ヤマト運輸が扱っていた「メール便」というサービスを廃止すると発表しました。その背景には「信書を扱えるのは郵便だけ」という制度があり、ヤマト運輸としては「お客様が罪に問われる危険性がある」サービスはこれ以上続けられないというのです。
この「メール便」廃止に当たって、ヤマト運輸が掲示しているプレスリリースには、以下のような厳しい表現が盛り込まれています。
「郵便で送ることは許されても、メール便で送ると罪に問われ、罰せられる書類があります。「手紙」です。」
「管轄する総務省の窓口に問い合わせても、その書類が信書なのかどうか即答できない事例が多発しています。」
「現実的な解決策を専門委員会に提案しましたが、規制の見直しは見送られました。」
「法違反の認識がないお客さまが罪に問われるリスクをこれ以上放置することは、当社の企業姿勢と社会的責任に反するものであり、(中略)メール便を廃止する決断に至りました。」
この文章を読むと、昔からそうであるように、ヤマト運輸という会社が「規制緩和」を実現させようと自己主張をしている姿勢が感じられます。一部にはそうしたヤマト運輸の姿勢を「反骨精神」だとして称賛する意見もあります。
では、どうして総務省は規制を「分かりにくく、曖昧なまま」放置しているのでしょうか?
いわゆる「信書」について、日本郵便が今後も独占を続けて収益を確保したいからでしょうか?
あるいは憲法に保障された「信書の秘密」を厳格に守るには、国家がバックになって保証していないといけないという責任感からなのでしょうか?
私はそうではないと思います。
総務省としては「信書」の扱いが「収益になる」とは思っていないと思います。そして、電子メールの普及が進んでいる現在、「信書」は実際のところ収益に寄与していないでしょう。
ですが、コストはなかなか削減できないのです。というのは、郵便事業の背景には万国郵便連合という国連の専門機関があり、この機関に日本は加盟して万国郵便連合憲章ならびに万国郵便条約にも加盟しているという事情があります。
そして、この万国郵便連合が要求しているのが「ユニバーサル・サービス」という考え方です。つまり「地球上のほぼすべての場所から固定料金に近い形で郵便物が送れること。国際郵便、国内郵便(内国郵便)がともに同様の扱いがなされること」といった原則、そしてその国内版である「全国一律のサービス」と「全国津々浦々における郵便ポストの設置」という問題があるわけです。
これは大変なコストになります。こうした「ユニバーサル・サービス」のためのコストを負担しているのが日本郵政だけであるのに、民間の他社がこれに参入するのは困る、これが規制緩和の進まない原因だと思います。
確かに国際条約の上ではそうなっており、このことが郵便の大原則であるわけですが、では、このまま日本郵便の「信書の独占」というのは永遠に継続が可能なのでしょうか?
継続はそう簡単ではありません。まず、電子メールや添付ファイル、あるいは電子メディアの宅配やバイク便などは今後も拡大していくと思われます。クラシックな郵便のシェアはどんどん低下することは目に見えています。
日本郵政は上場を準備中です。仮に上場して、その際に首尾よく世界中から出資を募ることができたとすると、今度は「物言う株主」から「採算性の悪い個人相手の郵便事業を継続することは株主の利益に反する」といった訴訟を受ける可能性もあるでしょう。それ以前の問題として、収益性が著しく損なわれている「ユニバーサル・サービス」というものは、上場企業では継続不可能になると思います。
そう考えると、この「ヤマト運輸」対「総務省」という対立の構図は、それ自体が不毛であるように思えてなりません。では、どうしたら良いのでしょう?
アメリカでも構図は同じです。「ユニバーサル・サービス」という重荷を背負った郵政公社(USPS)は、民間から経営者を招聘してサービス向上に努めるなどの努力をしているのですが、電子メールの普及による郵便利用の減少が経営を圧迫しており、ここ数年で全米の多くの郵便局が統廃合になっています。現在は、土曜日の集配サービスを止めるという議論が出たり引っ込んだりしています。
そんな中、USPSは「かつてのライバル」である民間宅配業者の「フェデックス」と「UPS」などに対して、少し以前から「共存共栄策」に方向を転換しています。具体的には、次のような点です。
(1)郵便物の速達サービスや、受取人の署名を要求する書留的なサービスは民間に開放し、USPSを含めた各社の自由競争とする。
(2)一方で、廉価でスローな普通郵便の市場はUSPSの独占として、ユニバーサル・サービスを続ける。
(3)全国津々浦々に対して集配能力を維持しているUSPSのインフラの一部は、民間のフェデックスとUPSに開放する。つまり、USPSは、民間の速達郵便、準速達郵便に関しては、辺地での配達機能の一部と全国的な集荷(サービス販売)機能を請け負って、その分の収益の分配を受ける。
つまり「もういたずらに争うことはしない」ということであり、正に共存共栄策というわけです。更に近年では、郵便局の統廃合によるサービス低下を補うために、全国チェーンの文具・事務機器量販店の「ステープルズ」にUSPSの集荷機能を委託することも始めています。その結果として、両者の垣根は極端に低くなりました。
日本の郵便事業には日本独特の特性があるのは承知しています。ですが、電子化の流れが郵便事業そのものを衰退産業に押しやっている中、コスト高の「ユニバーサル・サービス」を維持していくのは、日本の場合も基本的に難しいと思います。
そう考えると、妙にお互いがトゲトゲしく「競争だ、規制緩和だ、いや規則は規則だ」とケンカするのではなく、アメリカのように公社と民間が妥協して共存するというのもアリではないでしょうか。
この「メール便」廃止に当たって、ヤマト運輸が掲示しているプレスリリースには、以下のような厳しい表現が盛り込まれています。
「郵便で送ることは許されても、メール便で送ると罪に問われ、罰せられる書類があります。「手紙」です。」
「管轄する総務省の窓口に問い合わせても、その書類が信書なのかどうか即答できない事例が多発しています。」
「現実的な解決策を専門委員会に提案しましたが、規制の見直しは見送られました。」
「法違反の認識がないお客さまが罪に問われるリスクをこれ以上放置することは、当社の企業姿勢と社会的責任に反するものであり、(中略)メール便を廃止する決断に至りました。」
この文章を読むと、昔からそうであるように、ヤマト運輸という会社が「規制緩和」を実現させようと自己主張をしている姿勢が感じられます。一部にはそうしたヤマト運輸の姿勢を「反骨精神」だとして称賛する意見もあります。
では、どうして総務省は規制を「分かりにくく、曖昧なまま」放置しているのでしょうか?
