村上春樹の作品が世界中で人気を博していることはよく知られている。アメリカやイギリス、フランス、ドイツ......それにアジアや南米の国々まで。世界の40を超える言語に翻訳されているのだ。毎年のようにノーベル賞候補に挙げられる村上は、間違いなく現代を代表する世界的作家だろう。
その人気は、ヨーロッパの真ん中に位置し、美しい都プラハを擁するチェコでも変わらない。チェコは人口約1000万人。中欧の小国だが、フランツ・カフカ、カレル・チャペック、ミラン・クンデラなどの偉大な作家を輩出してきた。村上は2006年に、栄誉ある文学賞のフランツ・カフカ賞をプラハで受賞している。
かの地での人気は、文学大国としての土壌ゆえだろうか。それとも国境を超えるハルキ人気の一例にすぎないのか。このほど『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のチェコ語版を刊行し、サントリー文化財団主催のシンポジウム講演者として来日したチェコ語翻訳者のトマーシュ・ユルコヴィッチに聞いた。
――チェコで村上春樹はどのくらい人気があるのか。
英語圏、アジア圏、他のヨーロッパ圏と同様に、チェコにもファンが多い。チェコには私を含めて村上作品の翻訳者が2人いるが、その作品はすでに多くがチェコ語に翻訳されており、村上春樹を知らないチェコ人はほとんどいない。
しかし、それはつい最近のことで、私が大学生だった2000年頃は誰も知らない無名の作家だった。したがってチェコでは、この15年の間に急速に知られるようになった作家といえる。
――なぜ村上作品は世界中で受け入れられているのか。
よく言われることだが、まずはその文体・文章の易しさがあると思う。一般的に海外文学は文化背景の違いから、そのまま翻訳しても意味も文脈も通じないことがあるが、村上作品は逐語訳でほとんど問題がない。
中欧の文学大国で このほど刊行されたチェコ語版『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
私は谷崎潤一郎の本も翻訳しているが、谷崎に限らず、日本文学は言語的に主語や述語、目的語などが曖昧なことが多く、翻訳者泣かせだ。その点、村上の作品は文法的に曖昧なことが少ないため、翻訳中に文脈がつかめないことがほとんどない。
これはチェコ語に限らず、どの言語で訳しても同じことが言えると思う。村上自身が意識しているのだと思うが、積極的にわかりやすい文章にしているのではないか。
――村上作品は「日本文学」なのか。
チェコの読者からよくある反応が、「これは本当に日本の作品なのか?」「日本文化の要素がまったくない」というものだ。川端康成や三島由紀夫の作品のような、いわゆる伝統的な日本が描かれている作品を期待している読者は、少しがっかりするかもしれない。私自身は日本的な要素が描かれている、立派な日本文学だと思っているが......。
ただし、彼自身については日本の作家というよりも、自分で新しいスタイルを作り、強いインパクトを与えて世界で通用している、世界的な作家だと言える。
たとえば『ノルウェイの森』について、ロシア人と中国人とフランス人が共通の話題にすることができる。このように多くの言語に同時に訳され、世界中に多くの読者がいることは本当に驚くべきことだ。
――あなたは1976年生まれだが、日本および日本文学との出会いは?
『アステイオン82』の「世界言語としての英語」特集にも書いたが、私は「鉄のカーテン」に閉ざされた社会主義時代のチェコスロバキアに生まれた。一般市民が外国に行くチャンスはほとんどなかったため、「外の世界」を知る手だてはテレビや本、博物館などしかなかった。
私の両親が美術関係の仕事をしていた影響で、博物館にはよく行く機会があったのだが、中学生の頃にそこで江戸時代の日本の展示を見て、日本に関心をもち始めた。その後、「鉄のカーテン」は取り払われ、チャンスがあれば日本について学びたいと強く思うようになり、カレル大学日本学科に入学した。
大学時代に先生に勧められたのが村上春樹の『羊をめぐる冒険』だった。当時のチェコでは名前も聞いたことのない作家だったので、大学図書館で借りた英語版で読んだ。私はたちまちその世界に引き込まれていき、卒業論文は「村上春樹の世界における光と影の比喩」にしたほどだ。
――翻訳を始めたきっかけは?
