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土着の記憶を魂に響くリズムで

ニューズウィーク日本版 2015年6月17日 15時50分

 二〇一四年十一月、中国では一人の詩人が彗星の如く出現した。その人の名は余秀華という。それまで作品どころか、名前さえ誰も知らない。きっかけはWeChat(漢字は「微信」、日本のLINEに相当する)というソーシャル・メディアでの紹介である。ある人が彼女の詩をWeChatにアップしたら、たちまち世間の注目を集めた。いきなり目に飛び込んできたのは、言葉の曼荼羅である。

 五月は着地を見定めて、天空から垂直に落下した
 長らく見続けた夢は雲から墜落し
 生きている黄金色の中に落ちた

 父はもう一度麦たちをひっくり返した
 内面の湿気は日差しに晒さなければならない
 こうして麦たちはようやくカビの生えない冬に手が届くようになった
 ひっくり返してから、父は一粒の麦を拾い
 神経を集中して噛み砕いた
 すると地上一面に月光が流れ出した

 もしこの脱穀場の麦たちのなかで泳ぐならば
 必ずや身体の枝葉末節と
 抒情のなかのあらゆる形容詞を洗い流すであろう
 心配なのは私のさほど硬くない骨は
 このような黄金色に耐えられないことだ

「ある脱穀場の麦」と題する詩だが、土着的な記憶はメルヘン的な視覚経験として再現されている。研ぎ澄まされた言語感覚、意表を突く形象の連続、魂に響いてくる言葉の流星群。夢幻的情景を通して、都市部の人たちが知らない「農村」の透視画像が浮かび上がってきた。それはいままで誰も知らない世界で、詩の言葉は生との全体的な連関のなかで音楽のように奏でられている。

 余秀華の詩に共鳴した人たちは友人に転送し、相次ぐ転送によって読者は幾何級数的に拡大した。ほどなく、その作品は『詩刊』という現代詩専門誌に掲載され、二〇一五年二月一日、湖南文芸出版社から『ふらふらした世間』、広西師範大学出版社から『月光は左手に落ちる』が同時に刊行された。前者は初刷り一万五千部がたちまち売り切れ、増刷が追い付かない状況が続いた。現代詩が読まれなくなった昨今では想像もできないほどの熱狂ぶりである。記者たちは彼女の自宅に殺到し、原稿依頼のために跪いて懇願する編集者もいたという。

 いったい、余秀華とは何者なのか。

 一九七六年、湖北省の横店村という辺鄙な田舎に生まれた余秀華は、出生時の酸欠が原因で脳性麻痺になり、体に障害が残った。高二のときに学校を中退し、親の取り決めで結婚した。一子をもうけてから、ずっと無職のまま今日に至っている。両親とはほとんど話すことはなく、息子が武漢の大学に進学してからは終日、時間を持て余している。暇つぶしのために詩を書き始めたが、詩という形式にしたのは字数が少なく、障害のある手でも書きやすいからだ。誰かに見せるためではなく、ましてや詩人になろうとはまったく思っていない。ただ、心に鬱積している思いを吐き出すため、筆を動かしただけである。

 余秀華の詩が広く反響を呼んだのには理由があった。まず、挙げられるのは固定化された社会システムに起きた、身分の反転であろう。本来、余秀華はいわゆる「詩人」ではない。それどころか、詩の世界からもっとも遠く離れた、ただの農民である。もともと中国では「農民」は社会の最下位と見なされ、貧困や粗野、愚昧や閉鎖性などとともに語られることが多い。彼らは経済自由化の恩恵をほとんど受けておらず、いまだに劣悪な生存条件を強いられている。

 一方、詩人は特権的な存在である。言論の自由が制限されているため、詩の雑誌も詩集も西側のように自由には出版できない。政府公認の文芸誌に作品が掲載されないかぎり、「詩人」になれない。選別の仕組みはまったく機能していないわけではない。実際、投稿を通してデビューした優れた詩人もいる。ただ、いったん「詩人」になると、問われるのは創作の資質よりも、仲良し集団という空間をワープする能力である。ましてや、市場経済化が実施されてから、詩を取り巻く環境はいっそう厳しくなり、文学の商品化が進むなか、詩人の活躍する場は著しく狭められている。一人の農民にとって投稿を通して詩壇にデビューするのは、豆の木を伝って雲の上に登って行くようなものだ。だが、余秀華の登場は、社会の末端にいる農民がどの詩人も書けない詩を書いたという現実を人々に突きつけた。「詩人」と「農民」という身分の極性の反転に、読者の眼球はグィッと引きつけられた。