いわゆる「信書」について、日本郵便が今後も独占を続けて収益を確保したいからでしょうか?
あるいは憲法に保障された「信書の秘密」を厳格に守るには、国家がバックになって保証していないといけないという責任感からなのでしょうか?
私はそうではないと思います。
総務省としては「信書」の扱いが「収益になる」とは思っていないと思います。そして、電子メールの普及が進んでいる現在、「信書」は実際のところ収益に寄与していないでしょう。
ですが、コストはなかなか削減できないのです。というのは、郵便事業の背景には万国郵便連合という国連の専門機関があり、この機関に日本は加盟して万国郵便連合憲章ならびに万国郵便条約にも加盟しているという事情があります。
そして、この万国郵便連合が要求しているのが「ユニバーサル・サービス」という考え方です。つまり「地球上のほぼすべての場所から固定料金に近い形で郵便物が送れること。国際郵便、国内郵便(内国郵便)がともに同様の扱いがなされること」といった原則、そしてその国内版である「全国一律のサービス」と「全国津々浦々における郵便ポストの設置」という問題があるわけです。
これは大変なコストになります。こうした「ユニバーサル・サービス」のためのコストを負担しているのが日本郵政だけであるのに、民間の他社がこれに参入するのは困る、これが規制緩和の進まない原因だと思います。
確かに国際条約の上ではそうなっており、このことが郵便の大原則であるわけですが、では、このまま日本郵便の「信書の独占」というのは永遠に継続が可能なのでしょうか?
継続はそう簡単ではありません。まず、電子メールや添付ファイル、あるいは電子メディアの宅配やバイク便などは今後も拡大していくと思われます。クラシックな郵便のシェアはどんどん低下することは目に見えています。
日本郵政は上場を準備中です。仮に上場して、その際に首尾よく世界中から出資を募ることができたとすると、今度は「物言う株主」から「採算性の悪い個人相手の郵便事業を継続することは株主の利益に反する」といった訴訟を受ける可能性もあるでしょう。それ以前の問題として、収益性が著しく損なわれている「ユニバーサル・サービス」というものは、上場企業では継続不可能になると思います。
そう考えると、この「ヤマト運輸」対「総務省」という対立の構図は、それ自体が不毛であるように思えてなりません。では、どうしたら良いのでしょう?
アメリカでも構図は同じです。「ユニバーサル・サービス」という重荷を背負った郵政公社(USPS)は、民間から経営者を招聘してサービス向上に努めるなどの努力をしているのですが、電子メールの普及による郵便利用の減少が経営を圧迫しており、ここ数年で全米の多くの郵便局が統廃合になっています。現在は、土曜日の集配サービスを止めるという議論が出たり引っ込んだりしています。
そんな中、USPSは「かつてのライバル」である民間宅配業者の「フェデックス」と「UPS」などに対して、少し以前から「共存共栄策」に方向を転換しています。具体的には、次のような点です。
(1)郵便物の速達サービスや、受取人の署名を要求する書留的なサービスは民間に開放し、USPSを含めた各社の自由競争とする。
(2)一方で、廉価でスローな普通郵便の市場はUSPSの独占として、ユニバーサル・サービスを続ける。
(3)全国津々浦々に対して集配能力を維持しているUSPSのインフラの一部は、民間のフェデックスとUPSに開放する。つまり、USPSは、民間の速達郵便、準速達郵便に関しては、辺地での配達機能の一部と全国的な集荷(サービス販売)機能を請け負って、その分の収益の分配を受ける。
つまり「もういたずらに争うことはしない」ということであり、正に共存共栄策というわけです。更に近年では、郵便局の統廃合によるサービス低下を補うために、全国チェーンの文具・事務機器量販店の「ステープルズ」にUSPSの集荷機能を委託することも始めています。その結果として、両者の垣根は極端に低くなりました。
日本の郵便事業には日本独特の特性があるのは承知しています。ですが、電子化の流れが郵便事業そのものを衰退産業に押しやっている中、コスト高の「ユニバーサル・サービス」を維持していくのは、日本の場合も基本的に難しいと思います。
そう考えると、妙にお互いがトゲトゲしく「競争だ、規制緩和だ、いや規則は規則だ」とケンカするのではなく、アメリカのように公社と民間が妥協して共存するというのもアリではないでしょうか。