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中国「抗日戦勝記念式典」のねじれた正当性 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2015年9月1日 17時35分

 それにしても、中国が主催してロシアが賛同する形で実施される9月3日の「抗日戦勝記念式典」は、その正統性が二重三重にねじれた結果、奇妙な行事になってきています。

 まず9月3日に式典を行うということは、まがりなりにも9月2日の「ミズーリ号上での日本の降伏文書調印」が由来であって、第2次大戦の戦勝国として戦敗国である日本に対する「戦勝」を祝うという主旨のようです。

 ですが、まず第2次大戦の中国戦線で日本を相手に戦ったのは中華民国であって、中華人民共和国ではありません。中華人民共和国は第2次大戦の交戦国ではないし、ミズーリ号上の降伏文書の署名当事国でもないのです。この点に関しては、中国も問題を感じているのか、直前になって抗日戦争で戦功のあった国民党軍兵士を顕彰すると言い出しています。

 またロシア連邦共和国も同様です。降伏文書の署名国はソビエト社会主義共和国連邦であり、ロシア連邦共和国とは国のかたちとして異なります。

 さらに言えば、第2次大戦というのは、ファシズム枢軸国に対して民主主義国が戦って勝利したというのが戦後世界の正統性の根拠となっています。では、どうしてソ連が連合国に入っているのかというと、当時の、特にアメリカのルーズベルト政権は、社会主義のソ連が(民主主義に制約を加えつつも結果平等を追求する理想を掲げていることで)、ファシズム全体主義と比較すれば「組める相手」と判断をしていたのです。

 ですが、その後スターリンのソ連というのはナチスドイツと比較して、同等もしくはそれ以上に厳しく私権を制限した非人道的な閉鎖社会だったことが明らかになりました。またその後、民主化によってソ連が解体され、いったんは開かれた民主国家となったロシアですが、公選制の大統領制度を取りながら野党勢力に様々な弾圧がかかる中で純粋な民主政体とは言えなくなって来ています。

 中国の場合、レーニンやスターリンの思想に影響を受けた権力の集中はそのままに、経済だけは自由化した一方で、自由と民主主義は西欧の価値観だとして、その「押し付けは拒否する」という立場を取っているわけです。ということは、両国共に、民主主義の正統性を戦って勝利したという第2次大戦のレガシー(遺産)の継承者とするのは難しいと思われます。

 さらにロシアの場合は、第2次大戦というのはあくまで対独戦であって、対日関係というのは基本的には「日ソ中立条約」による平和が機能するというのが「大きな枠組」であったわけです。それをルーズベルトの判断ミスにより、ヤルタ協定で対日宣戦を促されたということを口実に、「東西冷戦の前哨戦」としての対日宣戦と、満州から38度線以北、南樺太、千島全島の占領にいたったわけです。

 もちろん、そのようなマキャベリズムを読み切れず(何よりもソ連に対日宣戦の兆候があることは北欧に居た日本の諜報のプロからの警告があったにも関わらず)、「ソ連の仲介で和平を」などという幼稚な外交を続けていた日本政府の行動に関しては、70年後の今日にあらためて批判されるべきだと思います。

 ですが、それはともかくとして、ソ連の対日宣戦というエピソードは、どう考えても東西冷戦の前哨戦であって、第2次大戦の正当な戦闘の一環であるとは考えにくいのです。そうすると、この9月3日の「対日戦勝記念日」というのは第2次大戦の戦勝国の正統性とは関連が相当に薄くなっていると言わざるを得ません。

 このような奇妙な事態を避けるためにも、この9月2日には東京湾上で日米主導の「降伏文書70周年」を記念する行事を行うべきでした。両国だけなく太平洋とアジアの戦線で没した戦没者と非戦闘員の犠牲者を追悼するために、降伏文書の調印当事国を中心にできるだけ多くの国の参加を募って厳かに行うべきだったのです。

 歴史を踏まえた「正規の降伏文書調印70周年行事」が先に決まっていれば、派手な軍事パレードなどという変則的なイベントが行われるということもなかったのではないでしょうか。日本外交としては、そうした「踏み込んだ追悼と恭順」を示すことで、反対に外交の主導権を握るという積極策を取り得なかったことは反省点だと思います。

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