エジプトがリビアを空爆し、チュニジアで博物館が襲撃され、イラクで「イスラーム国」(IS)が占拠したティクリートへの奪還作戦が進行し、それに米軍が空爆で参加し、サウディアラビアがイエメンを空爆する。
全中東中で戦争が同時多発的に進行し、一体これはどういう方向に行くのだろうと、五里霧中感の蔓延する中、3月28日、エジプトのシャルム・シェイクで開催されたアラブ連盟首脳会議が、ひとつの方針を明らかにした。「アラブ諸国がかつてない危機に晒されているので、アラブ合同軍を創立する」との方針だ。
アラブ連盟が機能不全に陥って、長い。古くはエジプトが、1978年イスラエルとの単独和平に走ったとき、同年イラクのバグダードで開催された首脳会議で、連盟からの追放を決定された。その後湾岸戦争前夜には、イラク側につくかイラクに占領されたクウェート側につくか(つまりクウェートを支持する米国につくか)で連盟は二分され、その時にはすでに連盟に復帰していたエジプトが主催国として、半ば強引にイラク非難決議を押し通して分裂した。当時のテレビ番組を見ると、平然と議事を進めようとするムバーラク・エジプト大統領に対して、リビアのカダフィ大佐が、「なんだこれは、こんな決め方あるか」と拳を振り上げて抗議する様子が映されている。
以降、「アラブ」の理念でアラブ諸国がまとまることはなく、アラブ連盟が掲げた「アラブの連帯」は机上の空論と見なされてきた。その分、人々の心をつなぎとめるものは、「アラブ」という民族的共通性ではなく、「イスラーム」という宗教的共通性となり、イスラームを掲げた政党が政治を動かしてきた。
それが、ここにきて連帯を強め、合同軍まで結成しようとしている。これはかつての「アラブの連帯」意識が復活したということなのか。
アラブ合同軍の創設が謳われた直接の原因には、ホーシー派の進撃により政権が瓦解し、首都すらもサナアからアデンに移されるという混乱状態のイエメンに対して、3月26日からサウディアラビアが軍事介入を開始したことがある。ホーシー派はシーア派の宗教一族が率いる反政府派で、2014年から急速に勢いを増していたが、今年1月に首相府を包囲してハーディー大統領を辞任に追い込み、実質的にイエメンの実効権力を奪取した。隣国の大国サウディアラビアが、追放されたハーディ政権を支えるとの理由で、ホーシー派支配に釘を刺したのが、今回の空爆である。基本的に強力な自国軍をあえて育成してこなかった(つまり外国軍に依存していた)サウディアラビアが、他国に対する軍事行為を積極的に行うこと自体、極めて異例だ――米軍に求められてうわべだけ軍事参加したり、裏で代理戦争を画策するようなことは、過去にもあったが。
サウディがそこまで決意した原因として、シーア派たるホーシー派の進出の背景にイランの影響力強化を危惧しただろうことは疑いがない。おりしもイラクでは、ISに制圧されていたスンナ派の都市ティクリートに、政府部隊が総攻撃をかけている最中だ。政府が動員した部隊は、シーア派宗教界の鶴の一声で結集したシーア派の民間人をかき集めた義勇兵部隊(民衆動員組織と呼ばれる)で、イランの革命防衛隊が陰に陽に、指揮、訓練している。シーア派の義勇兵が「祖国を守った英雄」視され、ますますイラクは、シーア派主導、イランとの二人三脚が当たり前の国になっていく。そんなイラクに加えて、イエメンまでシーア派=イランが迫ってきてはたまらない、というのが、サウディアラビアが抱える危機意識だろう。
そう考えれば、アラブ連盟が作る合同軍の仮想敵は「シーア派=イラン」なのだろうか。「アラブの連帯」といいながら、その実目指しているものは、「スンナ派の連帯」になってしまうのか。そういえば、1980年、前年成立したイラン革命に危機感を抱き、イラクがイランに仕掛けたイラン・イラク戦争も、「アラブの地」を「非アラブのイラン」から守る、と称して行われたものだった。シーア派陣営にイラクが飲み込まれてしまった今、そのかわりをサウディアラビアがアラブ連盟をバックにやろうとしているのか。
