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シカ被害と電気柵、アメリカの事情は? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年8月20日 16時0分

 感電事故に続いて設置者の自殺という悲劇を生んだ電気柵の問題ですが、そもそも設置された目的はシカ被害への対策でした。報道によれば、シカの増殖による被害は日本全国に広がり、農作物や園芸植物が食われるだけでなく、山地の下草が食い尽くされて土砂災害のリスク拡大の原因にもなっていると指摘されています。

 環境省によれば、2004年から2011年までの7年間で全国のニホンジカ(北海道を除く)の個体数は、100万頭から241万頭へと激増しているそうです。

 さらに、現状の勢いでは今後10年で倍増するという予測もあり、問題は深刻化の一途をたどっています。原因については、温暖化で越冬環境が緩んだとか、人間の高齢化で耕作放棄地が増えエサの供給につながったなど色々なことが言われていますが、一番の原因は「狩猟の衰退」であると言われています。

 こうした状況を受けて、日本の場合は今年5月から鳥獣保護法が改正され、鳥獣に関しては「保護から管理」へと大きく政策が変更されています。具体的には、シカ狩りのための麻酔銃の使用について住宅地や夜間での使用も許可されるとか、ワナや網を使った狩猟の免許について交付年齢を20歳から18歳に下げるなど、かなり突っ込んだ制度改正になっています。

 こうした動きに対して、例えば奈良のシカ愛護団体などは「保護」と「管理」の間で揺れているようです。

 では、アメリカの場合はどうかというと、まず全国的にはシカの個体数(オジロジカとミュールジカの双方について)は安定しているという統計があります。ただ、地域によって事情は大きく異なります。

 まず、中西部のような共和党の強い地域、いわゆる「レッド・ステイト」では、銃カルチャー、狩猟カルチャーが根強く残っています。そのために、州によってはシカの個体数が減少したとか、シカの被害自体が激減したという報告もあります。

 一方で、中西部でのこうした状況を受けて、リベラル系の動物愛護団体の間には猟の規制を要求したり、天然ガス開発によるシカの減少を問題視したりといった動きがあります。

 一方で東部には、正反対の事情があります。特に私の住むニュージャージー州では、民主党の強い「ブルー・ステイト」であることもあって、銃や狩猟のカルチャーが衰退しているのです。その結果として、日本とまったく同じようにシカの増殖に悩まされているのです。そもそもニュージャージー州では、20世紀の前半にはシカは非常に個体数が減っていたそうなのですが、ここへ来て20万頭を越えるようになり、シカの被害が深刻化しています。

 具体的なシカの被害としては、まず交通事故があります。車に慣れていないシカは、自動車との衝突事故をよく起こして車にダメージを与えることから大きな問題になっています。州の全域でシカの通り道には「シカ注意」の交通標識があるのですが、それは豊かな自然があるということではなく、社会的にシカ問題に困っていることの証明なのです。

 これに加えて、日本と全く同様に農業や園芸への被害があります。さらに最近良く言われているのが、シカに寄生したダニを通じて、感染症伝染の原因となっているという問題です。州政府は特にこの点を問題視しており、郡によっては、ハンターに対して「規定の頭数のシカを射殺しないと狩猟免許を更新しない」という強制措置を発動しているのですが、なかなか効果は上がっていません。

 一方で、民主党の強い「ブルー・ステイト」であることは、動物愛護団体の活動が盛んな地域ということも意味します。そのために、州政府の「シカ狩り増強作戦」に対する批判も強く、市町村レベルになると猟友会より愛護団体が強いところもあります。そこで、州政府としては狩猟の促進のできない地域では、薬物を利用した不妊処理作戦を進めることになりましたが、こちらの方は注射1本で500ドル以上というコストの問題がバカになりません。

 ちなみに、日本のような電気柵の使用はどうかというと、中西部では本格的なものがかなり使用されているのですが、ニュージャージー州のような人口密集地域では安全面での懸念があることからあまり使われていません。そのかわりに、大規模な農場では丸太で外枠を作り、太い針金を網のように巡らせた本格的な「シカ柵」(高さ3メートルぐらい)で対策を取っており、ここ数年あちこちの農場で見かけるようになりました。

 いずれにしても、銃や狩猟のカルチャーと動物愛護のカルチャーが正面から対決していたり、地域差を作っていたりするアメリカの状況は日本のお手本にはなりそうもありません。日本の場合は、野生動物との共生と適切な管理という方向で、社会的な合意形成を図っていって欲しいと思います。

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