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ママたちの不安を知る、型破りな保育園経営者(3/3)

ニューズウィーク日本版 2015年9月11日 18時43分

 中国から来日後、ホステスの仕事から逃げ出し、日本人と結婚。子どもをもうけたが、無理心中を考えるほどの育児ノイローゼになった。その後、中国人の母親たちのために託児所を設立し、区役所の指導も受けて、ついには認可施設に。そこへある日、日本人の母親が駆け込んできて――。

 日本では今、約70万人ともいわれる中国人が、学び、働き、暮らしている。しかし、多くの日本人は彼らのことをよく知らない。私たちのすぐ隣で、彼らはどう生き、何を思うのか。ジャーナリストの趙海成氏は、そんな在日中国人たちを数年がかりでインタビューし、『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(小林さゆり訳、CCCメディアハウス)にまとめた。

 十人十色のライフストーリーが収められた本書から、日本で4つの保育施設を経営する応暁雍(イン・シャオヨン)さんの物語を抜粋し、3回に分けて掲載する。今回がシリーズ最終回。日本への思い、故国への思い、狭間に生きる葛藤――。彼女のライフストーリーから、見えてくる世界がある。

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『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』
 趙海成(チャオ・ハイチェン) 著
 小林さゆり 訳
 CCCメディアハウス


※ママたちの不安を知る、型破りな保育園経営者:第1回はこちら

※ママたちの不安を知る、型破りな保育園経営者:第2回はこちら

◇ ◇ ◇

ママがうれしければ、子どもは幸せ

 保育園の設立当初は、中国のママたちの子どもを受け入れていました。日本のママの子どもを受け入れ始めたのは、およそ9年前からです。ある日突然、池袋園に子どもを抱えた日本のママがやってきて、ドアチャイムを鳴らしました。その日に急用ができたのだが、預けるところがない。一時的に何時間か預かってもらえないか、と。それが最初の日本人のお客でした。

 当時、保育園には日本人の先生がいませんでした。そこで彼女に「ここは中国人の保育園です。先生方も中国人で、中国語を使っています。もし中国人の先生や中国語がおいやでなく、安心できると思われるなら、数時間の託児は問題ありません」と伝えました。そのママは保育園のようすを見てから、腕時計をチラッと見て「では、お願いします」といいました。

 この女性からはじまって、私たちの保育園の評判は日本のママの間でも広まっていきました。彼女だけで5、6人のママを紹介してくれ、そのママたちがまた多くのママを紹介してくれた。こうして保育園には日本の子どもがしだいに増えていきました。

 始めはいずれも一時預かりの託児でした。多くの専業主婦は子どもを保育園に入れていませんが、美容院や友だちと喫茶店に行きたい時など、子どもがいると不便なこともあります。当保育園は、彼女たちのそんな要求を満たしているのです。日本のママの間で、「いつでも子どもを預けられる秘密の場所がある。夜中に行っても開いている」と口コミが広まり、そのため一時預かりの託児をする人がますます増えました。時には何かイベントがあるとかで、3、4人のママが連れ立って子どもを預けにくることもありました。安心できるから、ということでした。

 ある日本のママは、子どもを公立保育園に入れると同時に、私たちの会員にもなりました。夜間に何かあった際の託児所を確保したのです。私たちのように24時間営業でいつでも出入り可能な保育園は、日本にはほとんどありません。あったとしても、何日も前に予約しなければなりません。ある日本のママは、初めは子どもの一時預かりの託児所のつもりでしたが、ここでは中国語が学べるし、日本人の先生もいる、環境もよく、行ったり来たりする手間も省けるからと、子どもを公立保育園からこちらに転園させました。

 現在、4カ所の保育園には、いずれも日本人の先生を迎えています。入園する子どもの3分の2は日本の子ども、3分の1が中国の子どもです。日本と中国の先生は、だいたい半々を占めています。

 日本の公立保育園の多くは、ママへの教育を主としています。でも私は、ママがうれしくて幸せでありさえすれば、子どももきっと幸せだと考えます。シングルマザーに一息入れる暇をあげたら、子どものためにもっと素敵なパパを探せる。そうしたら、全員そろった円満な家庭に変えられるのです。

 私もそうでした。最初の日本人の夫とは結局離婚して、自分の子どもを育てながら保育園の子どもたちを見ていました。私にも、安心できるスペースと、息子のためにいいパパを探すことが求められていた。一家にはパパの存在がなければならないのです。現在の夫も日本人で、人柄もいい。いまはとても幸せです。再婚してから2人の子にも恵まれました。最初の息子も、私たちといっしょに幸せに暮らしています。

