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バラエティ番組も禁止の「軍事パレード」仰天舞台裏

ニューズウィーク日本版 2015年9月3日 11時56分

 2015年9月3日午前9時、北京市で抗日戦争勝利70周年記念・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念の閲兵式(軍事パレード)が開催された。事前の報道によると、参加兵士数は1万2000人と過去最大。さらに軍用機200機、兵器500台が参加する予定で、その80%超が初披露の新型兵器だという。

 今春、閲兵式の開催が発表された際、喜んだ人々の多くは「軍事オタク」だった。かつての中国では、男の子のホビーといえば軍事関係が中心だ。今でも30代以上には軍事オタクが多く、雑誌やテレビ番組も多い。軍事オタク以外の一般市民はというと、無関心、あるいは厄介ごとが増えるだけとの声が多かった。その不安は的中している。勇壮な閲兵式の裏側では、常軌を逸した「労民傷財工程」(国民に苦労をかけ財産を無駄にする政府のプロジェクト)が行われている。その信じられないエピソードをいくつか紹介しよう。

レストラン営業禁止、空港使用禁止など市民生活が犠牲に

 昨年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議では工場の一時操業中止、乗用車の走行制限が導入された。期間中は見事な青空となり「APECブルー」と呼ばれたが、今回は「閲兵式ブルー」の実現のためにさらに強力な取り組みが行われている。1万2000もの工場が一時操業中止を強いられたほか、北京市近隣の発電所やボイラーもストップされた。閲兵式当日はボイラーを動かせないため、ある大学学生寮では浴場が使えなくなったという。さらにレストランや屋台まで営業中止となったほか、農村部では煮炊きのためのかまどの使用中止まで通達された。また閲兵式のルートではほこりが舞わないよう、念入りにふき掃除まで行われている。

 同じ空の話では空域の大混雑もある。閲兵式実施中には3時間にわたり空港の使用が禁止されるほか、2週間以上前から市上空の飛行制限空域が拡大された。演習用の空域確保が目的だという。もともと北京といえば軍事演習に伴う航空便の遅延が多いことで有名だが、さらに悪化しているのが現状だ。空軍基地の周囲では、サルによる巣の除去が行われているという。訓練されたサルが巣をゆすって落とし、鳥を基地から遠ざけるという。また市内ではハヤブサを使って鳥を追い払っている。

 治安維持も凄まじい力の入れようだ。警察、武装警察に加え、80万人を超える治安ボランティアが動員された。また刃物の購入には身分証の提示と実名登録が必要になったほか、2日夜から市内中心部は居住者以外の立ち入りが禁止された。居住者にも3日は出歩かないようにとの通達が出ている。レストランや食材市場も多くが閉鎖されるため、閲兵式前後は自宅に籠城しなければならないとインスタント食品を買い込んだ人もいる。いやそればかりか、行進ルート近隣の住民にはカーテンを開けるな、のぞき見するなとの通達もあった。市内各所に軍の狙撃兵が配備されテロを警戒しているため、カーテン越しにのぞき見すればテロリストと誤認して射殺されかねないとの理由だ。

 さらに閲兵式のムード盛り上げにも力を入れている。中国お得意の検閲により閲兵式に批判的な文章はネットから削除され、メディアにはネガティブな報道を禁止する通達が出された。また抗日戦争に関するドラマや映画、ドキュメンタリー番組がテレビにはあふれかえったほか、9月1日から5日にかけてはバラエティ番組の放送が禁止された。困るのは北京市の住民だけと素知らぬ顔を決め込んでいた他地域の人々も、バラエティ禁止令には閉口している。

「中国の夢」、一党独裁体制維持の新たな正統性

 さて、ここまで閲兵式にまつわるトンデモ・エピソードを紹介してきた。なにも中国をバカにする小ネタを紹介することが目的ではない。今回の閲兵式が異例の巨大イベントであることを示すためだ。北京五輪以上の、空前の厳戒態勢がしかれている。これほどまでの人的・物的資源を投入する狙いはなんだろうか。中国の閲兵式は従来、10月1日の国慶節(建国記念日)に開催されてきた。抗日戦争勝利記念日の開催は今回が初だが、「反日」という小さな目的のためでないことは明らかだ。

 閲兵式の目的、それは習近平総書記のスローガンでもある「中国の夢」、すなわち大国としての中国のアピールだろう。閲兵式関係の報道、プロパガンダを読み解くと、中国が戦勝国の一員であることが強く打ち出されている。キーワードは「東方戦場」。日中戦争は全世界規模の反ファシズム戦争における一つの戦場であったというメッセージであり、米国とともに戦い勝利した中国は戦勝国として現在の世界を主導する資格を持っているとの主張だ。

 この主張は世界に向けてのメッセージであると同時に、中国共産党の一党独裁体制にあらたな正統性を与えるものでもある。なぜ中国共産党は中国を支配する権利を持つのか。それは「中国から侵略者を追い出し」、「人民を豊かにした」ため。これが従来の正統性の神話だった。新たに「中国を大国にした」との神話を付け加えること、これこそが究極的な閲兵式の目的だ。

 2012年秋に誕生した習近平体制は正統性の回復を大きな目的としてきた。反汚職運動による規律引き締め、人権派弁護士や活動家などのオピニオンリーダーの弾圧強化、さらにはアイドルやアニメを駆使した若者世代を狙ったカジュアルなプロパガンダなど、一連の政策の先に閲兵式は存在する。

 もっとも正統性作りの代価は決して安いものではない。閲兵式は狙いとは異なるメッセージをも世界に送ってしまっているからだ。国家イベントのために市民生活に犠牲を強いることもいとわない、中国共産党の全体主義的性格は上述のとおり。

 また株価急落は祝祭ムードに水を差すと危惧して、巨額の株価維持対策が行われているが、閲兵式前最後の取引日となった9月2日は介入によって大手金融株は値上がりしたものの、上海総合指数全体で見れば前日比0.2%安となった。万能の独裁者に見えた中国共産党にも限界はあったことを示したばかりか、その判断能力が合理性を欠いたものではないかとの疑念まで世界に振りまいてしまった。

[執筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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