安保関連法の成立に至る一連の経緯には、強い違和感を感じざるを得ませんでした。
まず、今回の安保関連法のベースにある集団的自衛権の合憲化というのは、昨年7月に閣議決定がされているのです。その際には大いに議論を呼んだわけですが、それでも三権のうちの行政府(内閣)が一方的に憲法解釈の変更を宣言しただけです。
では、そのまま多数派の与党が今回、議決をして押し切ったのかというと、そうではありません。その間の2014年12月には解散総選挙があったのです。ですから、閣議決定から議会での関連法議決に至る間に民意を問う機会はあったわけです。
与党は、その総選挙で勝利したのだから、今回の安保関連法成立に至る議決の過程は、強行採決でも何でもないと言っています。その一方で、参院特別委員会での採決が迫っていた状況下では、世論調査は明らかに法案に反対していました。反対を押し切っての採決に関しては、反発が出るのも自然ですし、そもそも世論調査で反対が過半数を越える法案がスイスイ通るというのも妙な話です。
その一方で、法案の可決成立から少し時間が経過した時点では、内閣支持率は少しずつ回復しているそうです。そうしたトレンドを受けて、与党からは来年の参院選では、ダブル選挙を仕掛けて「野党連合」を分断すれば勝てるなどという声も出ている、そんな報道もありました。
それでは、どうしてこのような不思議な現象が起きるのでしょうか?
日本の有権者は、その日その日の「イメージ」や「空気」に踊らされるばかりで、昔のことは忘れ、少し先のことは考えられなくなっているのでしょうか?
そうではないと思います。
一つには、民主党政権の期間に景気の低迷、デフレの進行、そして東日本大震災と原発事故の問題が発生した中で、民主党の統治能力に関して悪いイメージが固定化したという問題があります。ですから、政権選択になる衆院選では、有権者はなかなか民主党に入れづらいという傾向がまだ残っています。
もう一つは、民主党以外にも維新があり、その維新は東京中心の野党連合志向と、大阪中心の「民主とは組めない」グループに分裂しかかっているなど、仮に自民党と公明党の与党を少数政党に追い込んでも、まともな連立内閣はできそうもない、つまり野党に政策の一致点が少ないという問題があります。
では、「強力な、そして政権担当能力のある野党」が出現するまでは、ある種の擬似独裁政権として、自民党を中心とした政権が継続し、その意向を反映した法律や制度が次々に成立していくのでしょうか?
確かに今のままではそうした傾向が続きそうです。ですが、仮に統治能力があるというだけで信任を受けていても、世論の反対する法律や制度をどんどん導入していってしまっては、政権はどこかで崩壊します。
では、どうすれば良いのでしょうか?
一つ簡単な解決法があります。党議拘束を止めれば良いのです。
日本は議院内閣制ですから、首班指名選挙は党議拘束が必要でしょう。また予算の採決にあたっての拘束は残しても良いかもしれません。ですが、その他の個々の法案に関しては、党議拘束を外して、各議員は自分の選挙区やエリアの有権者、支持者の声に従って投票すれば良いのです。
そうなれば、民意に反した採決行動はできなくなります。当選1回の議員が、ベテラン議員の下で「陣笠」をやるなどというようなバカバカしい「一票の格差」もなくなります。そもそも、現在の党議拘束のもとでは「若者の声を国会に」とか「女性の視点を国政に」などというスローガンは、ほとんどが空虚な掛け声に過ぎないわけです。
党議拘束がなくなれば、その時の世論に対してかなり忠実な動きを各議員はしなくてはならなくなります。そうなれば、法案に関して「理解が進まない」という状況に対しては、もっともっと努力をするようになるでしょうし、世論も「ムードで反対」とか「良く分からないが決め方が拙速だから反対」などという甘えたことを言うのは許されず、真剣に法案に対する賛否を考えなくてはならなくなるでしょう。
党議拘束の廃止は、憲法改正などという大げさな手続きは必要としません。私的な集団である政党が申し合わせて実施すればいいだけです。例えばですが、政界再編が起きて野党が大同団結するのであれば、「首班指名と予算以外は党議拘束をしない」政党というのを作ってみたらどうでしょう?
