アメリカでは、同性婚を認めるかどうかの論争が90年代から続いてきました。いわゆる宗教保守派が「婚姻は男女に限る」として強硬に反対していたためです。例えば、2008年の最初の大統領選挙で、オバマ大統領は「同性婚の全米での合法化」を公約には掲げませんでした。それどころか、個人として「同性婚に賛成か反対か」という点も曖昧にしていたのです。
オバマ大統領が「個人として賛成」とハッキリ述べたのは、再選を目指す選挙戦の最中である2012年の5月のことでした。しかも先にバイデン副大統領に「賛成」と言わせて「外堀が埋まった」後に、「自分も考えが変わった」と恐る恐る立場の変更を宣言したのでした。
この問題に関しては、例えば銃規制問題と同じように「大統領として国論が二分するような行動は取らない」というオバマ大統領の「慎重姿勢」が表面化したと言えるでしょう。
ですが、そのうちに時間はどんどん経過して、同性婚に抵抗のない世代が有権者となり、また過去において慎重だった人も時代の流れを受けて立場を変えてきたのです。それでも、当分の間は「州ごとに異なる判断」が続くと思われていました。
しかしながら、今年の6月に、連邦最高裁が予想に反して「全米レベルで同性婚を憲法上の権利として認める」という判決を下したことにより、この論争に終止符が打たれました。最高裁の憲法判断は即時に効力を発揮するため、全米のどの州においても同性婚の「権利」が発効したのです。
ところが、この夏ケンタッキー州ローワン郡の「郡事務官(カウンティ・クラーク)」である、キム・デービスさんは、同性カップルに対して「結婚証明書(マリッジ・ライセンス)」の発行を拒否し続けて大問題になりました。
連邦最高裁の判決が出た以上は許されない行為なのですが、デービスさんは「信仰に反する」、「神が許さない」として拒み続けたため、このローワン郡の郡庁舎には連日のように「抗議デモ」と「支持デモ」が押し寄せて大騒ぎになったのです。
デービスさんは、男性カップルから告発され、連邦巡回裁判所が9月3日に収監を決定。彼女は拘置されました。これに対して、宗教保守派が連日、抗議行動を行い、デービスさんは8日に釈放されました。裁判所はデービスさんに、事務所としての結婚証明書の発行を妨害しないよう命令を出しています。
この間、彼女の釈放運動には、共和党の大統領候補であるマイク・ハッカビー氏が奔走し、釈放の際には一緒に会見に臨んでいます。
さてこのニュースですが、何点か説明が必要な点があると思います。今回は、Q&A形式で、疑問にお答えしようと思います。
(Q)最高裁の憲法判断を無視するのは、公務員の遵法義務にも反するでしょうし、これだけの混乱を招いたにも関わらず、デービス氏はどうしてクビにならないのでしょうか?
(A)州によって制度が異なるのですが、少なくともケンタッキーの場合は、こうした事務官は公選なのです。選挙の洗礼を受けているわけで、罷免手続きというのはあるのですが、この程度(?)のことではクビにできないのです。
(Q)それにしても、堂々と拘置所に入るというのは不思議です。回避できなかったのでしょうか?
(A)アメリカの場合、主義主張を通すために拘置所に入るというのは、別に過激なことではありません。例えば教員が違法なストを行って逮捕された際には、胸を張って収監され、それを保護者たちが(待遇が改善されれば良い教育が期待できるので)デモを行って支援するというのは「よくある」話です。拘置所に入ることが「恥」だとか「汚点」という意識がないのです。
(Q)共和党のハッカビー候補が応援に来たということは、彼女は共和党員なのですか?
(A)実はれっきとした民主党員で、2012年に事務官選挙に出る時も、民主党の「予備選」を勝ち抜いているのです。南部の場合、宗教保守派というのは、以前は民主党だったのですが、それが共和党支持にシフトしたという歴史があります。彼女の場合は、シフト前の「宗教保守派は民主党」という時代を引きずっていることに加えて、官公労など支持団体の関係で民主党支持なのだと思います。
(Q)ハッカビー候補などは、大統領になって最高裁判決をひっくり返したいのでしょうか?
(A)時代の流れ、そして最高裁判決の重みを考えると「判決をひっくり返す」のは不可能でしょう。では、どうしてデービス氏の支援をしたのかというと、あくまで宗教保守派として、仮にジェブ・ブッシュ候補のような「リベラル派」が大統領候補になった際に、保守派の票の取れる候補として「副大統領候補」に指名されることを狙っているのだと思われます。
(Q)彼女の目的は具体的に何なのですか?
