4月は、イラクにまつわる記念日が多い。
4月9日はイラク戦争でのバグダード陥落の日で、12年前のこの日、米軍の戦車が凱旋するなか、首都の繁華街の中心にあったサッダーム・フセインの銅像が引き倒された。実はそれから23年前の同じ日、今の政権与党のダアワ党の創設者で、イラクのシーア派イスラーム思想の父と言われるムハンマド・バーキル・サドルが、フセイン政権によって処刑された。正確には一日前らしいが、多くのイラク人の間で同じ日だと認識されている。なので、イラク戦争以降この日がくると、「サドルが殺された日にフセイン政権が倒れた」と、ザマアミロ的なツイッターが、毎年行き交う。
一方、今では一顧だにされないが、その2日前の7日は、フセイン政権が寄って立っていたバアス党の創立記念日だ。
さて、今年のバアス党創立記念日に向けて、少し変わった出来事が起きた。旧フセイン政権時代のバアス党ナンバー2だったイッザト・イブラヒームが、昨年の7月以来9か月振りに、YouTubeに音声メッセージを公開したのである。本物かどうかは、確証がない。
戦後ずっと行方の知れない彼は、「ナクシュバンディー教団軍」という名で旧体制勢力を率いて、反米、反政府活動を展開してきた。昨年6月に「イスラーム国」(以下、ISと略)がイラクの一部を制圧した時には、ナクシュバンディー軍が行動を共にしていたと言われている。なるほど、ISが1日でモースルを陥落させ、1週間程度で首都近くまで迫ることができたのは、イラク国内の軍事情報に相当通じた戦闘のプロがいたからに違いない、とは、当時しばしばいわれたことだ。
だが、そのナクシュバンディー軍は、1か月後の7月にはISと袂を分かっている。独自の「イスラーム」理念に基づいて厳格なイスラーム統治を強いるISと異なり、旧バアス党の再生ともいえるナクシュバンディー軍は、社会主義や汎アラブ主義を掲げてイラクでの権力奪還を目指す集団だ。袂を分かった後に、ナクシュバンディー軍が「ISはなぜイスラエルを攻撃しないのか」といった声明を出したことがあるが、ISがサイクス・ピコ協定を糾弾し、西欧列強の定めた国境を否定するなら、なによりもその産物であるイスラエルを最大の批判対象にするはずじゃないか、という感想は、アラブ・ナショナリストのみならず多くのアラブ、イスラーム諸国の人々がISに対して抱くものだ。
4月6日のイッザト・イブラヒームのメッセージは、ISからの距離を一層広げている。演説の全体のトーンは、フセイン政権時代を彷彿とさせる「アラブ・ナショナリズム万歳、社会主義万歳」で、イラン、米国、イスラエルを最大の敵とする。まさしく、イラン・イラク戦争を戦っていたときのフセイン政権の、戦争プロパガンダそのものだ。
それが、このメッセージのうまいところだろう。イラク国内のみならず、アラブ社会に深く突き刺さるタイミングをうまく掴んでいる。イラクでは、ISに9か月支配されていたティクリートが、4月初めに解放された。ティクリートといえば、サッダーム・フセインの生まれた土地である。イッザト・イブラヒームの生地であるドゥールも、近い。
今月初め、前政権特権層の故郷というイメージがつきまとうこの街に、イラン革命防衛隊司令官が指導、訓練したシーア派イラク人志願兵の集団、「民衆動員機構」が中心となってなだれ込み、1か月弱の攻防戦の結果、居座るISを追い出した。途中、イランばかりに成果を持っていかれてたまるかとばかり、アメリカが空爆でティクリート解放作戦をサポートしたり、スンナ派部族も「民衆動員機構」に加わったりと、「イラク一丸となって戦う」ムードが打ち出された。だが、ISからティクリートを解放したのは、基本的にはシーア派民兵の「愛国的行動」だった。
そのことで、イラク国内で再び宗派間の緊張が高まるのでは、との懸念が深刻化している。救国のヒーロー、シーア派民兵に対して、ISに寝返ったスンナ派住民、というイメージが広がっているのだ。ティクリートの住民が、解放後シーア派民兵の略奪に悩まされている、といった報道もある。そんななかで、イッザト・イブラヒーム率いる旧バアス党が、ISと距離を置いて繰り広げる「イランけしからん」の議論は、ISにもシーア派民兵にも反感を抱く人々の間には、浸透しやすい。
浸透しやすいのは、アラブ諸国においてもだ。ナクシュバンディー軍は3月26日にも書簡の形でメッセージを出しているが、そこでは「(非アラブの)イランに対して、各国は王国だろうと首長国だろうと共和国だろうと、共闘すべきだ」と主張している。ラブコールの対象にサウディアラビアが上がっているのは、イランの支援を受けていると言われるホーシー派を目の敵にして、イエメン空爆を続けていることを受けてだろう。4月の音声メッセージでは、ヨルダンへの支持を強調して、ヨルダン人パイロットを惨殺したISを批判している。かつての同盟相手なのに!
