「ウクライナ紛争の勝者はどこに?(後編)」より続きます。
公共の場所はスプレーペイントの落書きだらけだ。愛国的なカップル名の落書きもある。「レナ+パシャ=ロシア!」。カフカスからの志願兵(事実上の傭兵)も、誇らしげな落書きを残していた。「チェチェンはドネツクの味方」だと。
「宣伝と扇動の専門家」として親ロシア派勢力に参加しているセルゲイ・フェドレンコは、以前は大学で歴史を学んでいた青年だ。たばこを吸うならトイレに行け、と彼は私たちに命じた。
窓は破れ、室内は荒らされた状態だが、清く正しい生き方を貫く反乱のリーダーたちは、たばこを毛嫌いしているらしい。
この戦争は何のためか、と私は彼に尋ねた。
「戦争は望んでいないが、ほかに方法はない。キエフの親欧米派が旗を振りながら独立広場を跳ね回っていたとき、私たちはドネツクで働いていた。当時は自分をウクライナ人だと思っていた。だがキエフの連中が武装してやって来たので、身を守ることにした。私たちが求めているのは自治の権利だ。ここは私たちにとっての『マイダン』だ。あいつらと違って、私たちはキエフまで攻め込んだりしない」
州庁舎のロビーに戻ると請願者の姿は消え、反乱軍のお偉方たちが集まっていた。指導者たちとそのボディーガードは、完璧な外見を装うために鏡の前で長い時間を費やしたに違いない。革の指なし手袋やアメリカ製の膝パッドなど、みんな流行のアイテムで決めていた。
日が暮れ、午後11時の外出禁止時刻が近づくと、街路からは人影が消える。建物の窓で明かりが見えるのは、せいぜい3分の1にすぎない。
私はキューバをテーマにした地下のバー「ハバナ・バナナ」に行った。インテリアはスラブ風ハワイアンだ。ドネツクで最も有名な作家フョードル・ベレジンが、武装した護衛と共に到着した。ベレジンは未来の軍隊が登場するSF小説を22冊も書いている。テーマはよみがえったソビエト連邦と退廃的なアメリカの壮大な戦いだ。
ベレジンは今年の4月、ドネツク人民共和国の副国防相に就任している。白い口ひげを生やした50代半ばの男で、フライドチキンのカーネル・サンダースと『地獄の黙示録』のカーツ大佐を足して二で割ったような感じだ。
「戦争が始まったとき、君がなりたいのは司令官かクリエーターかと聞かれてね」と、彼は語りだした。「ロシアに逃げることもできた。だが逃げるよりここに残り、戦い、紙の上だけではなく、この世界で新しい現実をつくり出そうと決めた」
ベレジンは、控えめに言ってもエキセントリックな考えの持ち主だ。彼によれば、人間は皆、複雑なプログラムでコントロールされたマトリックスに暮らしていた。「ファシズムはリベラリズムの究極の形」であり、今日ウクライナで起きていることは、貴重な資源をめぐって世界各地で徐々に始まっている争奪戦の一部だという。
「01年の9・11は第3次世界大戦の始まりだった。帝国主義者たちはあの日、有限な天然資源を手に入れるためなら、なりふり構わず戦争を仕掛けるという決断を下した。その戦争がイラクで始まり、やがてシリア、リビア、そしてウクライナへと飛び火した。これに対抗できるのはロシアだけだ」
世界規模で紛争が展開するというのはベレジンの好むテーマらしい。09年の著作『2010年の戦争 ウクライナ戦線』では、地対空ミサイルで旅客機が爆破される場面も描いている。数年後の事件を予言したような本だが、そこではクリミア半島の紛争が世界大戦の引き金になったとされている。
ベレジンはプーチンより2歳年下だが、同世代の多くがそうであるように、彼も民主主義と資本主義については複雑な思いを抱き、ソ連の崩壊は残念だったと思っている。「ソ連が1930年代に大勢の人間を殺したことは認めるが、あの犠牲はやむを得ないものだった。70年代には、誰もが必要な物を手に入れ、ゆとりのある暮らしを送っていた。
だが90年の共産党一党独裁の廃止とそれに続く大混乱はどうやっても正当化できない。今となっては、あれは紛れもなく不当なジェノサイド(大量虐殺)だった」
ベレジンの信ずるところに従えば、ノボロシア連邦が樹立された今は「良識と公平」が維持されていたソ連の黄金時代に回帰する絶好の機会であるらしい。「昔はアルコールと薬物の依存者を厳しく取り締まり、軍隊のために塹壕を掘らせたものだ。最近は警察への賄賂が横行していたが、もうやらせない。私たちが目指すべきは、個人よりも社会が優先される世の中だ。腐敗した欧米の価値観は認めない。同性婚も許さない」
