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稚拙でも商魂たくましいアメリカのロボット産業 - 瀧口範子 @シリコンバレーJournal

ニューズウィーク日本版 2015年7月28日 17時0分

 シリコンバレー・テクノロジーの次のトレンドは、AIとロボットだ。ふたつはそれぞれ違った分野だが、重なり合うところもある。これが同時に盛り上がってきたのは腑に落ちることだ。

 そのうちロボットについては、「ロボット大国・日本」の行方が気になって仕方がないほどにいろいろな動きがある。気になるというのは、実力のある日本のロボットが早く、負けずに出てきてほしいと願うからである。

 ロボットの開発を見ていても、そこにアメリカの「プラグマティズム(実践主義)」とシリコンバレーの「ビジネス志向」がしっかりと出ているのがわかるのだ。

 プラグマティズムの方は、ともかくできるところからやってみるというアプローチだ。ロボットの場合は、技術的に可能になったもの、値段としてもそれほど無理なく手に入るもの、そうしたものを組み合わせたら何ができるかという点を探る。

 たとえば最近よく見られるタイプのロボットは、自律走行して目的地に向かうとか、障害物が目の前にあったら一時停止する、あるいはよけて通るといったようなことができる台車を基本にしているもの。ここには3次元カメラやセンサーなど、最近になって急に手に入りやすくなった技術が搭載されている。

 その上にビジネス志向が載せられる。つまり、自走する台車を、病院の中でシーツを自動的に洗濯室まで運ぶロボットとか、ホテルの中でアメニティーを客室まで届けるロボットとか、小売店の店頭で客を迎えて大きな店を案内し、目的の商品売り場まで導いてくれるロボットなどに作り込み、それぞれの目的で働くロボットが生まれているのだ。

 ともかく現時点で作れる機能性を組み合わせ、儲かりそうなビジネスや受け入れられそうな市場を見据え、そこに向けてロボットを作るのだ。実際、これらのロボットはどんどんと市場に受容されている。

 こうしたロボットは、日本のロボット関係者から見ると、おそらくロボットとは呼べないほどの稚拙なものなのではないかと思う。われわれに寄り添い、役に立ってくれる、まるで人間のようなロボット。そういったわれわれがロボットに抱いているイメージと、機械とのちょうど中間にあるような代物だ。それでもアメリカでは、「新しいロボットの時代がやってきた」と歓迎している。

 こんなアメリカのロボットに比べると、日本のロボットは高度である。まず目指しているレベルが高い。それに技術者、開発者の層が厚い。研究の歴史もある。ロボットの
ホビイストであっても、かなり精巧なロボットを作ることに慣れている。

 ただ、プラグマティズムとかビジネスという点から見ると、アメリカに負けそうなのだ。日本が歴史を持つヒューマノイド・ロボットという、ひどく高いレベルのロボットへの目線も邪魔しているかもしれない。しかし、それよりも「ともかく早く市場に乗り出して、儲けてやろう」というヨコシマなアプローチがないのだ。

 私自身は、今のロボット流行の第一波が終わって、介護用や家庭用ロボットなどもっと難しいロボットが求められる時代になったら、日本のロボットの底力が発揮されるのだと期待している。そこでは、本当に人に寄り添い、心配りもして、精巧な役割を果たすロボットでなければ困るからだ。そんなロボットは日本の十八番だと思う。

 ただし、アメリカのロボットが市場に先に出ていることの利点は無視できない。実際の現場で使われて、市場の要望を聞き入れて試行錯誤していくうちに、本当に役に立つとは何かを学んでいくだろう。ロボットは絵に描いた餅ではなく、実際に人の中でこそ役割を果たす。そうしてもまれるうちに、ロボットも開発者も知恵をつけていき、どんどん進化する。それに、先に市場に出ていれば、ユーザーを囲い込んでしまうことも可能だ。ことに今出てきているような業務用のサービス・ロボットの場合は、特にそれが気がかりだ。

 日本のロボットももっと商売心を発揮して、どんどん新しい製品になって世界を驚かせてほしい。そう感じて仕方がない。

<編集部より>瀧口範子氏の「@シリコンバレーJournal」は今回で終了します。5年間ご愛読ありがとうございました。

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