日本人にとって、1945年8月15日は現代史の起点だ。この日を境に日本は平和国家への道を歩み始め、奇跡的な復興を成し遂げ、世界屈指の民主的な経済大国となった。11年後の1956年、経済白書に「もはや戦後ではない」と記され、復興期としての「戦後」の終わりが宣言された。
しかし、終戦から70年がたとうとする現在も、「戦後」は続いている。「戦後○○年」と表現されるように、今も日本人は「戦後」を生きている。
もちろん、欧州でも第一次大戦や第二次大戦の節目の年には記念行事が行われる。英語圏にpost war という表現はあるものの、日本のように戦後○○年、といった表現はあまり使われない。アメリカのように、「戦後」という概念が存在しない国もある。多くの国は歴史を記憶に刻みつつ、それぞれ「戦後」を克服してきた。
日本は違う。日本も周辺国も歴史問題に拘泥し、和解の道筋を見いだせていない。それだけではない。今も「戦後メンタリティー」に縛られ続けることによって、日本は自ら外交や安全保障の議論の幅を狭めている。
例えば、戦後生まれの政治家は戦中派と比べて戦争の恐ろしさや人命の尊さが分からない、という言説がある。6月、BS番組の討論でこんな質問があった。「首相をはじめ、ほとんど戦争を知らない者で安保法制を議論しているが、危うさを感じるか」
まるで、あの悲惨な時代を経験していない者は安全保障問題を語る資格がない、と言わんばかりだ。確かに、戦後生まれの世代は戦争の悲劇を皮膚感覚で理解していないかもしれない。だからといって、戦後生まれというだけで安全保障を議論することを「危うい」とするのは、偏狭ではないか。
時代は変わっている。2015年は1945年ではない。70年間平和主義を守り続けたことによって、日本は1発の銃弾も撃っていない。その事実は誇るべきだろう。
だが今は冷戦構造で安定を享受できた20世紀後半と違い、日本を取り巻く状況は劇的に変容している。安全保障で他国に依存し続け、自国のことしか考えずに平和を願うだけでは日本の安全を十分守れる状況ではなくなった。
にもかかわらず、日本で安全保障の論議が起きると、「戦前に逆戻りする」「軍靴の足音が聞こえる」「赤紙で徴兵される時代がまた来る」などと、20世紀前半の軍国主義が復活するかのようなとっぴな言説が飛び交う。21世紀の民主主義や国際情勢、戦争の戦われ方などを無視した、論理の飛躍だ。この70年間日本が真摯に積み上げて来た平和主義に対する侮辱でさえある。
このままでいいのだろうか。過去に縛られるあまり、現在置かれている状況を見失い、未来を見通すことができていないのだとしたら、この国の将来は危うい。そろそろ、「戦後」を克服し、卒業しなければならない。先の大戦に正面から向き合い、総括する必要がある。それは、あの戦争を美化したり歴史修正主義的な主張をしたりすることではない。戦争の教訓は、決して忘れてはならないのは言うまでもない。
70年談話を発表する意義
そもそも、日本は自分自身であの戦争を総括してこなかった。極東軍事裁判では日本の指導者が事後法で戦争犯罪人として裁かれたが、日本人自らが当時の指導者らの責任を追及したわけではない。責任の所在を自ら明確にすることなく、左派の過度な贖罪意識と、それに反発する右派の極端な主張のせめぎ合いが続いてきた。
そんななか、終戦記念日を控えて、安倍晋三首相が談話を発表する。安倍談話に対する不信感は根強い。いくら「全体として村山談話を引き継ぐ」と説明しても、安倍は保守的・歴史修正主義者というイメージだけで語られ続け、第二次大戦を美化したり中国や韓国を刺激したりするのでは、と懸念する声が絶えない。
戦後50年の村山富市首相の談話に携わった河野洋平・元衆院議長は最近、朝日新聞に掲載された対談でこう語った。「安倍談話は何を目指すのかが曖昧で、私には『戦後70年だから』以上の理由が見当たりません。10年ごとの節目にただ出せばいいわけではない」
視野の狭い発言だ。確かに、10年ごとに時の総理が談話を発表する必要はない。
