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55年体制に回帰した政治の本当の争点 - 池田信夫 エコノMIX異論正論

ニューズウィーク日本版 2014年12月17日 18時10分

 総選挙では与党の勢力がほとんど変わらず、「第三極」が激減して共産党が倍増した。民主党はかつての社会党と同じく労働組合に依存した政党なので、国会は自民党の長期政権が続いた「55年体制」に回帰したようにみえる。

 90年代にはこれを変えて政権交代を可能にしようと「政治改革」が行なわれたが、55年体制の原因を小選挙区制に求めたのは誤りだった。中選挙区制でも1993年には政権交代が実現し、小選挙区制になっても小党分立はいまだに変わらない(大部分は比例区だが)。最大の問題は選挙制度ではなく、対立軸の不在なのだ。

 かつての自民党にすぐれた政策があったわけではないが、社会党には「憲法を守る」という政策しかなかった。対立軸はいつまでもたっても「安保・自衛隊」で、経済政策では自民党も社会党も「大きな政府」だった。公的年金制度をつくったのは岸信介であり、それを今のようなバラマキ型にしたのは田中角栄である。

 だから55年体制の国会には、政策論争がなかった。官僚機構の立案した政策を追認する自民党と、それに「何でも反対」する野党の対立が続いたが、それでも大した問題はなかった。高度成長でほとんどの経済問題は解決したので、その果実の分配は楽な仕事だったのだ。

 しかし90年代のバブル崩壊で、それまで隠れていた日本経済の欠陥が表面化した。最大の問題は、先進国へのキャッチアップの終了や労働人口の減少で、長期的な潜在成長率が大きく低下したことだ。

 かつて「日本の奇蹟」と呼ばれた高度成長は、実はそれほど奇蹟的な出来事ではなく、1945年に約7200万人だった人口が30年で50%も増えた人口ボーナスが最大の原因だった。一人当りGDP(購買力平価)でみると、日本は先進国で最低だった終戦直後の水準から、その平均程度になっただけだ。

 高度成長のもう一つの要因は、戦争で古い資本が破壊され、最新技術による資本蓄積が急速に進んだことだ。このとき世界最大の消費国アメリカと同盟を結び、1ドル=360円という格安の為替レートで工業製品を輸出できたことが大きかったが、この特権も1985年以降の円高でなくなった。

 要するに日本は普通の成熟した先進国になったのであり、それは自慢することでもないが、それほど嘆くべきことでもない。労働人口も資本も(成長理論でいう)定常状態に近づいているので、今後は生産性上昇率の分だけ成長するだろう。このような長期的傾向を「成長戦略」で変えることはできない。

 安全保障政策にも、もはや争点はない。非武装中立をとなえていた社会党が90年代に村山内閣で安保と自衛隊を容認して自壊してから、もう絶対平和主義は政治的な選択肢ではないのだ。集団的自衛権(日米同盟の強化)で「戦争に巻き込まれる」という主張も、冷戦時代のようなリアリティをもたない。

 今の日本で経済的に意味のある対立軸は、大きな政府か小さな政府かという選択しかない。かつて小さな政府は「新自由主義」という特殊な学派だと思われていたが、今の日本の政府債務を放置すると、国民負担率は80%を超える。このような「史上最大の政府」になることを阻止し、「普通のサイズの政府」に戻すことが重要だ。

 今の高齢者世代はネズミ講で負担を将来世代に先送りしているが、国債がこのまま増え続けると、遠からず金利上昇(国債暴落)が起こるおそれが強い。ロシアのように金利が急上昇して財政が破綻したら、ホームレスになるのは労働所得のない年金生活者である。

 そういう負担の再分配が本当の争点だが、与野党とも高齢者にきらわれることを恐れて手をつけない。制度いじりより重要なのは、長期的視野で強いリーダーシップを発揮する指導者だ。それが誰であるかはわからないが、目先の景気対策に右往左往する安倍首相でないことだけは確かである。

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