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【写真特集】道1本を挟んだ宗派抗争

ニューズウィーク日本版 2015年5月21日 17時18分

 レバノン北部のトリポリは同国第2の都市であると同時に、宗派対立に翻弄されてきた貧困地域だ。人口約50万人のうち8割がイスラム教スンニ派、1割ほどがシーア派の分派アラウィ派に属している。

「シリア・ストリート」と呼ばれる道を挟み、一方のバーブ・タッバーネ地区にはスンニ派が、もう一方のジャバル・モフセン地区にはアラウィ派が居住する。通りに隣国シリアの名がつけられているのには理由がある。アサド政権(アラウィ派)との関係によって、トリポリは歴史的に分断されてきたからだ。



 最も大きな衝突が起きたのは、75年に始まったレバノン内戦時。シリア軍の支援を受けたアラウィ派がスンニ派民兵組織タウヒードと戦った。86年にはシリア軍がタウヒード兵を虐殺する事件が起き、両派に禍根を残した。

 その後も宗派抗争は断続的に勃発していたが、11年に始まったシリア内戦を機に激化している。アラウィ派は当然アサド政権を支援し、スンニ派は反体制派の味方に。先月にもアラウィ派地区のカフェで自爆テロが起き、シリアの反体制派が犯行声明を出した。トリポリでも「内戦」が起きているのだ。




ジャバル・モフセン地区のアパートのバルコニーから顔をのぞかせる女性(62)。彼女のアパートはスンニ派地区の真向かいにあり、窓には宗派間の衝突で飛んできた銃弾の痕が残る





トリポリの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に到着したシリア難民。内戦勃発後、あまりに多くの難民が流入して、レバノン政府は14年10月までにシリアとの国境をほぼ封鎖した





レバノン軍の砲撃によって、バーブ・タッバーネ地区の幼稚園の壁にも穴が開いた





スンニ派とアラウィ派の居住区で2つに分断されたトリポリ市内





自動小銃AK47を見せるスンニ派居住区の兵士





トリポリで続く暴力に反対する団体が主催したヒップホップのコンサート





ジャバル・モフセン地区の廃墟ビルに住むマレク・アリ(52)は、宗派抗争で職を失った





自宅へ帰るアラウィ派のアリ・アッシ(53)。スンニ派だった妻を失い、22歳だった息子も殺害された。以来、1人暮らしだ


Photographs by Stefano de Luigi−VII

[本誌2015年3月3日号掲載]

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Photographs by Stefano de Luigi

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