だが、2015年は違う。年齢的に戦争経験者や、アジア諸国の被害者が減り続けているだけではない。日本が現在置かれている地政学的な立場や今後の国際情勢を考えると、今のうちに歴史問題というとげを取り除く必要がある。アメリカの相対的な国力は退潮傾向にあり、欧州は共通の未来像を描けず、国連は中東の混乱やエボラ出血熱などの国境をまたいだ危機に対応できず機能不全に陥っている――こうしたなかで、中国が台頭している。
最近、アジアインフラ投資銀行(AIIB)にみられる経済的な野心や南シナ海での拡張主義など、中国は世界秩序のルールを変更しようともくろんでいる。世界第2の経済大国にして、世界最大の軍隊と核兵器を持つ共産主義国家との関係をマネージしていく上で、歴史問題で何らかの妥協点を両国で見いだす必要がある。
それは5年後、10年後では遅過ぎる。その時に歴史問題を清算しようとしても、中国が今より強大な国力と影響力を持っている可能性が高い。
村山元首相と小泉純一郎元首相の談話で十分ではないか、という指摘もある。だが現状を見ると、この20年来、慰安婦問題や靖国問題で周辺国ともめ続けてきた。逆説的に言うと、村山談話・小泉談話では十分、戦後を総括し切れなかったのだ。
なぜか。戦後、過度な贖罪意識が支配的だったことは否めない。反動として、偏狭なナショナリズムが生まれた。米ダートマス大学のジェニファー・リンド准教授が本特集でも指摘しているように、過去の敵国への謝罪は歴史問題を解決するどころか、むしろ逆効果である。謝罪は国内の保守派の不満を招き、それが相手国の反発を招く――まさにこの20年余り、東アジアがたどってきた道だ。
安倍は、この悪循環を打破できる立場にいる。彼の個人的な思想や歴史観は別にして、総理大臣としては極端な発言を今のところ控えている。慰安婦問題をめぐる河野談話を除いて、村山・小泉両談話も引き継いでいる。しかも、「極右政治家」というレッテルを貼られているからこそ、和解を促すような未来志向の談話を発表すれば、インパクトもそれだけ強くなる。
もっとも、かつての敵国同士の和解を促すのは、地政学上の都合が大きい。第二次大戦後、アメリカが日本を庇護し、西ドイツの贖罪がフランスに受け入れられたのも、共産圏の脅威があったからだ。60年代〜70 年代に日本が韓国、中国と国交を正常化したのも、地域のパワーバランスの問題が大きかった。ソ連と対立し始めていた中国は、日本との関係を重視するようになった。半面、90年代以降、韓国や中国が歴史問題を利用して対日批判を強めたのも、内政的な事情、あるいは地政学上の変化があった。
求められる日本の主体性
だからといって、日本が主体的に行動しなくていいことにはならない。戦争と戦後を総括することは、左右の対立を克服するための1つのステップとして避けては通れない道だ。
談話はどうあるべきか。中国に被害を与え、韓国人の心を傷つけたことをあらためて認めることは最低限必要だろう。史実と向き合うことは決して「自虐史観」ではない。個人でもそうだが、都合の悪い過去と向き合えない人間は、卑怯な臆病者だろう。皇太子殿下も今年2月、謙虚に過去を振り返ることの大切さを述べられている。
国内の保守強硬派に迎合するだけの談話であれば、むしろ国益を損なう。閣議決定して政府の公式見解として発表できないような談話は、国際社会の疑念と誤解を招くだけだ。
ただ、河野談話のように事実関係について議論が残るものは、節度を持って指摘する必要がある。声高に自らの歴史観を振りかざしても、世界から「歴史修正主義的」と切り捨てられるだけだ。例えば慰安婦問題については、強制連行の有無が確認できていないことを述べつつ、軍が関与する形で女性の人権を蹂躙したことへの反省の意を表する――。女性の人権を擁護する姿勢を打ち出すことで、未来志向のメッセージを発信するのだ。
必要なのは村山談話の否定ではない。謝罪でもない。過去と誠実に向き合う姿勢を内外に示しつつ、あの戦争を総括し、左右の対立を乗り越えて「戦後」を克服することだ。「戦後」という過去に生き続けるか。それとも、過去を受け止めた上で日本の現在地を認識し、未来に目を向けるか――。この国は今、大きな岐路に立っている。
