遊牧民の男が羊の群れを追って河辺にやって来た。近くの工場で働く中国人たちが水に向かって小便しているのを見つけて、穏やかに注意した。
水源を汚す者には死刑を科す。これは古今東西を問わず、ユーラシアの乾燥地帯の知恵から生まれた鉄則だ。ところが彼らは謙虚に謝るどころか、遊牧民の男に殴り掛かった。数日後、草原の民は馬に乗って中国大使館を包囲し、説明を求める騒ぎに発展した。3年ほど前、モンゴルの首都ウランバートルでの一幕である。
ほぼ同じようなことが先月、またもやモンゴル北東部で起こった。ブルハンガルドンという山に無断で登ろうとした中国人たちと、彼らの侵入を制止しようとした地元の遊牧民が衝突。在ウランバートル中国大使館と北京当局が「極右の民族主義団体の襲撃を受けた」と事実を歪曲して大きく喧伝したことで、ウランバートル市長も謝罪を強いられる事態となった。
ブルハンガルドンはモンゴル語で「神なる山」の意。遊牧民が紀元前の匈奴時代から神聖視してきた「御嶽(おんたけ)」だ。チンギス・ハンと元朝歴代の皇帝が永眠する場所もここにあるとみられている。事実、14世紀以降に神山の周辺一帯に設けられた立ち入り禁止の区域は今日まで制限が続いてきた。
国の南半分が抑圧下に
宗教が完全に否定されていた20世紀の社会主義時代でさえ、この区域に入ろうとするモンゴル人共産主義者はいなかった。日本の大手新聞社が衛星探査機を駆使してチンギス・ハンの墓を発見しようと90年代初頭に「科学探検」活動を組織したときも、静かな抗議活動が起きた。
モンゴルの「御嶽」に無断で接近することは民族の魂が侮辱されたも同然、と遊牧民は理解している。ましてや、その墓廟のある「御嶽」に中国人が踏み入るのはもってのほか──今回の出来事には、モンゴルと中国をめぐる深刻な背景がある。
草原の国の地下にはウランやレアアース、石炭と石油など豊富な資源が眠る。モンゴルの心ある人たちは日本やカナダの企業にクリーンな開発を委ねようとするが、有力な国会議員はチャイナマネーに買収され、鉱物採掘権も中国企業に譲渡された。中国企業は環境に一切配慮しない乱開発の手法を導入して、資源を略奪して自国へと運ぶ。
モンゴルの鉱山であるにもかかわらず、地元の雇用促進にもつながらない。中国から大挙してやって来た中国人労働者はゴミを草原に捨てて環境を汚染し、都市部に現れた中国人ビジネスマンは公然と女性の性を買う。まるで植民地宗主国出身者のような振る舞いがモンゴルの民族主義を刺激している。
今のモンゴルが置かれている状況は19世紀末から20世紀初頭までの近代史と似ている。中国人商人が資金と人脈を駆使して貿易を独占し、モンゴルの脆弱な経済を牛耳っていた時代だ。疲弊し切った遊牧民は武装蜂起をして清朝から独立を宣言。ソ連革命と連動して世界第2の社会主義国家の誕生を1924年に実現した。
モンゴルの一部が国家として独立して90年余り。民族自決の夢はまだ道半ばだ。モンゴル民族の半分、すなわち南半分の内モンゴル自治区に暮らす同胞はまだ中国の抑圧下にある。ニューヨークに本部を置く南モンゴル人権情報センターはほぼ毎日のように、モンゴル人の草原が中国に占領されて、貧困のどん底に追い込まれている状況を世界に伝えている。
内モンゴル自治区における中国の強権的な統治手法が国境を越えて自国に波及するのをモンゴル人は危惧する。未解放の内モンゴルの同胞と同じように再び中国の植民地に転落するのではないか、との危機感をモンゴル国民は共有している。
草原の普通の遊牧民を「極右の民族主義団体」だと誇張する中国からは、虎視眈々と周辺国をねじ伏せようとする野心が見えてくる。