愚者が賢者に勝った革命
戦争経済を動かすには、当然のことながら、ドネツクから逃げた実業家や財閥の資産は没収しなければならない。この地域の鉱山やインフラは今でこそ紛争でダメージを受けているが、いずれドネツクは「金属の採取と精製の一大共和国」になる。ベレジンはそう豪語した。
市内のホテル「ラマダ・イン」のバーは混み合っていた。隅には映画『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットに似た巨漢が座っていた。以前は地元で羽振りの良い実業家だったが、今はドネツク政府の高官だという。
ただし、この男は不倫の真っ最中のようだ。お相手ははつらつとした金髪の女性だ。しかし彼女にはボクサー上がりの実業家の夫がおり、時折このホテルのバーに姿を現すという。そんなとき、察しのいい客たちは巻き込まれることを恐れ、さっさと勘定を済ませて引き揚げるそうだ。
だが今夜は、恋する2人を邪魔する者はいない。側近のボディーガードが、ノキアの携帯電話を山ほど詰めたナイロン袋を探っていた。どれも盗聴防止用のプリペイド携帯だ。
「この町を仕切る人間には3つのタイプがいる」と、アメリカ人の記者仲間が言った。「ソ連時代の役人タイプ、地元のごろつき、そしてロシア軍の諜報員だ」。しかし、ここにいるのは2番目のタイプのみ。ベレジンのようなソ連の役人タイプに1杯8ドルのビールは買えない。
権力を手にした地元のごろつきこそ、「ノボロシア革命」の唯一の勝ち組なのだろう。
今のところ、ロシアはこの革命から何も得ていない。プーチンは世界中からのけ者にされ、ロシア経済は欧米による制裁で大打撃を受けている。
ウクライナの経済と政治も壊滅的な状態だ(それでもロシアよりは望みはある)。ドネツク周辺の人々は燃料も食料も足りず、寒さと飢えに耐えて冬を越すしかない。たっぷりあるのは威勢のいい演説と空っぽの約束だけだ。
この革命では年寄りが若者に、愚者が賢者に、過去が未来に勝った。悲劇と茶番の歴史が、また繰り返されている。
[2014.12.16号掲載]
オーエン・マシューズ(元モスクワ支局長)
公共の場所はスプレーペイントの落書きだらけだ。愛国的なカップル名の落書きもある。「レナ+パシャ=ロシア!」。カフカスからの志願兵(事実上の傭兵)も、誇らしげな落書きを残していた。「チェチェンはドネツクの味方」だと。
「宣伝と扇動の専門家」として親ロシア派勢力に参加しているセルゲイ・フェドレンコは、以前は大学で歴史を学んでいた青年だ。たばこを吸うならトイレに行け、と彼は私たちに命じた。
窓は破れ、室内は荒らされた状態だが、清く正しい生き方を貫く反乱のリーダーたちは、たばこを毛嫌いしているらしい。
この戦争は何のためか、と私は彼に尋ねた。
「戦争は望んでいないが、ほかに方法はない。キエフの親欧米派が旗を振りながら独立広場を跳ね回っていたとき、私たちはドネツクで働いていた。当時は自分をウクライナ人だと思っていた。だがキエフの連中が武装してやって来たので、身を守ることにした。私たちが求めているのは自治の権利だ。ここは私たちにとっての『マイダン』だ。あいつらと違って、私たちはキエフまで攻め込んだりしない」
州庁舎のロビーに戻ると請願者の姿は消え、反乱軍のお偉方たちが集まっていた。指導者たちとそのボディーガードは、完璧な外見を装うために鏡の前で長い時間を費やしたに違いない。革の指なし手袋やアメリカ製の膝パッドなど、みんな流行のアイテムで決めていた。
日が暮れ、午後11時の外出禁止時刻が近づくと、街路からは人影が消える。建物の窓で明かりが見えるのは、せいぜい3分の1にすぎない。
私はキューバをテーマにした地下のバー「ハバナ・バナナ」に行った。インテリアはスラブ風ハワイアンだ。ドネツクで最も有名な作家フョードル・ベレジンが、武装した護衛と共に到着した。ベレジンは未来の軍隊が登場するSF小説を22冊も書いている。テーマはよみがえったソビエト連邦と退廃的なアメリカの壮大な戦いだ。
ベレジンは今年の4月、ドネツク人民共和国の副国防相に就任している。白い口ひげを生やした50代半ばの男で、フライドチキンのカーネル・サンダースと『地獄の黙示録』のカーツ大佐を足して二で割ったような感じだ。