※当記事は2015年8月11/18日号
特集「戦後」の克服
からの抜粋記事です
横田 孝(本誌編集長)
しかし、終戦から70年がたとうとする現在も、「戦後」は続いている。「戦後○○年」と表現されるように、今も日本人は「戦後」を生きている。
もちろん、欧州でも第一次大戦や第二次大戦の節目の年には記念行事が行われる。英語圏にpost war という表現はあるものの、日本のように戦後○○年、といった表現はあまり使われない。アメリカのように、「戦後」という概念が存在しない国もある。多くの国は歴史を記憶に刻みつつ、それぞれ「戦後」を克服してきた。
日本は違う。日本も周辺国も歴史問題に拘泥し、和解の道筋を見いだせていない。それだけではない。今も「戦後メンタリティー」に縛られ続けることによって、日本は自ら外交や安全保障の議論の幅を狭めている。
例えば、戦後生まれの政治家は戦中派と比べて戦争の恐ろしさや人命の尊さが分からない、という言説がある。6月、BS番組の討論でこんな質問があった。「首相をはじめ、ほとんど戦争を知らない者で安保法制を議論しているが、危うさを感じるか」
まるで、あの悲惨な時代を経験していない者は安全保障問題を語る資格がない、と言わんばかりだ。確かに、戦後生まれの世代は戦争の悲劇を皮膚感覚で理解していないかもしれない。だからといって、戦後生まれというだけで安全保障を議論することを「危うい」とするのは、偏狭ではないか。
時代は変わっている。2015年は1945年ではない。70年間平和主義を守り続けたことによって、日本は1発の銃弾も撃っていない。その事実は誇るべきだろう。
だが今は冷戦構造で安定を享受できた20世紀後半と違い、日本を取り巻く状況は劇的に変容している。安全保障で他国に依存し続け、自国のことしか考えずに平和を願うだけでは日本の安全を十分守れる状況ではなくなった。
にもかかわらず、日本で安全保障の論議が起きると、「戦前に逆戻りする」「軍靴の足音が聞こえる」「赤紙で徴兵される時代がまた来る」などと、20世紀前半の軍国主義が復活するかのようなとっぴな言説が飛び交う。21世紀の民主主義や国際情勢、戦争の戦われ方などを無視した、論理の飛躍だ。この70年間日本が真摯に積み上げて来た平和主義に対する侮辱でさえある。
このままでいいのだろうか。過去に縛られるあまり、現在置かれている状況を見失い、未来を見通すことができていないのだとしたら、この国の将来は危うい。そろそろ、「戦後」を克服し、卒業しなければならない。先の大戦に正面から向き合い、総括する必要がある。それは、あの戦争を美化したり歴史修正主義的な主張をしたりすることではない。戦争の教訓は、決して忘れてはならないのは言うまでもない。
70年談話を発表する意義
そもそも、日本は自分自身であの戦争を総括してこなかった。極東軍事裁判では日本の指導者が事後法で戦争犯罪人として裁かれたが、日本人自らが当時の指導者らの責任を追及したわけではない。責任の所在を自ら明確にすることなく、左派の過度な贖罪意識と、それに反発する右派の極端な主張のせめぎ合いが続いてきた。
そんななか、終戦記念日を控えて、安倍晋三首相が談話を発表する。安倍談話に対する不信感は根強い。いくら「全体として村山談話を引き継ぐ」と説明しても、安倍は保守的・歴史修正主義者というイメージだけで語られ続け、第二次大戦を美化したり中国や韓国を刺激したりするのでは、と懸念する声が絶えない。
戦後50年の村山富市首相の談話に携わった河野洋平・元衆院議長は最近、朝日新聞に掲載された対談でこう語った。「安倍談話は何を目指すのかが曖昧で、私には『戦後70年だから』以上の理由が見当たりません。10年ごとの節目にただ出せばいいわけではない」
視野の狭い発言だ。確かに、10年ごとに時の総理が談話を発表する必要はない。
