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ウクライナ紛争の勝者はどこに?(前編)

ニューズウィーク日本版 2014年12月22日 12時40分

 ラシニコフ銃を抱えた若者は不機嫌そうだった。びしょぬれで、軍帽から雨の滴をしたたらせ、私をにらみつけた。私のパスポートをめくり、「イギリスか」と言った。「イギリス人ってわけか」

 私たちの車はウクライナ東部ドネツクの幹線道路で止められた。親ロシアの分離・独立派が設けた検問所だ。大人の兵士はいない。秋の冷たい雨が降りしきるなか、若く痩せた兵士は1人で任務に就いていた。防水シートを張ったバリケードには、もっと若く見える兵士がちぢこまっていた。

 検問所の若者はせいぜい20歳。まだ笑顔の似合う年なのに、今は口元をゆがめている。

「(映画でハリー・ポッターを演じた俳優)ダニエル・ラドクリフに伝えろ」。私たちの車にかがみ込んで、若者は言った。「ハリー・ポッターは大好きだった。だけどドラッグ依存だと書いてあった。がっかりしたと、彼に言ってくれ」

「残念だが、君の言ったことは事実ではないと思う」と私は答えた。彼はせせら笑い、パスポートと記者証を私に返した。「だけど記事で読んだぞ」

 私は相手が理解できそうなやさしい単語を選んで言ってやった。「違うな。記事は間違い。ダニエル・ラドクリフは薬物依存じゃない」

 あんたの話を信じたいが、すべてお見通しだといわんばかりに、少年はうなずいた。そして運転手に行けと合図し、道端のテントに戻った。

 かわいそうな子だ、と思う。ハリー・ポッターが好きだったとは。それなのに今では世界に失望している。昨年の今頃、彼は別の国に住んでいた。完璧とはいえないが平和だったウクライナという国に。

 昨年の11月下旬、人々が首都キエフの独立広場に集まり、当時の大統領ビクトル・ヤヌコビッチがEUとの連合協定への署名を拒んだことに抗議した。彼らの運動は、「ユーロ」とウクライナ語で広場を意味する「マイダン」を組み合わせてユーロマイダンと呼ばれた。つまり欧州広場。当時、この名称に注目する人間は少なかった。

 その3カ月後、ウクライナとロシアは事実上の戦争状態に入った。ヤヌコビッチは愛人と国を脱出し、ロシアはクリミア半島を併合。他国の領土を乗っ取る行為は、第二次大戦後のヨーロッパでは初めてのことだ。



国民の大半は楽観的だが

 ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州の一部地域では「人民共和国」の建国が宣言され、ロシアの正規軍と地対空ミサイルが配備された。

 数十万人のデモ隊と警察が対峙した時期のキエフはまるで戦場だった。7月にはマレーシア航空機が親ロシア派に撃墜され、298人が犠牲になった。この内戦全体の死者は、既に4000人を超えている。

 その結果、2つの重大な変化が起きた。まずはウクライナの自立だ。ソ連から独立して23年、ウクライナはどっちつかずの立場にいた。隣国ポーランドのようにヨーロッパ的な法治国家になって商売に励むのか、ベラルーシやカザフスタンのように国民を搾取する独裁国になり、よみがえったロシア帝国に加わるのか。どちらも選ぶことができずにいた。

 この選択に答えを出したのはロシアのウラジーミル・プーチン大統領だ。ロシア語圏のクリミア、ドネツク、ルガンスクが実質的に離脱したウクライナに、もはや親ロシアの政権が復活する可能性はない。10月末の総選挙では親欧米の政党が圧勝した。EUとNATO(北大西洋条約機構)はロシアへの制裁とウクライナへの経済的・軍事的支援で(少なくとも今のところは)足並みをそろえている。

 東部で続く戦闘。経済不振。武装した「愛国的民兵団」を組織する国粋主義者たち──ウクライナが抱える問題の複雑さを思うと、ユーゴスラビアの二の舞いかという思いがよぎる。しかし大半の国民は希望を失っていない。

「私たちの真の姿が分かった。偽りの姿も」と言ったのは若い歌手のルスラナ・ハジポワ。「私たちは自由になった。もうロシアの手下じゃない」
もう1つの変化はより深刻なもので、世界的な惨事につながる可能性をはらんでいる。ロシアがウクライナ危機によって根本的に変化したという事実だ。ロシアはわずか数カ月で、冷戦時よりさらに邪悪な姿に戻ってしまった。

 ハリー・ポッターを愛した兵士を後に、私たちの車は農業地帯を抜けて走った。ドン川の流域は豊かな穀倉地帯だ。

 次の検問所はドネツク人民共和国の「独立」を声高に主張していた。黒、青、赤の3色をあしらった国旗は、帝政ロシアが革命で崩壊した1918年に独立を宣言したつかの間のドネツク・クリボログ共和国の旗にちなんでいる。



 ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が結成したノボロシア(新ロシア)人民共和国連邦の新しい旗もある。デザインはアメリカの南北戦争時代の南部連合旗に似ている。 

 ボタ山や炭田の縦穴坑道の掘削装置が点在する平坦な土地を過ぎると、いよいよドネツク市だ。市内は不気味なほど人の気配がない。戦争の前は人口100万を超える豊かな都市だったのに。大通りの巨大な看板には4月のコンサートの広告が貼ったままで、はがれかかっていた。

 建前上、今は停戦中のはずだが、砲撃は続いていた。ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領が停戦協定に署名したのは9月中旬のことだった。

 だが、それから数週間たってもドネツクでは大砲の音が響き渡っていた。ドネツクの空港を占拠するウクライナ軍を、親ロシア派勢力が激しく攻撃している。ウクライナ軍も報復に、ドネツク市内に砲弾とミサイルの雨を降らせていた。

 空港の地下にはソ連時代の壕とトンネルの迷路がある。集中砲火がひどいとき、空港を守るウクライナ兵はそこに避難するらしい。遠くから見ると、ガラスと鉄でできた優雅な空港ビルは秋雨の霧と銃煙の煙にかすんで見えた。

 ドネツクの州庁舎は、周囲を圧倒する巨大な建物だ。玄関の突き出たコンクリート屋根の下に数十人の市民が並んでいた。親ロシア派勢力の司令官は請願者の話を1人ずつ聞き、尊大な態度で命じる。「それでは210号室に行って、順番待ちの名簿に記入しなさい」「まだそれは対処していない。来週、もう一度来なさい」

24日公開の「ウクライナ紛争の勝者はどこに?(後編)」に続きます。

[2014.12.16号掲載]
オーエン・マシューズ(元モスクワ支局長)

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