とはいえ、アラブ合同軍を主張する国々は、それほど一枚岩なわけではない。そもそもエジプトが同案を主張したのは、2月、リビアでエジプト人キリスト教徒たちがISに殺害された結果、エジプト軍がISのリビア拠点を空爆したのが契機だ。その場合の仮想敵は、リビアなどエジプト周辺のイスラーム武装組織(スンナ派)になる。アメリカはといえば、こうした動きがシリアのIS征伐に寄与してくれればと考えている。
つまるところ、各国が各国それぞれの考える仮想敵を退治するために、動員できる合同軍が欲しい、ということに過ぎない。そんな個々の国益を「アラブ」とか「イスラーム」といった大きな枠組みで覆い隠して正当化しようというのは、アラブ連盟がバラバラになり始めた1978年の状況から、たいして変わるところはない。
ところで、最後に気になることをひとつ。エジプトであれ、サウディであれ、正規軍が動いている。つまり、戦争をしている。
中東では、アラブ諸国同士が直接戦火を交えることは、これまでなかった。1973年までの戦争はアラブ諸国と非アラブのイスラエルの間で、1988年まではイラクと非アラブのイランの間で、1990年以降はイラクとアメリカとの間で、行われてきたにすぎない。湾岸戦争でイラクと戦ったアラブ諸国はあるが(エジプトやサウディ、シリアなど)、アラブ諸国同士の闘いというより、米軍に恩を売るための参戦でしかなかった。そして、各国とも自国の軍を動かすのは、国内の反政府勢力を鎮圧したり「対テロ戦争」に起用したりなど、国内向けの場合が多かった。
それが今、自国の利益に基づいて、各国が軍を隣国に向けているのである。アラブ諸国は、「テロ」や「内戦」の時代から、これまで見たこともない同時多発「戦争」の時代に突入したのだろうか。
全中東中で戦争が同時多発的に進行し、一体これはどういう方向に行くのだろうと、五里霧中感の蔓延する中、3月28日、エジプトのシャルム・シェイクで開催されたアラブ連盟首脳会議が、ひとつの方針を明らかにした。「アラブ諸国がかつてない危機に晒されているので、アラブ合同軍を創立する」との方針だ。
アラブ連盟が機能不全に陥って、長い。古くはエジプトが、1978年イスラエルとの単独和平に走ったとき、同年イラクのバグダードで開催された首脳会議で、連盟からの追放を決定された。その後湾岸戦争前夜には、イラク側につくかイラクに占領されたクウェート側につくか(つまりクウェートを支持する米国につくか)で連盟は二分され、その時にはすでに連盟に復帰していたエジプトが主催国として、半ば強引にイラク非難決議を押し通して分裂した。当時のテレビ番組を見ると、平然と議事を進めようとするムバーラク・エジプト大統領に対して、リビアのカダフィ大佐が、「なんだこれは、こんな決め方あるか」と拳を振り上げて抗議する様子が映されている。
以降、「アラブ」の理念でアラブ諸国がまとまることはなく、アラブ連盟が掲げた「アラブの連帯」は机上の空論と見なされてきた。その分、人々の心をつなぎとめるものは、「アラブ」という民族的共通性ではなく、「イスラーム」という宗教的共通性となり、イスラームを掲げた政党が政治を動かしてきた。
それが、ここにきて連帯を強め、合同軍まで結成しようとしている。これはかつての「アラブの連帯」意識が復活したということなのか。
