Infoseek 楽天

アメリカのブックフェアで見た中国の「押し売り」プロパガンダ

ニューズウィーク日本版 2015年7月1日 18時30分

 ブックエキスポ・アメリカ(BEA)は、毎年5月にニューヨークで開催されるアメリカ最大のブックフェアである。版権の売買もあるが、ドイツのフランクフルトで開催されるブックフェア程の規模はなく、どちらかというと出版社が書店や図書館の関係者に新刊をPRするお祭りの傾向が強い。

 以前はメディアとしての参加者は紙媒体の雑誌の記者やカメラマンに限られていたが、ネットの口コミの影響力が明らかになり、近年は人気ブロガーや大規模なブッククラブ(読書会)の主催者も歓迎するようになっている。

 BEAでは、毎年海外の国をひとつ「guest of honor(主賓)」として大きく紹介する。今年の主賓は中国だった。

 主賓と言ってもguestというよりcustomerだ。中国は、展示場のジャビッツセンターで2万5000平方フィートの巨大なスペースを購入した。BEA使用料は、100平方フィートあたり平均5000ドルなので、単純に計算すると中国のブース代は125万ドル、つまり1億5千万円になる。そのうえ、150の出版社の社員、作家50人、政府の担当者など相当な人数を中国から連れてきており、1泊350~500ドルのホテル代も考えると気が遠くなるほどの出費だ。

 中国の出版市場は、アメリカに次いで世界で2番目に大きい。だから、アメリカの出版社は中国の市場には常に注意を払っている。BEA主催側も、気前の良い「主賓」のために中国をテーマにしたイベントを多く企画した。

 中国の出版社がどんな売り込みをするのか興味を抱いていたが、会場に着いて首をひねった。どうやらイチオシのお薦め本は習近平国家主席による中国政府の政治哲学本らしい。BEA会場のあちこちで習近平の巨大な顔に遭遇してぎょっとする。しかし、日本なら村上春樹や吉本ばななに匹敵するようなアメリカで有名な中国人作家の写真や作品はまったく見当たらない。

 それもそのはず。出展しているのは中国政府が厳選し、後押しした作家と作品だけだったのだ。

 BEAと時期を合わせて、作家の郭小櫓(グオ・シャオルー)、哈金(ハ・ジン)、ジョナサン・フランゼンといったメンバーがニューヨーク市立図書館の前で抗議集会をした。これを企画した国際ペンクラブ・アメリカセンターは、中国政府のプロパガンダに手を貸した形になっているBEAを非難し、中国政府が言論の自由を保証し、投獄中のノーベル平和賞受賞者の作家、劉 暁波(リウ・シアオポー)を解放するよう訴えた。

 非難の的になっているBEAでの中国展示の「イチオシ本」の宣伝シンポジウムを覗きに行ったところ、いるのは中国から来たと思われるメディアと関係者だけだ。

今年のBEAで中国は広大な展示スペースを買い取った

 BEAでは、人気作家のサイン会には何時間も前から並ばないといけないし、並んでも手に入らないこともある。それなのに、中国ブースの作家のサイン会には客がいない。偶然通りかかった人が本を取り上げて中を見るが、「無料です」と言われても「けっこうです」と断っている。第二次世界大戦でいかに日本が非道だったのかを延々と綴ったようなプロパガンダ本はタダでも読みたくないのだ。中国が買い取った広大なブースは開催期間を通じて客は集まらず、ガラガラだった。

 BEAの客たちは、中国の押し売り作戦には厳しかった。あれだけの費用を費やした結果は、こんな冷たい肩透かしだ。中国がアメリカに本を売りたいのであれば、投獄中の作家をプッシュしたほうがずっと効果的だ。世界はそういう作家の作品を読みたいのだから。

 そもそも、国家が展開するプロモーションは、「わが国のイメージはこうでありたい」、「売るとしたら、それに合うものだけ」という自己満足の押し売りになりがちだ。そして、客を無視した押し売りは、湯水のように金を注ぎ込んでも絶対にうまく行かない。

 日本政府も、BEAでの中国展示から学ぶことは少なくないと思った。

渡辺由佳里(アメリカ在住コラムニスト、翻訳家)

この記事の関連ニュース