ミャンマー(ビルマ)北東部シャン州コーカン地区が先月から、戦火に包まれるようになった。政府軍が中心地ラウカイに突入して反政府勢力を制圧。非常事態宣言が発令されると現地の中国系住民は大挙して越境し、中国雲南省領内に避難した。コーカンの指導者たちが人民解放軍雲南軍区の軍営内に避難している姿も目撃されたという。
中国の新浪ネットや微博(ウェイボー)では「コーカンは東南アジアのクリミア」「強大な中華民族の積極的な干渉を」と書き込まれた。退役軍人によるサイト「中国軍事論壇」では「コーカンの親中派を訓練し、武器弾薬も提供すべきだ」との論調も見られた。
人民日報系の「環球時報」紙は「クリミアに例えるのは滑稽だ」と社説で当局の関与を否定したが、外務省報道官はいつもの甲高い声で「政府は事態の推移を注視している」と発言。政府の御用新聞らしからぬ弱気な論調は報道官の姿勢と奇妙にも食い違っており、かえって紛争の激化に中国の謀略が働いているのではと勘繰らざるを得ない。
ネット世論を政権維持に利用する共産党政権の下では、基本的に政府の意向を反映した記事しか掲載できない。実際にはクリミアに例えたネット投稿は今なお黙認されており、習近平(シー・チンピン)国家主席も「友達プーチン」のまねをする可能性は否定できない。
ドラッグに群がる中国人
約2000平方キロと大阪府ほどの広さのコーカンには約16万人の住民が暮らすが、そのうちの14万人は中国系。もともと土司と称する首長に統治されていたが、土司は清朝政府に貢ぎ物をして、任命権を獲得して権威づくりに利用してきた。清朝崩壊後に現れた中華民国は一時、自国領だと主張したが土司側とビルマ政府の反対に遭った。
第二次大戦時、旧日本軍と盟友関係を締結し日本名も有していたネ・ウィンは、終戦間際にビルマ族中心の軍隊を結成。戦後は中国人民解放軍と共同作戦を展開し、国共内戦から逃れてきた中華民国の敗残兵を殲滅した。ネ・ウィンの協力に毛沢東は大いに感謝し、コーカンをビルマ領として正式に認めた。
毛は世界革命を発動しようとして66年に文化大革命を発動。「古くからの友人ネ・ウィン」を切り捨て、ビルマ共産党支持に舵を切った。一方、コーカンの中国系住民たちは親台湾の態度を取り、反共基地に変貌。毛は紅衛兵を侵入させて政権転覆を図った。私の故郷、中国内モンゴル自治区に下放されていた中国内地の元紅衛兵たちもはるばると南下してビルマに陸続と入っていった。
76年に毛が死去したのに伴い、「世界革命」も単なる幻想に終わると、元紅衛兵たちはそのままコーカンに定着。武器を手にしたケシ栽培民に姿を変えた。
中国人に「リトル・マカオ」との愛称で呼ばれているコーカンは実質的に中国内地の都市と何ら変わらない。漢字の看板が立ち並び、中国語が響き渡る。携帯は中国移動(チャイナ・モバイル)の電波に頼っているし、学校の教科書も隣の雲南省で印刷製本されたもの。店に入ればカジノだけでなくドラッグも満喫でき、土日になると中国人が殺到して「爆買い」する。もっとも、この地で産出される違法ドラッグは雲南を経由して日本にも流入してきている。
「コーカンの中国系武装勢力の装備が急激に改良され、強くなってきたのは事実。しかし、彼らだけで政府に抵抗できない」と、イギリス統治時代から政府軍と戦ってきた勇猛果敢なカチン族の幹部らは分析する。既に雲南軍区に属する人民解放軍の兵士が潜入したとの情報もある。「コーカンは中華民族の領土。毛のようにわれわれを見殺しにしないで」と、現地の指導者は華僑のネットワークを利用して中国への編入を求めている。
中国の干渉を許す口実も確かにある。ミャンマーのテイン・セイン大統領による脱中国依存政策だ。中国による南シナ海での強硬姿勢が世界の不安定化の一因となっている現在、毛時代に下放青年だった習がいかなる姿勢で臨むかが注目される。
