Infoseek 楽天

戦後70年に日米「和解」の提案 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年2月17日 12時52分

 2015年の2月14日は、第二次大戦末期に発生した「ドレスデン大空襲」の70周年でした。報道によれば、この空襲を象徴する「聖母教会」では追悼式典が行われて、ドイツのヨアヒム・ガウク大統領が演説を行っています。

 ガウク大統領は演説の中で、「自分たちの知っているドレスデンは空襲により消滅した」という作家のエーリッヒ・ケストナーの言葉を紹介しつつ、70年後の今日も空襲を経験したものは悪夢の中にいると訴えています。また、数年前に徹底した調査を行った結果、この晩の空襲における死者は2万5000人に達すると判明したと述べています。

 その一方で、自分たちは「死者の数がそれ以上だ」という主張には反対するとしています。それは連合国の「罪」を拡大して、ドイツの「罪」を相対化するからです。その上で極右や極左の「ネガティブなナショナリズム」には絶対に反対するという宣言をしているのです。

 スピーチの後で、ドレスデンの市民は「人間の鎖」を作って抗議行動を行いました。それは、空襲を行った連合軍に対してではないのです。それは「空襲に抗議しようとする」ドイツの極右の活動に対する抗議行動でした。

 ドレスデンのこの思想は日本の保守派の言う「自虐史観」ではありません。つまり、「反省のできる精神的余裕を誇る」とか「国家に依存するあまり歴史の反省をできない人間を侮蔑する」といった自己満足の思想ではないのです。

-----

 この「空襲への抗議への抗議」という思想には強烈な背景があります。それは、ガウク大統領(第11代)の先輩である、ローマン・ヘルツォーク大統領(第7代)が同じドレスデンで95年に行った演説にある考え方です。それは「苦痛を苦痛で、死者を死者で相殺することを禁ずる」という思想、そしてかつての敵と味方が「共に犠牲者の追悼を行う」という思想です。

 この、ヘルツォーク演説の重さというのは、米国ウォッチャーの大先輩である松尾文夫氏(共同通信OB)がライフワークの1つとして紹介し続けておられるものですが、ガウク大統領の「犠牲者数の水増しとナチスの罪の相対化に反対する」という主張、そして「空襲への抗議に対して抗議する」という思想のベースには、このヘルツォーク大統領の思想があると考えられます。

 戦後70年にあたって考えるべきことは、このような思想を打ち立てることであると思います。「死者を死者で相殺することの拒否」、「敵味方による共同追悼の推進」と「ネガティブなナショナリズムによる憎悪の蒸し返しへの抗議」、何とパワフルな思想でしょう。

 そこには自虐史観もなければ、正当化もないのです。ただ、国家間、そして国民同士の現在形での友好的な関係の確認があり、その上で、過去の悲劇への共同行為としての追悼という作業があるのです。



 ドイツを中心として、そのように「戦後70年」がヨーロッパで思想化されていくのを、黙って指をくわえて見ていてはいけないと思います。太平洋とアジアの戦線に関しても、同じような共同追悼という思想が打ち立てられなくてはなりません。

 その第一歩として、まず日米の共同宣言が検討されているのは良いことだと思います。そこで提案なのですが、以下のようなアイディアは実現できないものでしょうか?

 現時点では、安倍首相の訪米と「戦後70周年談話」は5月の上旬にワシントンDCで出す方向で調整が進んでいるようです。これを、同じ5月でも下旬となる「5月25日のメモリアルデー(戦没者記念日)」に「ハワイ州オアフ島の真珠湾内にある戦艦アリゾナ記念館」で「日米首脳の共同献花」として行うのです。

 アメリカ人にとってメモリアルデーというのは、南北戦争という内戦における膨大な犠牲を追悼することにルーツを持つ、大変に重要な日です。その日に、「戦後70周年の共同献花」を行うというのは、保守派を含めたアメリカ人の「琴線に触れる」ことになると思います。

 真珠湾におけるアリゾナ記念館での日米首脳の共同献花というのは、なぜか戦後の長い時間の中で実現せずにいます。ですから、いつの日か実現しなくてはならず、この「70周年」が良いタイミングと思いますが、例えば12月7日(現地時間)に行うのでは、生々しすぎると同時に「戦争の始まった日を記念する」という意味合いになってしまいます。また問題が真珠湾に矮小化されることにもなります。

-----

 ですから、戦後70周年のメモリアルデーにアリゾナ記念館で行うというのは、位置づけとしては良いのではないかと思います。そうすることで、同様に、8月6日の広島原爆記念日には原爆犠牲者の慰霊碑を前にして、日米両首脳が共同献花を行うという可能性も現実味を帯びてきます。この「オバマの広島献花」という問題も、松尾氏が長年主張し続けているテーマです。

 そうではあるのですが、残念ながらアメリカには「合衆国大統領の広島献花」という考えには、今でも反対をする人が一定数います。本州侵攻と本土決戦による米兵の膨大な犠牲を回避するためには、原爆投下というのは必要な作戦であったという認識を前提に、「大統領が謝罪のニュアンスを持った献花をするのは、アメリカの国のかたちとして許せない」という感情です。

 ですが、そのような凍りついた感情も、安倍首相のメモリアルデー献花ということが実現すれば溶解して行くのではないでしょうか。そして、その際の「70周年談話」においては、是非、ドイツの歴代大統領が心を込めた和解のメッセージを参考にしていただきたいと思うのです。

この記事の関連ニュース