そもそも日本の場合は、親米か反米か、親中か反中か、国際化か国内志向か、引退世代の利害か現役世代の利害か、都市の利害か地方の利害か、経済に関しては当座の延命措置か中長期の健全化か、官公労を敵に回しての行政リストラをやるかやらないか、といった「非常に重大な対立軸」が5つも6つもあるわけです。
これでは自民党とか、民主党、維新(中身は複数ですが)といった具合の「お仕着せのセットメニュー」では、個々の有権者は納得出来ないでしょう。だからといって、10個も20個も政党を作っても政権構成は機能しません。
緩やかな結集軸による政権担当可能な政党が2つ、あるいは3つか4つで連立を組み替えながら政権を運営し、個々の法案に関しては党議拘束をなくして、各議員の選挙区の民意を反映させる、そのような運営をした方が、政治は安定するのではないでしょうか。今のように「力で押し切る」代わりに民意には不満が残り、その民意自体にも「甘え」があるという「生煮え」の民主主義よりは効率も良くなるようにも思えます。
「民主主義は死んだ」とか「独裁政権を許さない」などと愚痴をこぼす前に、真剣に検討する価値はあると思います。
まず、今回の安保関連法のベースにある集団的自衛権の合憲化というのは、昨年7月に閣議決定がされているのです。その際には大いに議論を呼んだわけですが、それでも三権のうちの行政府(内閣)が一方的に憲法解釈の変更を宣言しただけです。
では、そのまま多数派の与党が今回、議決をして押し切ったのかというと、そうではありません。その間の2014年12月には解散総選挙があったのです。ですから、閣議決定から議会での関連法議決に至る間に民意を問う機会はあったわけです。
与党は、その総選挙で勝利したのだから、今回の安保関連法成立に至る議決の過程は、強行採決でも何でもないと言っています。その一方で、参院特別委員会での採決が迫っていた状況下では、世論調査は明らかに法案に反対していました。反対を押し切っての採決に関しては、反発が出るのも自然ですし、そもそも世論調査で反対が過半数を越える法案がスイスイ通るというのも妙な話です。
その一方で、法案の可決成立から少し時間が経過した時点では、内閣支持率は少しずつ回復しているそうです。そうしたトレンドを受けて、与党からは来年の参院選では、ダブル選挙を仕掛けて「野党連合」を分断すれば勝てるなどという声も出ている、そんな報道もありました。
それでは、どうしてこのような不思議な現象が起きるのでしょうか?
日本の有権者は、その日その日の「イメージ」や「空気」に踊らされるばかりで、昔のことは忘れ、少し先のことは考えられなくなっているのでしょうか?
そうではないと思います。
一つには、民主党政権の期間に景気の低迷、デフレの進行、そして東日本大震災と原発事故の問題が発生した中で、民主党の統治能力に関して悪いイメージが固定化したという問題があります。ですから、政権選択になる衆院選では、有権者はなかなか民主党に入れづらいという傾向がまだ残っています。
もう一つは、民主党以外にも維新があり、その維新は東京中心の野党連合志向と、大阪中心の「民主とは組めない」グループに分裂しかかっているなど、仮に自民党と公明党の与党を少数政党に追い込んでも、まともな連立内閣はできそうもない、つまり野党に政策の一致点が少ないという問題があります。
では、「強力な、そして政権担当能力のある野党」が出現するまでは、ある種の擬似独裁政権として、自民党を中心とした政権が継続し、その意向を反映した法律や制度が次々に成立していくのでしょうか?
確かに今のままではそうした傾向が続きそうです。ですが、仮に統治能力があるというだけで信任を受けていても、世論の反対する法律や制度をどんどん導入していってしまっては、政権はどこかで崩壊します。
では、どうすれば良いのでしょうか?
一つ簡単な解決法があります。党議拘束を止めれば良いのです。
日本は議院内閣制ですから、首班指名選挙は党議拘束が必要でしょう。また予算の採決にあたっての拘束は残しても良いかもしれません。ですが、その他の個々の法案に関しては、党議拘束を外して、各議員は自分の選挙区やエリアの有権者、支持者の声に従って投票すれば良いのです。
そうなれば、民意に反した採決行動はできなくなります。当選1回の議員が、ベテラン議員の下で「陣笠」をやるなどというようなバカバカしい「一票の格差」もなくなります。そもそも、現在の党議拘束のもとでは「若者の声を国会に」とか「女性の視点を国政に」などというスローガンは、ほとんどが空虚な掛け声に過ぎないわけです。
党議拘束がなくなれば、その時の世論に対してかなり忠実な動きを各議員はしなくてはならなくなります。そうなれば、法案に関して「理解が進まない」という状況に対しては、もっともっと努力をするようになるでしょうし、世論も「ムードで反対」とか「良く分からないが決め方が拙速だから反対」などという甘えたことを言うのは許されず、真剣に法案に対する賛否を考えなくてはならなくなるでしょう。
党議拘束の廃止は、憲法改正などという大げさな手続きは必要としません。私的な集団である政党が申し合わせて実施すればいいだけです。例えばですが、政界再編が起きて野党が大同団結するのであれば、「首班指名と予算以外は党議拘束をしない」政党というのを作ってみたらどうでしょう?
そもそも日本の場合は、親米か反米か、親中か反中か、国際化か国内志向か、引退世代の利害か現役世代の利害か、都市の利害か地方の利害か、経済に関しては当座の延命措置か中長期の健全化か、官公労を敵に回しての行政リストラをやるかやらないか、といった「非常に重大な対立軸」が5つも6つもあるわけです。
これでは自民党とか、民主党、維新(中身は複数ですが)といった具合の「お仕着せのセットメニュー」では、個々の有権者は納得出来ないでしょう。だからといって、10個も20個も政党を作っても政権構成は機能しません。
緩やかな結集軸による政権担当可能な政党が2つ、あるいは3つか4つで連立を組み替えながら政権を運営し、個々の法案に関しては党議拘束をなくして、各議員の選挙区の民意を反映させる、そのような運営をした方が、政治は安定するのではないでしょうか。今のように「力で押し切る」代わりに民意には不満が残り、その民意自体にも「甘え」があるという「生煮え」の民主主義よりは効率も良くなるようにも思えます。
「民主主義は死んだ」とか「独裁政権を許さない」などと愚痴をこぼす前に、真剣に検討する価値はあると思います。