アラブ合同軍の創設が謳われた直接の原因には、ホーシー派の進撃により政権が瓦解し、首都すらもサナアからアデンに移されるという混乱状態のイエメンに対して、3月26日からサウディアラビアが軍事介入を開始したことがある。ホーシー派はシーア派の宗教一族が率いる反政府派で、2014年から急速に勢いを増していたが、今年1月に首相府を包囲してハーディー大統領を辞任に追い込み、実質的にイエメンの実効権力を奪取した。隣国の大国サウディアラビアが、追放されたハーディ政権を支えるとの理由で、ホーシー派支配に釘を刺したのが、今回の空爆である。基本的に強力な自国軍をあえて育成してこなかった(つまり外国軍に依存していた)サウディアラビアが、他国に対する軍事行為を積極的に行うこと自体、極めて異例だ――米軍に求められてうわべだけ軍事参加したり、裏で代理戦争を画策するようなことは、過去にもあったが。
サウディがそこまで決意した原因として、シーア派たるホーシー派の進出の背景にイランの影響力強化を危惧しただろうことは疑いがない。おりしもイラクでは、ISに制圧されていたスンナ派の都市ティクリートに、政府部隊が総攻撃をかけている最中だ。政府が動員した部隊は、シーア派宗教界の鶴の一声で結集したシーア派の民間人をかき集めた義勇兵部隊(民衆動員組織と呼ばれる)で、イランの革命防衛隊が陰に陽に、指揮、訓練している。シーア派の義勇兵が「祖国を守った英雄」視され、ますますイラクは、シーア派主導、イランとの二人三脚が当たり前の国になっていく。そんなイラクに加えて、イエメンまでシーア派=イランが迫ってきてはたまらない、というのが、サウディアラビアが抱える危機意識だろう。
そう考えれば、アラブ連盟が作る合同軍の仮想敵は「シーア派=イラン」なのだろうか。「アラブの連帯」といいながら、その実目指しているものは、「スンナ派の連帯」になってしまうのか。そういえば、1980年、前年成立したイラン革命に危機感を抱き、イラクがイランに仕掛けたイラン・イラク戦争も、「アラブの地」を「非アラブのイラン」から守る、と称して行われたものだった。シーア派陣営にイラクが飲み込まれてしまった今、そのかわりをサウディアラビアがアラブ連盟をバックにやろうとしているのか。
とはいえ、アラブ合同軍を主張する国々は、それほど一枚岩なわけではない。そもそもエジプトが同案を主張したのは、2月、リビアでエジプト人キリスト教徒たちがISに殺害された結果、エジプト軍がISのリビア拠点を空爆したのが契機だ。その場合の仮想敵は、リビアなどエジプト周辺のイスラーム武装組織(スンナ派)になる。アメリカはといえば、こうした動きがシリアのIS征伐に寄与してくれればと考えている。
つまるところ、各国が各国それぞれの考える仮想敵を退治するために、動員できる合同軍が欲しい、ということに過ぎない。そんな個々の国益を「アラブ」とか「イスラーム」といった大きな枠組みで覆い隠して正当化しようというのは、アラブ連盟がバラバラになり始めた1978年の状況から、たいして変わるところはない。
ところで、最後に気になることをひとつ。エジプトであれ、サウディであれ、正規軍が動いている。つまり、戦争をしている。
中東では、アラブ諸国同士が直接戦火を交えることは、これまでなかった。1973年までの戦争はアラブ諸国と非アラブのイスラエルの間で、1988年まではイラクと非アラブのイランの間で、1990年以降はイラクとアメリカとの間で、行われてきたにすぎない。湾岸戦争でイラクと戦ったアラブ諸国はあるが(エジプトやサウディ、シリアなど)、アラブ諸国同士の闘いというより、米軍に恩を売るための参戦でしかなかった。そして、各国とも自国の軍を動かすのは、国内の反政府勢力を鎮圧したり「対テロ戦争」に起用したりなど、国内向けの場合が多かった。
それが今、自国の利益に基づいて、各国が軍を隣国に向けているのである。アラブ諸国は、「テロ」や「内戦」の時代から、これまで見たこともない同時多発「戦争」の時代に突入したのだろうか。