「戦争が始まったとき、君がなりたいのは司令官かクリエーターかと聞かれてね」と、彼は語りだした。「ロシアに逃げることもできた。だが逃げるよりここに残り、戦い、紙の上だけではなく、この世界で新しい現実をつくり出そうと決めた」
ベレジンは、控えめに言ってもエキセントリックな考えの持ち主だ。彼によれば、人間は皆、複雑なプログラムでコントロールされたマトリックスに暮らしていた。「ファシズムはリベラリズムの究極の形」であり、今日ウクライナで起きていることは、貴重な資源をめぐって世界各地で徐々に始まっている争奪戦の一部だという。
「01年の9・11は第3次世界大戦の始まりだった。帝国主義者たちはあの日、有限な天然資源を手に入れるためなら、なりふり構わず戦争を仕掛けるという決断を下した。その戦争がイラクで始まり、やがてシリア、リビア、そしてウクライナへと飛び火した。これに対抗できるのはロシアだけだ」
世界規模で紛争が展開するというのはベレジンの好むテーマらしい。09年の著作『2010年の戦争 ウクライナ戦線』では、地対空ミサイルで旅客機が爆破される場面も描いている。数年後の事件を予言したような本だが、そこではクリミア半島の紛争が世界大戦の引き金になったとされている。
ベレジンはプーチンより2歳年下だが、同世代の多くがそうであるように、彼も民主主義と資本主義については複雑な思いを抱き、ソ連の崩壊は残念だったと思っている。「ソ連が1930年代に大勢の人間を殺したことは認めるが、あの犠牲はやむを得ないものだった。70年代には、誰もが必要な物を手に入れ、ゆとりのある暮らしを送っていた。
だが90年の共産党一党独裁の廃止とそれに続く大混乱はどうやっても正当化できない。今となっては、あれは紛れもなく不当なジェノサイド(大量虐殺)だった」
ベレジンの信ずるところに従えば、ノボロシア連邦が樹立された今は「良識と公平」が維持されていたソ連の黄金時代に回帰する絶好の機会であるらしい。「昔はアルコールと薬物の依存者を厳しく取り締まり、軍隊のために塹壕を掘らせたものだ。最近は警察への賄賂が横行していたが、もうやらせない。私たちが目指すべきは、個人よりも社会が優先される世の中だ。腐敗した欧米の価値観は認めない。同性婚も許さない」
愚者が賢者に勝った革命
戦争経済を動かすには、当然のことながら、ドネツクから逃げた実業家や財閥の資産は没収しなければならない。この地域の鉱山やインフラは今でこそ紛争でダメージを受けているが、いずれドネツクは「金属の採取と精製の一大共和国」になる。ベレジンはそう豪語した。
市内のホテル「ラマダ・イン」のバーは混み合っていた。隅には映画『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットに似た巨漢が座っていた。以前は地元で羽振りの良い実業家だったが、今はドネツク政府の高官だという。
ただし、この男は不倫の真っ最中のようだ。お相手ははつらつとした金髪の女性だ。しかし彼女にはボクサー上がりの実業家の夫がおり、時折このホテルのバーに姿を現すという。そんなとき、察しのいい客たちは巻き込まれることを恐れ、さっさと勘定を済ませて引き揚げるそうだ。
だが今夜は、恋する2人を邪魔する者はいない。側近のボディーガードが、ノキアの携帯電話を山ほど詰めたナイロン袋を探っていた。どれも盗聴防止用のプリペイド携帯だ。
「この町を仕切る人間には3つのタイプがいる」と、アメリカ人の記者仲間が言った。「ソ連時代の役人タイプ、地元のごろつき、そしてロシア軍の諜報員だ」。しかし、ここにいるのは2番目のタイプのみ。ベレジンのようなソ連の役人タイプに1杯8ドルのビールは買えない。
権力を手にした地元のごろつきこそ、「ノボロシア革命」の唯一の勝ち組なのだろう。
今のところ、ロシアはこの革命から何も得ていない。プーチンは世界中からのけ者にされ、ロシア経済は欧米による制裁で大打撃を受けている。
ウクライナの経済と政治も壊滅的な状態だ(それでもロシアよりは望みはある)。ドネツク周辺の人々は燃料も食料も足りず、寒さと飢えに耐えて冬を越すしかない。たっぷりあるのは威勢のいい演説と空っぽの約束だけだ。
この革命では年寄りが若者に、愚者が賢者に、過去が未来に勝った。悲劇と茶番の歴史が、また繰り返されている。
[2014.12.16号掲載]
オーエン・マシューズ(元モスクワ支局長)