2001年、チェコの出版社が村上春樹作品の翻訳者を探すために、私が在籍するカレル大学日本学科に問い合わせをしてきた。聞いたこともない日本人作家の研究をしているということで私はすでに学内では知られていたのだが、「村上春樹の研究をしている学生がいる」と指導教官に出版社を紹介され、そこから私の翻訳家人生が始まった。
ちなみにチェコ国内に村上春樹の翻訳者が2人いるという話を最初にしたが、もう1人は私の大学時代の先輩だ(笑)。
――翻訳の難しさとは?
谷崎潤一郎の『武州公秘話』を訳して出版社に持って行った際、「こんな難解な翻訳では困る。やり直してほしい」と言われた。作品の中の戦国時代の日本語の会話を、チェコ語でそのように訳しただけだったのだが......。
谷崎の世界観を現代チェコ語で訳すのは本当に奇妙なことだと、担当編集者に何度も何度も説明したが、それを理解してもらうのは難しいと感じた。
これも『アステイオン』に書いたが、「自分の経験そのものはそうした経験をしたことがない人には決して伝えられるものではない」ということを身を持って実感した。しかし、個々の作品の世界観を読者に知ってもらうために、翻訳者は日本の伝統芸能のいうところでの「黒子」に徹さなくてならない。
――今後について。
現在、チェコ語に訳されている日本の作品はほんの一部にすぎない。いくつか日本文学の潮流があるが、そのなかでも内田百閒の作品は日本的な作品のひとつだと思っており、ぜひ翻訳したい。
日本文学は三島由紀夫や川端康成や村上春樹だけでなく、もっと幅広く、奥深さがあるものだと、翻訳を通して伝えることが私の役目だと考えている。
『アステイオン82』
特集「世界言語としての英語」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
その人気は、ヨーロッパの真ん中に位置し、美しい都プラハを擁するチェコでも変わらない。チェコは人口約1000万人。中欧の小国だが、フランツ・カフカ、カレル・チャペック、ミラン・クンデラなどの偉大な作家を輩出してきた。村上は2006年に、栄誉ある文学賞のフランツ・カフカ賞をプラハで受賞している。
かの地での人気は、文学大国としての土壌ゆえだろうか。それとも国境を超えるハルキ人気の一例にすぎないのか。このほど『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のチェコ語版を刊行し、サントリー文化財団主催のシンポジウム講演者として来日したチェコ語翻訳者のトマーシュ・ユルコヴィッチに聞いた。
――チェコで村上春樹はどのくらい人気があるのか。
英語圏、アジア圏、他のヨーロッパ圏と同様に、チェコにもファンが多い。チェコには私を含めて村上作品の翻訳者が2人いるが、その作品はすでに多くがチェコ語に翻訳されており、村上春樹を知らないチェコ人はほとんどいない。
しかし、それはつい最近のことで、私が大学生だった2000年頃は誰も知らない無名の作家だった。したがってチェコでは、この15年の間に急速に知られるようになった作家といえる。
――なぜ村上作品は世界中で受け入れられているのか。
よく言われることだが、まずはその文体・文章の易しさがあると思う。一般的に海外文学は文化背景の違いから、そのまま翻訳しても意味も文脈も通じないことがあるが、村上作品は逐語訳でほとんど問題がない。
中欧の文学大国で このほど刊行されたチェコ語版『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
私は谷崎潤一郎の本も翻訳しているが、谷崎に限らず、日本文学は言語的に主語や述語、目的語などが曖昧なことが多く、翻訳者泣かせだ。その点、村上の作品は文法的に曖昧なことが少ないため、翻訳中に文脈がつかめないことがほとんどない。
これはチェコ語に限らず、どの言語で訳しても同じことが言えると思う。村上自身が意識しているのだと思うが、積極的にわかりやすい文章にしているのではないか。
――村上作品は「日本文学」なのか。
チェコの読者からよくある反応が、「これは本当に日本の作品なのか?」「日本文化の要素がまったくない」というものだ。川端康成や三島由紀夫の作品のような、いわゆる伝統的な日本が描かれている作品を期待している読者は、少しがっかりするかもしれない。私自身は日本的な要素が描かれている、立派な日本文学だと思っているが......。
ただし、彼自身については日本の作家というよりも、自分で新しいスタイルを作り、強いインパクトを与えて世界で通用している、世界的な作家だと言える。
たとえば『ノルウェイの森』について、ロシア人と中国人とフランス人が共通の話題にすることができる。このように多くの言語に同時に訳され、世界中に多くの読者がいることは本当に驚くべきことだ。
――あなたは1976年生まれだが、日本および日本文学との出会いは?
