オーストラリアでカフェが乗っ取られたり、パキスタンでターリバーンが生徒を百人以上も殺害したりと、今月も中東には殺伐とした空気が漂う。だが、年末くらい少し元気の出る報告をさせてもらおう。
日本で中東研究に携わる研究者たちは、「日本中東学会」という学会組織を形成しているが、同じような学会は韓国、中国にもある。それぞれほぼ同じような時期に作られていて、昔から交流があったが、20年前、「アジア中東学会連合」という地域連合を作った。2006年にはモンゴル中東学会も参加して、現在は四か国の連合体となっていて、二年に一回、各国回り持ちで定例の研究大会を行う。今年は日本が担当する年だった。その大会が、先週末二日間にわたり、京都で開催された。
アジア中東学会連合の研究大会では、主催する学会が各学会から会長や事務局長など、学会員を数名招待する。これまで、招待された者だけが参加することが多く、各学会の幹部が2-3人、多い時でも五人程度顔を見せる程度の集まりだった。だが、今回は違った。韓国の中東研究者が、招待枠を超えて自腹でも参加したいといって倍の人数となったのである。中国からも五人と、過去最大規模の参加だった。今の東アジア情勢を考えると、中国も韓国も来てくれるか、ハラハラしていただけに、うれしい満員御礼だった。
それだけではない。学会間の連絡に使っていたホームページに大々的に開催案内を掲載すると、日韓中モンゴルという加盟学会からだけではなく、中東や欧米からも「発表したい」と希望が寄せられたのである。アメリカのボストン大学から来た教授は、「こんな集まりがアジアであるなんて知らなかったよ」と、冬の京都を散策しながら嬉しそうに言っていた。
なかでも今回の大会の目玉は、シンガポール国立大学の中東研究所がオブザーバー参加したことである。同研究所は、教員もそこで働く研究者も、欧米をはじめとして世界中から雇い入れている。アジア中東学会連合は、シンガポールの参加でいきなりグローバルへと広がった。今回の大会では、報告者46人のうちなんと30人以上が外国人だった。
ヨーロッパではEUが経済危機に陥って以降、学術関係の予算が激減しているようだ。海外で国際会議を開催するたびに、「ヨーロッパでは資金が得られないので日本が支援してくれるのはありがたい」と喜ばれることが多い。シンガポール国立大学は欧米の優秀な研究者を受け入れて、その学術ランクの高さを誇っている。
日本政府は、研究成果をどんどん国際発信せよ、欧米に挑戦してこい、と太鼓をたたいているが、太鼓をたたかなくても魅力ある企画を見せれば、人は来る。日中韓の新進気鋭の中東研究者が、シンガポールに住む英国の大物学者の司会で研究発表を行い、中東の、一世を風靡した思想家の娘が議論にコメントをする、なんていうグローバルな舞台が京都で展開する。日本にいながらそんな舞台に立てるというのは、なんと贅沢なことか。
もうひとつ、感銘を受けたのが、質の高い学術水準を持つ若者の参加が増えたことだ。二年に一度の研究者間の交流、というと、それぞれの学会の重鎮が集まって社交を繰り広げるのが、良くも悪くも「アジア的伝統」だった。それが、まず日本から若手研究者がどんどん手を挙げて参加する。それはいいねえと、10年ほど前に続いたのが韓国だった。日本と韓国の中東学会では、今や女性と若者が参加者の大半を占める。それに今年は、中国が続いた。フロアからは次々に、「アジアの若手女性研究者」の手が挙がり、鋭い質問が飛び交う。こういう日中韓の「戦い」は、大歓迎だ。そんな空気のなかで、サウディアラビア出身の女子大生が、東アジアとサウディアラビア、ともに女性の管理職進出が遅れていることを比較した研究を発表する。こういう展開は、欧米で開催される学会では、絶対に見られない。
研究の質、報告のスキルなどは、英語ネイティブの研究者たちに比較すれば、まだまだである。国際会議としては、まだマイナーリーグかもしれない。だが、設立して20年、ようやくアジア発の初めての中東研究の学会連合は、善隣外交、社交の域を超えられたようだ。社交でやっている間は、学問上の意見が異なっていても心から対決できない。同じ研究を目指すもの同士だという自覚が共有されれば、わざわざ「外交」を意識しなくても、切磋琢磨、丁々発止戦い合うことができる。東アジア外交も、対中東外交も、そこから始めればまだまだ大丈夫と、ちょっと安心した会議だった。