日本の長所で中国の短所を補う教育

 日本の保育園にも、多くの長所があります。たとえば幼少期から、人に接するときの態度、マナー、自分でできることは自分でやること、相手の気持ちを理解することなどを子どもに教えます。中国の子どもがなかなか学べないことです。いま中国では、多くの子どもが過保護に育ち、勉強ができれば何もしなくていいとされています。衣服を着るには手を伸ばせばよく、ご飯を食べるには口を開ければいい、という状況です。2人のおじいさん、2人のおばあさんが1人の孫を甘やかしているのです。そこで私たちの保育園も、日本の保育園のいいところを取り入れています。

 幼少期の子どもは、大木の根っこのようなものです。この根っこがしっかりしていなければ、その木は若死にしてしまう。根っことはつまり道徳教育です。道徳は、子どもにとって学業よりも重要なのです。

 私たちの保育園ではまず、子どもたちの道徳面を育てます。たとえば、ボランティアや環境保護の活動に参加させる。また感情をいかにコントロールするかなどは、だいたい1歳半から教えます。中国の幼稚園は、小さいころから唐詩、算数、ピンイン〔中国語のローマ字による発音表記〕といった多くの知識を教えますが、私たちは異なります。

 保育の基本は人間の基本的な行動規範であり、保育の段階でその根をおろさなければなりません。そこで3歳になる前に、私たちは遊びの中で行動規範やセルフケアの能力を学ばせます。この点は、日本の保育園と同じです。3歳になればしっかりと根を張って、正しいことと間違ったこと、物事の白黒がわかります。それから教育をスタートさせるのです。

 私たちの教育は、日本の保育園よりも充実しています。日本の保育園は基本的に遊びを中心としていますが、私たちの保育園では、遊びの中で本当の教育をする。遊びの中で漢字やピンイン、10以下の数の合成・分解などを教えるのです。

 日本人の先生が教えるので、子どもたちの日本語は大きく向上し、日本の親も満足しています。でも中国語は、日本の親にはわからないので子どもたちの進歩が感じられないでしょう。それでも私たちは中国語を教えます。子どもたちの話す中国語は、本当にすごいですよ。ママが聞き取れないだけなのです。私たちはいま、日本のママ向けの中国語のレッスンを考えています。今後は、日本のママが子連れで中国に行くツアーの計画も。そのとき子どもは中国語が発揮できます。ママに中国語レベルの高さを知ってもらうのもいいでしょう。

 中国の国学の古典である『弟子規』『三字経』なども教えています。『論語』はまだ教えていませんが、計画中です。そして毎年クリスマスパーティーの席で、その1年間の教育内容や達成した目標について、ママたちに報告しているのです。

中国で老人ホームを開くのが夢

 私は、中国で老人ホームを開きたいと思っています。小さいころから母方の祖母に育てられましたが、日本に来て10数年、祖母に孝行したいと思ったときにはチャンスがなかった。この世を去ってしまったからです。祖母に何もしてあげられず、本当に後悔しています。

 数年前に帰国して、多くの老人ホームを見学しました。条件は理想的なものではなかった。子どもが身近にいないので、お年寄りは非常に孤独を感じています。とくに一人っ子政策をとる中国では、1人の子どもに2人のお年寄り〔親〕がいることになりますが、子どもはなかなかお年寄りにつきそえません。お年寄りの晩年はとてもさみしくなるのです。

 実はこの問題も解決は難しくありません。自分の子であれ、他人の子であれ、子どもが身近にいさえすれば、暮らしは豊かになります。私はふるさと寧波に、よい条件の老人ホームを開きたい。日本の老人ホームの設備、人材などすぐれた部分を中国に導入し、老人ホームと幼稚園(保育園)をいっしょに経営したいと考えています。

 建物の前方を老人ホームに、後方を幼稚園にします。老人ホームでは入居者が野菜や花を育てたり、隣の幼稚園の歌声や笑い声を耳にしたり。時には子どもたちがおじいさん、おばあさんに歌やダンスを披露する。いっしょに遊ぶこともできます。こうすればお年寄りは健康的で、楽しくいられ、認知症も減ることでしょう。寧波のこのモデルケースが成功すれば、北京、上海、大連の3カ所でもこうした老人ホームを経営するつもりです。

 人生、何のために生きるのか。私の考えと目標は、自分の死ぬ間際に多くの人に見守ってもらうことです。一生のうちにたくさんのことをして、みんなに認めてもらいたい。一家が栄え、家庭は円満で、友人が多い。そうであれば私は安心して旅立つことができます。

 現在、東京の各園にはそれぞれ園長がいて、本社は池袋にあります。本社のスタッフは約6人で、経理、人事、企画、経営などの担当者がいる。これからは私が必要とされないことを望んでいます。暇を作って中国へ帰り、ふるさとに貢献したい。在日18年になるので、そろそろ中国のために何かやる時期だと考えています。


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