実際、サウディアラビアはイエメン空爆に仲間を求めて、エジプトやパキスタンに参加を要請している。パキスタンは議会が拒否したが、サウディとパキスタンといえば、ソ連軍占領下のアフガニスタンでイスラーム義勇兵を養成してきた、古くからの共闘相手だ。
そう、まさに1979年という、イラン革命とソ連のアフガニスタン侵攻が起きたときに組まれたタッグが、イランという存在を前に復活している。その機会をとらえて、対イラン共闘体制の核にあったイラクの旧体制、バアス党が、存在感をアピールしているのだ。イランに対抗しつつ、でもISを支援するわけにいかないとなると、便利なのは世俗主義のアラブ・ナショナリストでしょ、と。
前回のコラムで、アラブ合同軍の創設のニュースに触れた。「アラブの連帯」が復活するなら黙っていないのが、アラブ・ナショナリズムのかつての旗手バアス党なのかもしれない。ISやイランやムスリム同胞団など、イスラーム主義者をすべて厄介者として退治するには、バアス党を再生させるのもいいかも、などと、サウディやエジプトやヨルダンが思い至ったりして。
4月9日はイラク戦争でのバグダード陥落の日で、12年前のこの日、米軍の戦車が凱旋するなか、首都の繁華街の中心にあったサッダーム・フセインの銅像が引き倒された。実はそれから23年前の同じ日、今の政権与党のダアワ党の創設者で、イラクのシーア派イスラーム思想の父と言われるムハンマド・バーキル・サドルが、フセイン政権によって処刑された。正確には一日前らしいが、多くのイラク人の間で同じ日だと認識されている。なので、イラク戦争以降この日がくると、「サドルが殺された日にフセイン政権が倒れた」と、ザマアミロ的なツイッターが、毎年行き交う。
一方、今では一顧だにされないが、その2日前の7日は、フセイン政権が寄って立っていたバアス党の創立記念日だ。
さて、今年のバアス党創立記念日に向けて、少し変わった出来事が起きた。旧フセイン政権時代のバアス党ナンバー2だったイッザト・イブラヒームが、昨年の7月以来9か月振りに、YouTubeに音声メッセージを公開したのである。本物かどうかは、確証がない。
戦後ずっと行方の知れない彼は、「ナクシュバンディー教団軍」という名で旧体制勢力を率いて、反米、反政府活動を展開してきた。昨年6月に「イスラーム国」(以下、ISと略)がイラクの一部を制圧した時には、ナクシュバンディー軍が行動を共にしていたと言われている。なるほど、ISが1日でモースルを陥落させ、1週間程度で首都近くまで迫ることができたのは、イラク国内の軍事情報に相当通じた戦闘のプロがいたからに違いない、とは、当時しばしばいわれたことだ。
だが、そのナクシュバンディー軍は、1か月後の7月にはISと袂を分かっている。独自の「イスラーム」理念に基づいて厳格なイスラーム統治を強いるISと異なり、旧バアス党の再生ともいえるナクシュバンディー軍は、社会主義や汎アラブ主義を掲げてイラクでの権力奪還を目指す集団だ。袂を分かった後に、ナクシュバンディー軍が「ISはなぜイスラエルを攻撃しないのか」といった声明を出したことがあるが、ISがサイクス・ピコ協定を糾弾し、西欧列強の定めた国境を否定するなら、なによりもその産物であるイスラエルを最大の批判対象にするはずじゃないか、という感想は、アラブ・ナショナリストのみならず多くのアラブ、イスラーム諸国の人々がISに対して抱くものだ。
