詩と科学の間にあるものだろう。映画を取るには技術的な知識がないといけないし、詩も上手でなくてはならない。
新たな挑戦 「初めて人間の感情に正面から取り組んだ」とジュネは言う© EPITHETE FILMS - TAPIOCA FILMS - FILMARTO - GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
──原作となった小説の魅力は?
映画の題材を探していたときに友人から送られてきたが、読み始めてすぐに夢中になった。僕とラーセンはすごく似ている。ラーセンも「『アメリ』を見た時、自分の頭の中を引っかき回されたような気がした」と言っていた。
その一方で、彼の『T・S・スピヴェット君 傑作集』を読んだ時、自分にとって新しい事に挑戦できる気がした。英語のせりふ、アメリカの風景、自然、エモーショナルな物語――これまでの自分になかった要素がたくさんあった。それから3D。あの本にはたくさんのスケッチがあって、3Dで浮かび上がらせるにはぴったりだと思った。
──スピヴェット役のカイル・キャトレットを見つけるまでは大変だった?
かなり時間をかけて、2000〜3000人の子供に会った。シカゴやニューヨーク、ロサンゼルス、モントリオール、オタワ、バンクーバー、ロンドンと、いろんなところでね。
カイルはスピヴェット役にしては年下過ぎたが、特別なものを持っていた。とても面白い子だし、6カ国語を話せて、子供の武道選手権のチャンピオンで、「必要ならいつでも泣くことができる」と言っていた。「疲れた」とか、文句なんかも全然言わないし、スタントもすべて自分でこなした。
ただカイルにすると決めてから、実はテレビシリーズの出演契約にサインしていたことが発覚した。エージェントがごまかしていたんだ。でも向こうに優先権があったから、こっちは週末にあわてて彼の分を撮影して、あとの数週間は彼なしで撮影を進める、なんてことをしなくちゃならなかった。
──物語の舞台はモンタナ州なのに、カナダで撮影している。なぜアメリカで撮らなかったのか。
だってアメリカでは、編集作業の最終決定権を持てないから。僕にとって一番大切なのは、自由な編集権があることだ。だからこれはフランスとカナダの合作にした。偽のアメリカ映画だね。
ただ残念なことに、アメリカでは公開が決定していない。配給会社のワインスタイン・カンパニーと編集権でもめているんだよ!
大橋希
米モンタナ州の牧場で暮らすT・S・スピヴェットは生まれながらの天才少年だが、それぞれ個性的な家族からは今ひとつ理解してもらえない。ある日、由緒ある科学賞を受賞したという知らせを受けたスピヴェットは、ワシントンでの授賞式に向かうべく家出を決意する。双子の弟の死後、ばらばらになった家族を残して──。
原作はライフ・ラーセンの『T・S・スピヴェット君 傑作集』。ただの小説ではなく、欄外に書き込まれた膨大な図版やイラスト、文章に驚かされる仕掛けだ。ジュネ監督はこれを読んで、すぐに3Dでの映画化を思い立ったという。
脚本から衣装、美術や音楽、撮影技術まで、映画作りのすべてが楽しいというジュネに話を聞いた。
──自然の光景も、飛び出す絵本のような仕掛けも、とにかく3Dの映像が非常に美しい。
僕は空想とか、視覚的なイメージを大事にしている。お気に入りの映画監督はティム・バートンやデービッド・リンチ、フェリーニなど映像美に優れ、強い視覚的イメージで世界をとらえる人たちだ。
『デリカテッセン』『アメリ』『ミックマック』といった僕のこれまでの作品は、どれも3Dで撮ることができたと思う。ただ3D作品は時間も手間もかかるし大変なんだ。例えばアメリカの映画会社なんかは2Dで撮影したものを3Dに変換する形を取って、3Dのよさを殺しているところもある。
でも『天才スピヴェット』は史上最高の、最も美しい3D映画になったと思うよ! 撮影のための事前調査をしっかりしたし、3Dカメラを使って撮った。さらに編集段階でも、細かい部分の調整にすごく時間を掛けたからね。
僕は9歳で劇の脚本を書いて、それから「ビューマスター」というおもちゃでよく遊んだ。写真を3Dのように立体的に見るもので、写真の順番を変えて楽しんでいた。その後は、友達の会話を録音するレコーダーを買った。考えてみれば、これは映画作りのステップと同じ。ただ当時の自分は何かを作るのが楽しいだけで、そのことには気付いていなかったが。
──「スピヴェットは僕だ」とあなたは言っているが、どんなところが?
彼と同じで、僕もスケッチをするのが大好きだ。スピヴェットのような科学的発明とは違うけど。でも映画って、詩と科学の間にあるものだろう。映画を取るには技術的な知識がないといけないし、詩も上手でなくてはならない。
新たな挑戦 「初めて人間の感情に正面から取り組んだ」とジュネは言う© EPITHETE FILMS - TAPIOCA FILMS - FILMARTO - GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
──原作となった小説の魅力は?
映画の題材を探していたときに友人から送られてきたが、読み始めてすぐに夢中になった。僕とラーセンはすごく似ている。ラーセンも「『アメリ』を見た時、自分の頭の中を引っかき回されたような気がした」と言っていた。
その一方で、彼の『T・S・スピヴェット君 傑作集』を読んだ時、自分にとって新しい事に挑戦できる気がした。英語のせりふ、アメリカの風景、自然、エモーショナルな物語――これまでの自分になかった要素がたくさんあった。それから3D。あの本にはたくさんのスケッチがあって、3Dで浮かび上がらせるにはぴったりだと思った。
──スピヴェット役のカイル・キャトレットを見つけるまでは大変だった?
かなり時間をかけて、2000〜3000人の子供に会った。シカゴやニューヨーク、ロサンゼルス、モントリオール、オタワ、バンクーバー、ロンドンと、いろんなところでね。
カイルはスピヴェット役にしては年下過ぎたが、特別なものを持っていた。とても面白い子だし、6カ国語を話せて、子供の武道選手権のチャンピオンで、「必要ならいつでも泣くことができる」と言っていた。「疲れた」とか、文句なんかも全然言わないし、スタントもすべて自分でこなした。
ただカイルにすると決めてから、実はテレビシリーズの出演契約にサインしていたことが発覚した。エージェントがごまかしていたんだ。でも向こうに優先権があったから、こっちは週末にあわてて彼の分を撮影して、あとの数週間は彼なしで撮影を進める、なんてことをしなくちゃならなかった。
──物語の舞台はモンタナ州なのに、カナダで撮影している。なぜアメリカで撮らなかったのか。
だってアメリカでは、編集作業の最終決定権を持てないから。僕にとって一番大切なのは、自由な編集権があることだ。だからこれはフランスとカナダの合作にした。偽のアメリカ映画だね。
ただ残念なことに、アメリカでは公開が決定していない。配給会社のワインスタイン・カンパニーと編集権でもめているんだよ!
大橋希