だが、2015年は違う。年齢的に戦争経験者や、アジア諸国の被害者が減り続けているだけではない。日本が現在置かれている地政学的な立場や今後の国際情勢を考えると、今のうちに歴史問題というとげを取り除く必要がある。アメリカの相対的な国力は退潮傾向にあり、欧州は共通の未来像を描けず、国連は中東の混乱やエボラ出血熱などの国境をまたいだ危機に対応できず機能不全に陥っている――こうしたなかで、中国が台頭している。
最近、アジアインフラ投資銀行(AIIB)にみられる経済的な野心や南シナ海での拡張主義など、中国は世界秩序のルールを変更しようともくろんでいる。世界第2の経済大国にして、世界最大の軍隊と核兵器を持つ共産主義国家との関係をマネージしていく上で、歴史問題で何らかの妥協点を両国で見いだす必要がある。
それは5年後、10年後では遅過ぎる。その時に歴史問題を清算しようとしても、中国が今より強大な国力と影響力を持っている可能性が高い。
村山元首相と小泉純一郎元首相の談話で十分ではないか、という指摘もある。だが現状を見ると、この20年来、慰安婦問題や靖国問題で周辺国ともめ続けてきた。逆説的に言うと、村山談話・小泉談話では十分、戦後を総括し切れなかったのだ。
なぜか。戦後、過度な贖罪意識が支配的だったことは否めない。反動として、偏狭なナショナリズムが生まれた。米ダートマス大学のジェニファー・リンド准教授が本特集でも指摘しているように、過去の敵国への謝罪は歴史問題を解決するどころか、むしろ逆効果である。謝罪は国内の保守派の不満を招き、それが相手国の反発を招く――まさにこの20年余り、東アジアがたどってきた道だ。
安倍は、この悪循環を打破できる立場にいる。彼の個人的な思想や歴史観は別にして、総理大臣としては極端な発言を今のところ控えている。慰安婦問題をめぐる河野談話を除いて、村山・小泉両談話も引き継いでいる。しかも、「極右政治家」というレッテルを貼られているからこそ、和解を促すような未来志向の談話を発表すれば、インパクトもそれだけ強くなる。
もっとも、かつての敵国同士の和解を促すのは、地政学上の都合が大きい。第二次大戦後、アメリカが日本を庇護し、西ドイツの贖罪がフランスに受け入れられたのも、共産圏の脅威があったからだ。60年代〜70 年代に日本が韓国、中国と国交を正常化したのも、地域のパワーバランスの問題が大きかった。ソ連と対立し始めていた中国は、日本との関係を重視するようになった。半面、90年代以降、韓国や中国が歴史問題を利用して対日批判を強めたのも、内政的な事情、あるいは地政学上の変化があった。
求められる日本の主体性
だからといって、日本が主体的に行動しなくていいことにはならない。戦争と戦後を総括することは、左右の対立を克服するための1つのステップとして避けては通れない道だ。
談話はどうあるべきか。中国に被害を与え、韓国人の心を傷つけたことをあらためて認めることは最低限必要だろう。史実と向き合うことは決して「自虐史観」ではない。個人でもそうだが、都合の悪い過去と向き合えない人間は、卑怯な臆病者だろう。皇太子殿下も今年2月、謙虚に過去を振り返ることの大切さを述べられている。
国内の保守強硬派に迎合するだけの談話であれば、むしろ国益を損なう。閣議決定して政府の公式見解として発表できないような談話は、国際社会の疑念と誤解を招くだけだ。
ただ、河野談話のように事実関係について議論が残るものは、節度を持って指摘する必要がある。声高に自らの歴史観を振りかざしても、世界から「歴史修正主義的」と切り捨てられるだけだ。例えば慰安婦問題については、強制連行の有無が確認できていないことを述べつつ、軍が関与する形で女性の人権を蹂躙したことへの反省の意を表する――。女性の人権を擁護する姿勢を打ち出すことで、未来志向のメッセージを発信するのだ。
必要なのは村山談話の否定ではない。謝罪でもない。過去と誠実に向き合う姿勢を内外に示しつつ、あの戦争を総括し、左右の対立を乗り越えて「戦後」を克服することだ。「戦後」という過去に生き続けるか。それとも、過去を受け止めた上で日本の現在地を認識し、未来に目を向けるか――。この国は今、大きな岐路に立っている。
※当記事は2015年8月11/18日号
特集「戦後」の克服
からの抜粋記事です
横田 孝(本誌編集長)