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欧米社会がこだわる「言論の自由」の本質 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年1月13日 11時51分

 1月7日にパリ11区にある風刺雑誌『シャルリー・エブド』本社がテロリストによって襲撃され12人が死亡。また、その直後に印刷工場籠城事件、警官襲撃事件、パリ郊外におけるユダヤ系スーパー襲撃事件も発生し、事態は連続テロ事件に発展しました。

 犠牲者計17人を出す大惨事となりました。実行犯3人は射殺され、協力者と思われる1人が逃亡中です。これに対して11日、フランスのオランド大統領をはじめ、ドイツのメルケル首相、英国のキャメロン首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナのアッバス議長など世界40カ国の首脳がパリに集結して、参加者370万人という反テロの「大行進」を行っています。

 合言葉は「私はシャルリー」つまり攻撃を受けた風刺雑誌への「連帯」を表明し、言論の自由を守れと訴えるのが主旨です。

 この「大行進」ですが、アメリカのオバマ政権は大統領や国務長官など要人を派遣しませんでした。その一方で、俳優で映画監督のジョージ・クルーニーは11日に行われたゴールデン・グローブ賞の授賞式で「シャルリー」への連帯を表明しています。

 このアメリカの対応ですが、まずオバマの対応に関しては「9・11の報復として2000年代に積極的に行った反テロ戦争」から、アメリカが脱しつつある中で、再びアメリカがこうしたイスラム原理主義者に対決する「最前線」に立つことは躊躇されるという世論の雰囲気を受けてのことだと思われます。

 では、ジョージ・クルーニーはどうして「連帯」を表明したのかというと、彼はアメリカを代表するリベラル派の文化人だからです。アメリカのリベラルというのは、言論の自由を含む自由と民主主義を世界に紹介することは義務だと考えており、そのために北朝鮮を揶揄した「おバカなコメディ映画」の公開にもこだわるし、同時にダライ・ラマへの連帯も表明するという存在です。

 ちなみにアメリカの保守というのは、ブッシュ政権時代には「愛国主義」を掲げて「反テロ戦争」を積極的に推進していたわけですが、一方で、第一次大戦、第二次大戦など「欧州のトラブルに巻き込まれる」ことには強い抵抗感を持つ「孤立主義」の立場でもあります。ですから、今回のパリの連続テロ事件に対して強く連帯の立場を表明するのは、アメリカではクルーニーのような「左派」になるわけです。



 アメリカにはそのような特殊事情がありますが、ではクルーニーに代表されるようなアメリカの左派、そしてフランスのオランド政権も左派ですが、欧米の左派は一般的にどうして「他宗教への侮辱とも取れるような風刺漫画」を含む言論の自由にこだわるのでしょうか?

 欧米でもイスラム圏でもない第三者、例えばアジアの視点からは、欧米の左派というのは「横柄だ」とか「これでは文化圏同士の摩擦を煽るだけ」という見方が出てきます。

 なぜ彼らは「風刺雑誌社」に連帯を表明するのでしょうか? そこにはキリスト教圏が歩んできた「宗教と世俗」の長い対立構図があります。例えば、現在では当たり前の「カトリックの聖職者への風刺」というのは、中世までは命がけだったわけです。

 あらゆる日常生活を宗教権力が統制する中から、まず宗教改革の動きがあり、やがて教会一致(エキュメリズム=カトリックとプロテスタントの和解)の運動を通じて、カトリックも文化や社会生活に関する自由化に踏み込んでいきました。

 そのような長い歴史の中で、言論の自由というのは「いかに宗教的権威から自由になるのか」という厳しい戦いを通じて獲得されたという理解がされています。この宗教的権威から言論の自由を守るという発想法は、欧米の文化の根っこの部分に深く突き刺さった問題なのです。

 今回の事件は、まさにこの宗教的動機による世俗表現への弾圧に他ならず、その宗教というのがカトリックでもプロテスタントでもイスラムでも全く同じだという発想法があるのです。

 クルーニーの「連帯表明」には、そうした意味合いがあると同時に、このような「欧州など他の大陸のトラブル」に関して「自分に影響がない限りは我関せず」というアメリカ保守派の「孤立主義」に対する抗議とも受け取れます。

 オバマ政権はこうした動きを受けて、次のフランスでの反テロ行動には、「しかるべき政府高官」を派遣するという方針を明らかにしています。

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