[2015.3.10号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)
中国の新浪ネットや微博(ウェイボー)では「コーカンは東南アジアのクリミア」「強大な中華民族の積極的な干渉を」と書き込まれた。退役軍人によるサイト「中国軍事論壇」では「コーカンの親中派を訓練し、武器弾薬も提供すべきだ」との論調も見られた。
人民日報系の「環球時報」紙は「クリミアに例えるのは滑稽だ」と社説で当局の関与を否定したが、外務省報道官はいつもの甲高い声で「政府は事態の推移を注視している」と発言。政府の御用新聞らしからぬ弱気な論調は報道官の姿勢と奇妙にも食い違っており、かえって紛争の激化に中国の謀略が働いているのではと勘繰らざるを得ない。
ネット世論を政権維持に利用する共産党政権の下では、基本的に政府の意向を反映した記事しか掲載できない。実際にはクリミアに例えたネット投稿は今なお黙認されており、習近平(シー・チンピン)国家主席も「友達プーチン」のまねをする可能性は否定できない。
ドラッグに群がる中国人
約2000平方キロと大阪府ほどの広さのコーカンには約16万人の住民が暮らすが、そのうちの14万人は中国系。もともと土司と称する首長に統治されていたが、土司は清朝政府に貢ぎ物をして、任命権を獲得して権威づくりに利用してきた。清朝崩壊後に現れた中華民国は一時、自国領だと主張したが土司側とビルマ政府の反対に遭った。
第二次大戦時、旧日本軍と盟友関係を締結し日本名も有していたネ・ウィンは、終戦間際にビルマ族中心の軍隊を結成。戦後は中国人民解放軍と共同作戦を展開し、国共内戦から逃れてきた中華民国の敗残兵を殲滅した。ネ・ウィンの協力に毛沢東は大いに感謝し、コーカンをビルマ領として正式に認めた。
毛は世界革命を発動しようとして66年に文化大革命を発動。「古くからの友人ネ・ウィン」を切り捨て、ビルマ共産党支持に舵を切った。一方、コーカンの中国系住民たちは親台湾の態度を取り、反共基地に変貌。毛は紅衛兵を侵入させて政権転覆を図った。私の故郷、中国内モンゴル自治区に下放されていた中国内地の元紅衛兵たちもはるばると南下してビルマに陸続と入っていった。
76年に毛が死去したのに伴い、「世界革命」も単なる幻想に終わると、元紅衛兵たちはそのままコーカンに定着。武器を手にしたケシ栽培民に姿を変えた。
中国人に「リトル・マカオ」との愛称で呼ばれているコーカンは実質的に中国内地の都市と何ら変わらない。漢字の看板が立ち並び、中国語が響き渡る。携帯は中国移動(チャイナ・モバイル)の電波に頼っているし、学校の教科書も隣の雲南省で印刷製本されたもの。店に入ればカジノだけでなくドラッグも満喫でき、土日になると中国人が殺到して「爆買い」する。もっとも、この地で産出される違法ドラッグは雲南を経由して日本にも流入してきている。
「コーカンの中国系武装勢力の装備が急激に改良され、強くなってきたのは事実。しかし、彼らだけで政府に抵抗できない」と、イギリス統治時代から政府軍と戦ってきた勇猛果敢なカチン族の幹部らは分析する。既に雲南軍区に属する人民解放軍の兵士が潜入したとの情報もある。「コーカンは中華民族の領土。毛のようにわれわれを見殺しにしないで」と、現地の指導者は華僑のネットワークを利用して中国への編入を求めている。
中国の干渉を許す口実も確かにある。ミャンマーのテイン・セイン大統領による脱中国依存政策だ。中国による南シナ海での強硬姿勢が世界の不安定化の一因となっている現在、毛時代に下放青年だった習がいかなる姿勢で臨むかが注目される。
[2015.3.10号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)