(A)本当は、同性婚を妨害したいのでしょうが、それは不可能でしょう。ですから具体的には、担当官として「同性カップルの婚姻証明書」に自分のサインが残るのがイヤだということだと思います。裁判所は「部下の署名を妨害しないように」という命令を出しているのですが、これも、自分がイヤな場合は、部下(副事務官など)に署名させて「トラブルを起こさないように」という一種の妥協を促したということだと思います。
オバマ大統領が「個人として賛成」とハッキリ述べたのは、再選を目指す選挙戦の最中である2012年の5月のことでした。しかも先にバイデン副大統領に「賛成」と言わせて「外堀が埋まった」後に、「自分も考えが変わった」と恐る恐る立場の変更を宣言したのでした。
この問題に関しては、例えば銃規制問題と同じように「大統領として国論が二分するような行動は取らない」というオバマ大統領の「慎重姿勢」が表面化したと言えるでしょう。
ですが、そのうちに時間はどんどん経過して、同性婚に抵抗のない世代が有権者となり、また過去において慎重だった人も時代の流れを受けて立場を変えてきたのです。それでも、当分の間は「州ごとに異なる判断」が続くと思われていました。
しかしながら、今年の6月に、連邦最高裁が予想に反して「全米レベルで同性婚を憲法上の権利として認める」という判決を下したことにより、この論争に終止符が打たれました。最高裁の憲法判断は即時に効力を発揮するため、全米のどの州においても同性婚の「権利」が発効したのです。
ところが、この夏ケンタッキー州ローワン郡の「郡事務官(カウンティ・クラーク)」である、キム・デービスさんは、同性カップルに対して「結婚証明書(マリッジ・ライセンス)」の発行を拒否し続けて大問題になりました。
連邦最高裁の判決が出た以上は許されない行為なのですが、デービスさんは「信仰に反する」、「神が許さない」として拒み続けたため、このローワン郡の郡庁舎には連日のように「抗議デモ」と「支持デモ」が押し寄せて大騒ぎになったのです。
デービスさんは、男性カップルから告発され、連邦巡回裁判所が9月3日に収監を決定。彼女は拘置されました。これに対して、宗教保守派が連日、抗議行動を行い、デービスさんは8日に釈放されました。裁判所はデービスさんに、事務所としての結婚証明書の発行を妨害しないよう命令を出しています。
この間、彼女の釈放運動には、共和党の大統領候補であるマイク・ハッカビー氏が奔走し、釈放の際には一緒に会見に臨んでいます。
さてこのニュースですが、何点か説明が必要な点があると思います。今回は、Q&A形式で、疑問にお答えしようと思います。
(Q)最高裁の憲法判断を無視するのは、公務員の遵法義務にも反するでしょうし、これだけの混乱を招いたにも関わらず、デービス氏はどうしてクビにならないのでしょうか?
(A)州によって制度が異なるのですが、少なくともケンタッキーの場合は、こうした事務官は公選なのです。選挙の洗礼を受けているわけで、罷免手続きというのはあるのですが、この程度(?)のことではクビにできないのです。
(Q)それにしても、堂々と拘置所に入るというのは不思議です。回避できなかったのでしょうか?
(A)アメリカの場合、主義主張を通すために拘置所に入るというのは、別に過激なことではありません。例えば教員が違法なストを行って逮捕された際には、胸を張って収監され、それを保護者たちが(待遇が改善されれば良い教育が期待できるので)デモを行って支援するというのは「よくある」話です。拘置所に入ることが「恥」だとか「汚点」という意識がないのです。
(Q)共和党のハッカビー候補が応援に来たということは、彼女は共和党員なのですか?
(A)実はれっきとした民主党員で、2012年に事務官選挙に出る時も、民主党の「予備選」を勝ち抜いているのです。南部の場合、宗教保守派というのは、以前は民主党だったのですが、それが共和党支持にシフトしたという歴史があります。彼女の場合は、シフト前の「宗教保守派は民主党」という時代を引きずっていることに加えて、官公労など支持団体の関係で民主党支持なのだと思います。
(Q)ハッカビー候補などは、大統領になって最高裁判決をひっくり返したいのでしょうか?
(A)時代の流れ、そして最高裁判決の重みを考えると「判決をひっくり返す」のは不可能でしょう。では、どうしてデービス氏の支援をしたのかというと、あくまで宗教保守派として、仮にジェブ・ブッシュ候補のような「リベラル派」が大統領候補になった際に、保守派の票の取れる候補として「副大統領候補」に指名されることを狙っているのだと思われます。
(Q)彼女の目的は具体的に何なのですか?
(A)本当は、同性婚を妨害したいのでしょうが、それは不可能でしょう。ですから具体的には、担当官として「同性カップルの婚姻証明書」に自分のサインが残るのがイヤだということだと思います。裁判所は「部下の署名を妨害しないように」という命令を出しているのですが、これも、自分がイヤな場合は、部下(副事務官など)に署名させて「トラブルを起こさないように」という一種の妥協を促したということだと思います。