[2015.4.21号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)
水源を汚す者には死刑を科す。これは古今東西を問わず、ユーラシアの乾燥地帯の知恵から生まれた鉄則だ。ところが彼らは謙虚に謝るどころか、遊牧民の男に殴り掛かった。数日後、草原の民は馬に乗って中国大使館を包囲し、説明を求める騒ぎに発展した。3年ほど前、モンゴルの首都ウランバートルでの一幕である。
ほぼ同じようなことが先月、またもやモンゴル北東部で起こった。ブルハンガルドンという山に無断で登ろうとした中国人たちと、彼らの侵入を制止しようとした地元の遊牧民が衝突。在ウランバートル中国大使館と北京当局が「極右の民族主義団体の襲撃を受けた」と事実を歪曲して大きく喧伝したことで、ウランバートル市長も謝罪を強いられる事態となった。
ブルハンガルドンはモンゴル語で「神なる山」の意。遊牧民が紀元前の匈奴時代から神聖視してきた「御嶽(おんたけ)」だ。チンギス・ハンと元朝歴代の皇帝が永眠する場所もここにあるとみられている。事実、14世紀以降に神山の周辺一帯に設けられた立ち入り禁止の区域は今日まで制限が続いてきた。
国の南半分が抑圧下に
宗教が完全に否定されていた20世紀の社会主義時代でさえ、この区域に入ろうとするモンゴル人共産主義者はいなかった。日本の大手新聞社が衛星探査機を駆使してチンギス・ハンの墓を発見しようと90年代初頭に「科学探検」活動を組織したときも、静かな抗議活動が起きた。
モンゴルの「御嶽」に無断で接近することは民族の魂が侮辱されたも同然、と遊牧民は理解している。ましてや、その墓廟のある「御嶽」に中国人が踏み入るのはもってのほか──今回の出来事には、モンゴルと中国をめぐる深刻な背景がある。
草原の国の地下にはウランやレアアース、石炭と石油など豊富な資源が眠る。モンゴルの心ある人たちは日本やカナダの企業にクリーンな開発を委ねようとするが、有力な国会議員はチャイナマネーに買収され、鉱物採掘権も中国企業に譲渡された。中国企業は環境に一切配慮しない乱開発の手法を導入して、資源を略奪して自国へと運ぶ。
モンゴルの鉱山であるにもかかわらず、地元の雇用促進にもつながらない。中国から大挙してやって来た中国人労働者はゴミを草原に捨てて環境を汚染し、都市部に現れた中国人ビジネスマンは公然と女性の性を買う。まるで植民地宗主国出身者のような振る舞いがモンゴルの民族主義を刺激している。
今のモンゴルが置かれている状況は19世紀末から20世紀初頭までの近代史と似ている。中国人商人が資金と人脈を駆使して貿易を独占し、モンゴルの脆弱な経済を牛耳っていた時代だ。疲弊し切った遊牧民は武装蜂起をして清朝から独立を宣言。ソ連革命と連動して世界第2の社会主義国家の誕生を1924年に実現した。
モンゴルの一部が国家として独立して90年余り。民族自決の夢はまだ道半ばだ。モンゴル民族の半分、すなわち南半分の内モンゴル自治区に暮らす同胞はまだ中国の抑圧下にある。ニューヨークに本部を置く南モンゴル人権情報センターはほぼ毎日のように、モンゴル人の草原が中国に占領されて、貧困のどん底に追い込まれている状況を世界に伝えている。
内モンゴル自治区における中国の強権的な統治手法が国境を越えて自国に波及するのをモンゴル人は危惧する。未解放の内モンゴルの同胞と同じように再び中国の植民地に転落するのではないか、との危機感をモンゴル国民は共有している。
草原の普通の遊牧民を「極右の民族主義団体」だと誇張する中国からは、虎視眈々と周辺国をねじ伏せようとする野心が見えてくる。
[2015.4.21号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)