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殺人より自殺に走る「内向型」日本人は政府にとって都合が良い

ニューズウィーク日本版 2015年7月21日 15時0分

 殺人と自殺。いずれも「殺」という文字のついた究極の社会的な逸脱行動であり、その国際ランキングはよく話題になる。殺人率は中南米、自殺率は旧共産圏の社会で高いことはよく知られている。

 しかしながら、この逆の方向を向いた2つの逸脱行動を同時に観察することで、当該社会の国民性のようなものが見えてくる。このような試みは、これまであまりないようだ。

 下の<表1>は、2010年の殺人発生率と自殺率の国際統計を集計したもの。前者は人口10万人あたりの殺人発生件数であり、出所は国連薬物犯罪事務所(UNODC)ホームページの「Crime and criminal justice statistics」だ。後者は人口10万人あたりの自殺者数で、世界保健機関(WHO)ホームページの「Mortality Database」が出典元だ。



 まず主要国の統計を見てみる。殺人率はブラジルが23.3と飛びぬけて高く、日本は0.4と最も低い。自殺率は反対にブラジルが最も低く、トップは韓国で、日本はそれに次ぐ。韓国で自殺率が高いのは、高齢者の自殺が非常に多いためだ。南米は殺人型、日韓は自殺型で、他の欧米諸国はその中間に位置している。

 表の右端には、筆者独自の計算で「内向率」という数値を示した。各国の国民がどれほど内向的かを推測する尺度で、殺人と自殺の総和に占める自殺の割合(%)で表わしている。殺人・自殺とも人口10万人あたりの数にしているので、このような計算をしても差し支えないだろう。これをみると日本が98.3%で最も高く、その次が韓国で97.2%、アメリカは72.4%で、ブラジルになると17.8%まで急降下する。

 殺人と自殺の総和を極限の危機状況の合計とみなすと、日本ではそのほぼ全てが自殺によって処理されている。一方ブラジルでは、危機打開のための攻撃性の8割以上が「外」に向けられている。日本人の内向性は、国際意識調査でしばしば明らかにされるが、こうした客観的な逸脱統計にもそれははっきりと表れている。

 以上は7カ国の比較だが、世界は広い。比較の対象をもっと広げてみよう。上記の資料から、94カ国の殺人発生率と自殺率を収集し、その国際的な位置付けを明らかにしてみた。<図1>は、横軸に自殺率、縦軸に殺人率をとった座標上に、94の社会のデータを配置したグラフだ。



 日本や韓国は、自殺率が高く殺人率はとても低いので、右下の底辺を這うような位置にある。対極の左上はその逆だが、先ほど取り上げたブラジル(伯)よりもさらに上の社会があり、中米のエルサルバドルやベネズエラなどは外向性がもっと際立っている。

 図中には、内向率を表す斜線を引いている。50%のラインよりも上、つまり自殺よりも殺人が多い社会は30あり、全体の3分の1ほどである。日本の感覚からすれば思いもよらないが、自分よりも他人を殺める社会が結構ある。その程度が著しいのが左上の社会で、多くが中南米やアフリカの国々だ。右下にあるのは、攻撃性のほとんどが自分(内)に向く「内向的」な社会と読める。言わずもがな、日本はその典型である。

 わが国は治安が良く、安全な社会だと言われるが、近年にあっては国民の生活不安をもたらす要素は数多くある(格差、貧困、老後の厳しい生活......)。それにもかかわらず社会の秩序が揺るがないのは、これらに由来する苦悩や葛藤の多くが「自己責任」として切り捨てられているからだ。育児や介護などと同じく、生存危機の処理も「私」依存型の社会のようだ。

 統治者にすれば都合の良いことだろうが、このような社会が健全であるとは思えない。「他人に助けを求めるのは恥ずべきこと」、「何でもかんでも自己責任」という機械的な思考を克服すると同時に、この「内向的」な国民性の上に政府があぐらをかいていないか、国民は絶えず監視の目を向ける必要があるだろう。

(出典資料:UNODC「Crime and criminal justice statistics」
WHO「Mortality Database」)

<筆者の舞田敏彦氏は武蔵野大学講師(教育学)。公式ブログは「データえっせい」>

舞田敏彦

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