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明治日本の産業発展にまつわる「残酷」をひも解く

ニューズウィーク日本版 2015年7月6日 19時0分

 日本の産業資本発展の基礎として、明治34~35年(1901~02年)に極限に達した紡績資本は当時、露骨な女工争奪戦を展開していた。『『日本残酷物語』を読む』(畑中章宏著、平凡社新書)によれば、女工と坑夫の苦しみは"近代産業における「残酷」の典型"だった。

 当時の女工の労働時間は、それ以前の1日12時間から、1日18時間にまで達していたのだという。昼の勤務だった者がそのまま徹夜作業に就かされ、36時間も続けて勤務させられたこともあったそうだ。

 しかも、製糸・紡績工場が、本書の言うところの「資本制工場制度の搾取機構」としてつくった寄宿舎の募集広告は、いかにも胡散臭い。


 募集人 ......そうれごらん、これが会社の庭園、おにわです。これが運動場、これが食堂、つまりこの家でいうとそこのご飯たべる鍋座ですなあ。それからこれが娯楽場、これが浴場、これが休憩所。――それからこれが工場のおもだったところですよ。織布部、精紡室、綛(かせ)室、荷造り、仕拵室、どっこもみな機械ばかりでしょう。人間の手でするようなヘマな仕事は皆目ないのです。何分糸をつなぐまで機械でするのだから仕事といったってただ側に遊んでいてときどき機械の世話さえしていりゃいいのです。そりゃ楽ですよ。(153ページより)



 ところが現実はまったく違っていて、女工たちは工場に入って初めて、募集人にだまされたと知ることになる。契約期間中は耐えるしかなく、脱走を試みた者は捕えられ、殴打されたり、裸で工場を引きまわされたりした。

 大阪でコレラが流行したときには、ある工場が患者を隠匿し、病原菌が寄宿舎に蔓延したこともあったそうだ。驚くべきは、真正患者と診断された女工に対する扱いだ。助からないと判断された女工には、買収した医師が毒薬を飲み薬に混ぜて与えた。苦悶が始まると「死体室」という小屋に連れていき、機械の空箱へ詰めて火葬場に運搬したのだという。

 紡績工場の労働環境の悲惨さには、これまでも焦点が当てられてきた。しかし『日本残酷物語』が明らかにしたその実態には、肌にまとわりつくようなリアリティがあったようだ。本書『『日本残酷物語』を読む』に目を通しただけでも、それがはっきりとわかる。

 昭和34年(1959年)から36年(1961年)にかけて平凡社が刊行した『日本残酷物語』は、文字どおり「残酷」をテーマにした全7巻からなるシリーズ。第一部から第五部と名づけられた5巻と、「現代編」2巻で構成されていた。

 敗戦からの復興を遂げ、1964年開催の東京オリンピックを控えて、高度成長の道を登りつつあった日本。その時代の空気に逆行するかのように、日本の近世、近代、現代の民衆の歴史を「残酷物語」と銘打って明らかにしたのが『日本残酷物語』だった。

 中心人物は、民俗学者の宮本常一と編集者の谷川健一。第一部『貧しき人々のむれ』の巻頭に谷川が記した「刊行のことば」は、同シリーズの刊行意図を明確にいい表している。


 これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である。民衆の生活体験がいかに忘れられやすいか――(10ページより)



 本書では、当時の環境下における宮本や谷川の思いと、そこを起点とした編集現場のサイドストーリーを交えながら、『日本残酷物語』がなぜ生まれたのかを明らかにしている。

 つまり軸をなしているのは"裏話"であり、悲惨なエピソードが羅列されているわけではない。しかし、だからこそ逆説的に、『日本残酷物語』の存在価値が浮かび上がっている。

 まずはここを起点として、現在は「平凡社ライブラリー」から発売されている『日本残酷物語』を読んでみるのもいいかもしれない。



『『日本残酷物語』を読む』
 畑中章宏 著

印南敦史

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