4月6日のイッザト・イブラヒームのメッセージは、ISからの距離を一層広げている。演説の全体のトーンは、フセイン政権時代を彷彿とさせる「アラブ・ナショナリズム万歳、社会主義万歳」で、イラン、米国、イスラエルを最大の敵とする。まさしく、イラン・イラク戦争を戦っていたときのフセイン政権の、戦争プロパガンダそのものだ。
それが、このメッセージのうまいところだろう。イラク国内のみならず、アラブ社会に深く突き刺さるタイミングをうまく掴んでいる。イラクでは、ISに9か月支配されていたティクリートが、4月初めに解放された。ティクリートといえば、サッダーム・フセインの生まれた土地である。イッザト・イブラヒームの生地であるドゥールも、近い。
今月初め、前政権特権層の故郷というイメージがつきまとうこの街に、イラン革命防衛隊司令官が指導、訓練したシーア派イラク人志願兵の集団、「民衆動員機構」が中心となってなだれ込み、1か月弱の攻防戦の結果、居座るISを追い出した。途中、イランばかりに成果を持っていかれてたまるかとばかり、アメリカが空爆でティクリート解放作戦をサポートしたり、スンナ派部族も「民衆動員機構」に加わったりと、「イラク一丸となって戦う」ムードが打ち出された。だが、ISからティクリートを解放したのは、基本的にはシーア派民兵の「愛国的行動」だった。
そのことで、イラク国内で再び宗派間の緊張が高まるのでは、との懸念が深刻化している。救国のヒーロー、シーア派民兵に対して、ISに寝返ったスンナ派住民、というイメージが広がっているのだ。ティクリートの住民が、解放後シーア派民兵の略奪に悩まされている、といった報道もある。そんななかで、イッザト・イブラヒーム率いる旧バアス党が、ISと距離を置いて繰り広げる「イランけしからん」の議論は、ISにもシーア派民兵にも反感を抱く人々の間には、浸透しやすい。
浸透しやすいのは、アラブ諸国においてもだ。ナクシュバンディー軍は3月26日にも書簡の形でメッセージを出しているが、そこでは「(非アラブの)イランに対して、各国は王国だろうと首長国だろうと共和国だろうと、共闘すべきだ」と主張している。ラブコールの対象にサウディアラビアが上がっているのは、イランの支援を受けていると言われるホーシー派を目の敵にして、イエメン空爆を続けていることを受けてだろう。4月の音声メッセージでは、ヨルダンへの支持を強調して、ヨルダン人パイロットを惨殺したISを批判している。かつての同盟相手なのに!
実際、サウディアラビアはイエメン空爆に仲間を求めて、エジプトやパキスタンに参加を要請している。パキスタンは議会が拒否したが、サウディとパキスタンといえば、ソ連軍占領下のアフガニスタンでイスラーム義勇兵を養成してきた、古くからの共闘相手だ。
そう、まさに1979年という、イラン革命とソ連のアフガニスタン侵攻が起きたときに組まれたタッグが、イランという存在を前に復活している。その機会をとらえて、対イラン共闘体制の核にあったイラクの旧体制、バアス党が、存在感をアピールしているのだ。イランに対抗しつつ、でもISを支援するわけにいかないとなると、便利なのは世俗主義のアラブ・ナショナリストでしょ、と。
前回のコラムで、アラブ合同軍の創設のニュースに触れた。「アラブの連帯」が復活するなら黙っていないのが、アラブ・ナショナリズムのかつての旗手バアス党なのかもしれない。ISやイランやムスリム同胞団など、イスラーム主義者をすべて厄介者として退治するには、バアス党を再生させるのもいいかも、などと、サウディやエジプトやヨルダンが思い至ったりして。