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ピケティ賛否でわかるアメリカ経済の対立軸 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年2月10日 15時49分

 アメリカでトマ・ピケティの『21世紀の資本』がブームになったのは昨年で、夏に著者本人が来米した際には、ちょっとした騒動になりました。アメリカの場合は、日本ほど盛り上がることはありませんでしたが、このピケティへの賛否を見ることで、アメリカの経済学・経済政策に関する対立軸が見えてくるのは事実だと思います。

 まず、どうしてアメリカであまり盛り上がらないのかというと、基本的に株式市場への信任というのがあるからです。代表的な批判は、ローレンス・サマーズ(元ハーバード大学学長、ビル・クリントン政権当時の財務長官)でしょう。

 サマーズによるピケティへの書評 "The Inequality Puzzle" (「格差のパズル」、雑誌『デモクラシー』14年夏号電子版)によれば、要するに「r>g」(資本収益率rが経済成長率gを上回る)ということはなく、中長期では「r=g」になるというのです。これは、アメリカの世論にはかなり広範に存在している感覚です。

 つまり、資本主義というのは相当に合理的にできているというのです。資本が投下されれば、それはリターンを生んでそれは再投資される、そうして最終的には実体経済も成長してゆく、そのように資本主義は設計されているし、市場もそのように動いているという一種の確信があります。

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 企業業績開示の透明性であるとか、インサイダーの摘発などの市場ルールの厳格化がされているということもありますし、そもそも個人年金資産が投資信託で回っていることから、株式市場というものが万人のものであり、一部の富裕層だけが「r」の恩恵を受けるのではないという感覚もあります。

 では、どうして格差が生まれるのかということでは、サマーズは「教育の格差、テクノロジーの進歩、金融機関の異常な高給」などといった個別の問題の集積だとしています。

 一方で、アメリカの「ピケティ賛同者」の代表格は、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)でしょう。クルーグマンは、リベラル派の経済政策のオピニオンリーダーで、その立場からはピケティの「再分配のための国際的な税制強化」も含めて賛成しています。



 ちなみに、このクルーグマンは「アベノミクス」も絶賛しています。自国通貨の価値の毀損を覚悟してまで流動性を供給してデフレを抑え込み、同時に公共工事などの財政出動で景気を刺激するという政策は、この欄でも再三申し上げてきたように、アメリカでは完全にリベラル政策であり、そうしたリベラルの立場からは政府による再分配も必要だということになるからです。

 反対に日本で言う「保守」の立場、つまり戦前の立憲政友会から現在のアベノミクスに至る保守派の政策が、金融緩和と公共投資を大いに進めながら、格差是正には極めて冷淡な「セットメニュー」になっているということは、クルーグマンなどのアメリカのリベラルからは、理解しがたいようです。

 さて、アメリカにおける格差批判といえば、2011年から燎原の火のように広がった「占拠デモ("Occupy Movement")」があります。1%の富裕層と99%の間にある格差を批判したのがこの運動だとすれば、ピケティの思想との親和性はありそうです。ピケティの側としても、『21世紀の資本』を書き進めながらこの運動を意識したようですが、では実際に「占拠デモ」を行っていた側の反応はどうかというと、ブログなどに出てくる反応は意外と冷淡だったりします。

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 つまり、アメリカの例えば「ウォール街占拠デモ」に参加した若者の主張というのは、必ずしも「ウォール街に代表される資本主義」を敵とみなしてはいなかったのです。彼らが最も厳しく批判したのは、「多くの社員が高給を得ているウォール街の金融機関」が、リーマン・ショック後の金融危機に際して「公的資金の注入」を得て救済されたことが「不公正」だというものでした。

 別に彼らも「r>g」などとは思っていないのです。彼らは、公的資金の注入を批判し、また雇用における世代間格差、とりわけ機会の不平等に対しては怒りを向けていましたが、ピケティのような「大きな政府による再分配」は要求していませんでした。というのは、09年にオバマが就任した際には、彼らはオバマに大きな期待を寄せたのですが、若者の雇用が回復しない中での、オバマの政治への失望というのが、この「占拠デモ」のエネルギーになっていったという背景があるからです。

 つまり、「大きな政府」による政策への失望が彼らの出発点であり、結果として彼らのヒーローは、むしろリバタリアンのロン・ポール下院議員(当時)だったりしています。

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