日本で中東研究に携わる研究者たちは、「日本中東学会」という学会組織を形成しているが、同じような学会は韓国、中国にもある。それぞれほぼ同じような時期に作られていて、昔から交流があったが、20年前、「アジア中東学会連合」という地域連合を作った。2006年にはモンゴル中東学会も参加して、現在は四か国の連合体となっていて、二年に一回、各国回り持ちで定例の研究大会を行う。今年は日本が担当する年だった。その大会が、先週末二日間にわたり、京都で開催された。
アジア中東学会連合の研究大会では、主催する学会が各学会から会長や事務局長など、学会員を数名招待する。これまで、招待された者だけが参加することが多く、各学会の幹部が2-3人、多い時でも五人程度顔を見せる程度の集まりだった。だが、今回は違った。韓国の中東研究者が、招待枠を超えて自腹でも参加したいといって倍の人数となったのである。中国からも五人と、過去最大規模の参加だった。今の東アジア情勢を考えると、中国も韓国も来てくれるか、ハラハラしていただけに、うれしい満員御礼だった。
それだけではない。学会間の連絡に使っていたホームページに大々的に開催案内を掲載すると、日韓中モンゴルという加盟学会からだけではなく、中東や欧米からも「発表したい」と希望が寄せられたのである。アメリカのボストン大学から来た教授は、「こんな集まりがアジアであるなんて知らなかったよ」と、冬の京都を散策しながら嬉しそうに言っていた。
なかでも今回の大会の目玉は、シンガポール国立大学の中東研究所がオブザーバー参加したことである。同研究所は、教員もそこで働く研究者も、欧米をはじめとして世界中から雇い入れている。アジア中東学会連合は、シンガポールの参加でいきなりグローバルへと広がった。今回の大会では、報告者46人のうちなんと30人以上が外国人だった。
ヨーロッパではEUが経済危機に陥って以降、学術関係の予算が激減しているようだ。海外で国際会議を開催するたびに、「ヨーロッパでは資金が得られないので日本が支援してくれるのはありがたい」と喜ばれることが多い。シンガポール国立大学は欧米の優秀な研究者を受け入れて、その学術ランクの高さを誇っている。
日本政府は、研究成果をどんどん国際発信せよ、欧米に挑戦してこい、と太鼓をたたいているが、太鼓をたたかなくても魅力ある企画を見せれば、人は来る。日中韓の新進気鋭の中東研究者が、シンガポールに住む英国の大物学者の司会で研究発表を行い、中東の、一世を風靡した思想家の娘が議論にコメントをする、なんていうグローバルな舞台が京都で展開する。日本にいながらそんな舞台に立てるというのは、なんと贅沢なことか。
もうひとつ、感銘を受けたのが、質の高い学術水準を持つ若者の参加が増えたことだ。二年に一度の研究者間の交流、というと、それぞれの学会の重鎮が集まって社交を繰り広げるのが、良くも悪くも「アジア的伝統」だった。それが、まず日本から若手研究者がどんどん手を挙げて参加する。それはいいねえと、10年ほど前に続いたのが韓国だった。日本と韓国の中東学会では、今や女性と若者が参加者の大半を占める。それに今年は、中国が続いた。フロアからは次々に、「アジアの若手女性研究者」の手が挙がり、鋭い質問が飛び交う。こういう日中韓の「戦い」は、大歓迎だ。そんな空気のなかで、サウディアラビア出身の女子大生が、東アジアとサウディアラビア、ともに女性の管理職進出が遅れていることを比較した研究を発表する。こういう展開は、欧米で開催される学会では、絶対に見られない。
研究の質、報告のスキルなどは、英語ネイティブの研究者たちに比較すれば、まだまだである。国際会議としては、まだマイナーリーグかもしれない。だが、設立して20年、ようやくアジア発の初めての中東研究の学会連合は、善隣外交、社交の域を超えられたようだ。社交でやっている間は、学問上の意見が異なっていても心から対決できない。同じ研究を目指すもの同士だという自覚が共有されれば、わざわざ「外交」を意識しなくても、切磋琢磨、丁々発止戦い合うことができる。東アジア外交も、対中東外交も、そこから始めればまだまだ大丈夫と、ちょっと安心した会議だった。