 さらに、余秀華が脚光を浴びた理由として、脳性麻痺の後遺症を抱えていることが挙げられる。中国社会ではもともと障害者に対して不寛容で、弱肉強食の競争社会は知的障害を嘲笑するという精神風土の砂漠化をいっそう深刻なものにした。ところが、知的障害者の余秀華の筆からは、凡百の詩人たちがおよそ想像もつかない、虹色の世界が立ち現れた。沸き立つ言葉に包まれた鋭い知性は読者を沈思の深淵に誘い、村落的な想像力の望遠鏡から、見たことのない内面の星空が姿をあらわした。こうして知性の序列の逆転という奇跡が起きた。

 三つ目の理由として、詩の形態を通して、社会的格差という問題を情緒的に経験させたことが挙げられる。余秀華の作品の中でもっとも人気が高く、もっとも多く語られているのは「中国の大半を通り抜けてあなたを寝に行く」(下線は引用者)という詩である。

 (前略)
 私は弾丸雨飛の中をくぐってあなたを寝に行く
 私は無数の暗夜を一つの黎明に押し込んであなたを寝に行く
 無数の私が疾走し一人の私になってあなたを寝に行く

 むろん私も何匹かの蝶々に惑わされ岐路に迷いこんだことがある
 いくつかの讃美を春だと勘違いし
 横店と似た村を故郷と思ったことがある

 しかしそれらは
 すべて私があなたを寝に行く理由である

 十四行からなる詩の後半だが、この作品を読んで多くの読者は反射的に「民工」(出稼ぎ労働者)たちのことを思い出すであろう。出稼ぎ労働者たちは一家を養うために農村を離れ、はるばる異郷に働きに行く。通常、彼らは年に一回しか里帰りすることはできない。この詩では、帰省は家族団らんのためではない。千キロ単位の空間移動は性愛の一点に収斂されている。語り手は単刀直入に「あなたを寝に行く」という。率直というより、野卑な表現である。しかし、洗練さの欠如はここでは身体の困惑と無抵抗な農民たちが晒された精神的な重圧を指し示す隠喩となる。

「あなたを寝に行く」(「去睡你」)という表現は本来、文法的に間違っている。しかし、自動詞の「寝る」が他動詞として使われることで、強烈な情念効果が演出される。統辞法からの逸脱によって、「寝る」という動詞は言葉の壁を突き抜けて、直情の響き合いを起動させる。

 もともと「寝る」ことは農民たちにとって、ごくありふれた生理的な行為に過ぎない。そのような日常は出稼ぎの生活のなかで非日常に転換する。彼ら/彼女らは性愛のなかに避難する権利さえ奪われ、生活権ともいえる「寝る」ことのために、はるばる国土の大半を通り抜けなければならない。「無数の暗夜を一つの黎明に押し込む」ことにも、「無数の私が疾走し一人の私にな(る)」という隠喩にも民工たちのそれぞれの苦悩、それぞれの辛酸が投射されている。

 それにしても、かりに「互聯網」(インターネット)がなかったら、余秀華は如何に才能があっても、歳月の車輪の下に埋もれてしまったであろう。ブログで詩を書き、偶然一人の目利きに見いだされる。匿名の読者たちは熱狂的に転送し、無限連鎖のなかで共感の共同体が形成される。仮想空間だからこそ、著名な「詩人」も無名な農民も違いはなくなってしまう。表現の自由は一%の空間さえあれば、その隙間から雑草が芽を出し、たくましく成長することができる。

 余秀華ブームは果たして長続きするのか。そもそも彼女はこれからも世間を驚かせる詩を書き続けることができるのか。しばらくは目が離せない。

[執筆者]
張 競(明治大学教授)
1953年上海生まれ。華東師範大学卒業、同大学助手を経て1985年に来日。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。近著に『海を越える日本文学』(筑摩書房)、『異文化理解の落とし穴』(岩波書店)、『張競の日本文学診断』(五柳書院)など。

※当記事は「アステイオン82」からの転載記事です



『アステイオン82』
特集「世界言語としての英語」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編 

張 競(明治大学教授)※アステイオン82より転載

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