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安倍首相の70年談話と中東 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 2015年8月26日 11時17分

 安倍首相の戦後70年談話が出されてから十日間、そろそろ中東諸国での反応が出そろったかなあ、と思って、調べてみた。

 どれだけ多く報じられているのだろう、と検索したが、あまり大きくは取り上げられていない。首相談話にキーワードが含まれるかどうかとか、含まれているけど自分の言葉じゃないとか、これじゃ近隣の中韓は不満をもつだろうとか、欧米の英字紙が論じている論調をそのまま引き写しにしたものが多い。首相談話より、翌日の天皇陛下の挨拶で「反省」の言葉が使われたことのほうが、よっぽど大きく取り上げられていた。外電の引用じゃない独自のコラムでも出てないものかと、ジャジーラ放送局のサイトに掲載されていたアラビア語コラムを読んだら、自民党のアラビスト議員、小池百合子議員の寄稿だった。

 中東独自のコラムがあまり見つからない(これから出てくるのかもしれないが)ことに意外な感を受けたのは、首相談話がひょっとしたら中東社会のある層にウケたのではないか、と思っていたからだ。筆者が中東との関係で、首相談話のなかで一番気になった部分は、「おわび」でも「反省」でもない。談話前半に語られた首相の歴史観である。戦前の日本が西欧列強の植民地化に対抗し、その結果日露戦争でアジア、アフリカ諸国を「勇気づけ」た。欧米の植民地政策により経済がブロックされ、日本の孤立化をもたらした――。こう述べる首相の言葉は、筆者が繰り返し中東で耳にしてきた「日本へのエール」に酷似しているからである。

 戦前の日本は欧米主導の西欧近代化に抗して、独自の発展の道を求めてきたのだと考え、戦前の日本、特にアジアを牽引するリーダーとしての役割を評価しようとする中東の親日派は、少なくない。A級戦犯である大川周明はコーランの翻訳者でもあるが、中東から来た留学生の間で、大川のイスラーム社会に対する理解と共感、欧米のアジア、アフリカでの植民地支配への反発に関心をもって研究するのが、一時期流行った。イスラーム研究における大川周明の位置づけについては、臼杵陽氏など中東研究者による著作もある。筆者もまた、戦前の日本の知識人が陥った隘路が中東の知識人にも反省になるに違いないと考えて、エジプト滞在中にエジプト人相手にアラビア語で廣松渉氏の「近代の超克」批判を解説したことがある。

 日本がアメリカへの攻撃を決断したのは、欧米先進国にその発展に道を妨害されたからだ、だから責められるべきは欧米で日本じゃない、原爆で徹底的に日本を破壊した欧米諸国こそが加害者じゃないか―――。中東に滞在するたび、こんな中東知識人の「同情」に接して、どう返事していいのかいつも困っていた。そして、「追い詰められて戦争をした日本なら、米国の占領に暴力で抵抗したりする中東の暴力に理解を示してくれてもおかしくないのに」と思う中東の人々の意見を受けて、日本の対中東観と中東の対日観のギャップに、もやもやとする自分がいた。

 今回の首相談話は、そんな中東知識人のエールに、一部ではあるが「そのとおり」と答えたのだ。だが、そこから先の方向性は、全く異なる。90年代末、著名な左派系のエジプト人学者たちに言われたことがある。「欧米に抗することでかつてアジアのヒーローになろうとした日本が、第二次大戦を反省するなら、中国や韓国やアジア諸国と対立するのではなく、それらと「共闘」して欧米への代替案を提示する方向で反省するのが筋じゃないのか」と。それは首相談話が「胸に刻み続ける」といったことと、正反対だ。

 そして、首相談話が「戦前の日本の正当化」に触れつつ挙げる「胸に刻み続ける」内容のつながらなさが、日本にエールを送る者の間にもやもや感を増す。武力に頼ったことが間違いだった、なるほど。だとすれば、武力を振いまわっているアメリカに寄り添って行動する日本は、何を反省したのか? 日本の戦前の行動は「理あり」だが間違っていたのは「武力」という手段だけだ、というのであれば、間違った方向に行かないようにするためにはどうすればよかったのか? 外交が大事、というが、その外交で日本は周辺国とうまく行っているのか?

 そのことこそが、少なくともこれまで中東諸国が一番知りたいことだった。追い詰められ不公正と考える立場を強いられてなお、武力を使わずにそれを克服するための知恵。それを知りさえすれば、中東のさまざまなアクターは戦争に依拠しなくても不公正、疎外感を克服できるはずなのだから、日本は第二次大戦で得たはずのその「知恵」を教えてくれるべきだと、中東諸国の知識人は期待してきた。

 だが、戦後70年間、日本からその「知恵」は伝わってこなかった。そのあげくに出てきた「談話」には、戦前の行為の弁解、正当化はあっても、いまだ不公正と大国の圧力に悩まされている国々が納得のいく「知恵」はない。

 だからこそ、今回談話への中東知識人たちの反応が、気になったのだ。ロクに反応がないということは、それが正しい答えではないとすぐさま看取ったからか、それともすでに日本に対して何の期待もしなくなったからか。「首相談話は日本の戦争行為を糊塗している」(カタール紙)、「戦争での日本の侵略行為よりも原爆の被害者としての立場ばかり強調している」(ジャジーラ放送)、「安倍首相は実際のところ秩序を乱す者」(トルコ紙)など、欧米のリベラルメディアの報道と似たような批判論調が続いている。それが主流だとすれば、中東社会は日本に対して、現状の変更を望んでいない。

 安倍政権の「戦後レジームからの脱却」姿勢を明確に表した首相談話の歴史認識は、「不公正と外国からの圧力を跳ね返すのに、やり方さえ間違わなきゃ日本がアジア、中東諸国を「勇気づけ」ていくことは、アリだ」という意識を、国内外に再燃させるだろうか。その意味で、「談話」こそが戦前への回帰の決定的瞬間になるのかもしれないと、危惧している。

<文頭写真:ハマスの軍事パレードを見守るパレスチナの少年 Suhaib Salem-REUTERS>

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