『アステイオン82』の「世界言語としての英語」特集にも書いたが、私は「鉄のカーテン」に閉ざされた社会主義時代のチェコスロバキアに生まれた。一般市民が外国に行くチャンスはほとんどなかったため、「外の世界」を知る手だてはテレビや本、博物館などしかなかった。
私の両親が美術関係の仕事をしていた影響で、博物館にはよく行く機会があったのだが、中学生の頃にそこで江戸時代の日本の展示を見て、日本に関心をもち始めた。その後、「鉄のカーテン」は取り払われ、チャンスがあれば日本について学びたいと強く思うようになり、カレル大学日本学科に入学した。
大学時代に先生に勧められたのが村上春樹の『羊をめぐる冒険』だった。当時のチェコでは名前も聞いたことのない作家だったので、大学図書館で借りた英語版で読んだ。私はたちまちその世界に引き込まれていき、卒業論文は「村上春樹の世界における光と影の比喩」にしたほどだ。
――翻訳を始めたきっかけは?
2001年、チェコの出版社が村上春樹作品の翻訳者を探すために、私が在籍するカレル大学日本学科に問い合わせをしてきた。聞いたこともない日本人作家の研究をしているということで私はすでに学内では知られていたのだが、「村上春樹の研究をしている学生がいる」と指導教官に出版社を紹介され、そこから私の翻訳家人生が始まった。
ちなみにチェコ国内に村上春樹の翻訳者が2人いるという話を最初にしたが、もう1人は私の大学時代の先輩だ(笑)。
――翻訳の難しさとは?
谷崎潤一郎の『武州公秘話』を訳して出版社に持って行った際、「こんな難解な翻訳では困る。やり直してほしい」と言われた。作品の中の戦国時代の日本語の会話を、チェコ語でそのように訳しただけだったのだが......。
谷崎の世界観を現代チェコ語で訳すのは本当に奇妙なことだと、担当編集者に何度も何度も説明したが、それを理解してもらうのは難しいと感じた。
これも『アステイオン』に書いたが、「自分の経験そのものはそうした経験をしたことがない人には決して伝えられるものではない」ということを身を持って実感した。しかし、個々の作品の世界観を読者に知ってもらうために、翻訳者は日本の伝統芸能のいうところでの「黒子」に徹さなくてならない。
――今後について。
現在、チェコ語に訳されている日本の作品はほんの一部にすぎない。いくつか日本文学の潮流があるが、そのなかでも内田百閒の作品は日本的な作品のひとつだと思っており、ぜひ翻訳したい。
日本文学は三島由紀夫や川端康成や村上春樹だけでなく、もっと幅広く、奥深さがあるものだと、翻訳を通して伝えることが私の役目だと考えている。
『アステイオン82』
特集「世界言語としての英語」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部