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ゲイバーは「いかがわしい、性的な空間」ではない

ニューズウィーク日本版 2015年9月25日 16時24分

『新宿二丁目の文化人類学――ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』(砂川秀樹著、太郎次郎社エディタス)が思い出させてくれたのは、グラフィックデザインの仕事をしていた20代のころの記憶だ。

 あるとき、直属の上司からゲイであることをカミングアウトされたのだった。「君ならわかってくれると思って......」と彼はいったし、私自身、ゲイに対してはなんの偏見も持っていなかった。だから驚きもせずに事実を受け入れたが、80年代中期はまだ、ゲイがいまほど社会的に認知されていない時代でもあった。

 事実、80人ほどの社員がいたその会社で、上司の秘密を知らされていたのは私だけだった。彼も深刻な表情で、「もし知られたら、僕はこの会社にいられなくなる」と話していた。

 何度かゲイバーにも連れて行ってもらったが、「僕、ノンケですから!」と失礼なことをいいまくる私にもやさしかったお店の人は、自分たちが社会からどう見られているかをしっかり認識しているように見えた。知的だったのだ。本書の著者も自身にとってのゲイバーの重要性を冒頭で説いているが、そこに描かれているのは、あのとき私が出会った人たちと共通するなにかだった。


 当時(あるいはいまでもそうかもしれないが)、マスコミや一部の研究者が描く二丁目のゲイバーのイメージは、「禁断の園」であり、「一般の人」とは異なる人が集まる場所、(中略)「いかがわしい、性的な空間」だった。一方、私自身が通うなかで経験していた新宿二丁目は、ときに孤独感を癒してくれる居場所であり、困ったときに助けられたネットワークが存在し、ゲイとして生きていくことの意味を考えるきっかけを与えてくれた場所だった。(「はじめに」4ページより)


 本書のベースになっているのは、ゲイであることを公言している文化人類学者である著者が、2008年に東京大学大学院総合文化研究科に提出した「セクシュアリティと都市的社会空間の編成――新宿二丁目における『ゲイ・コミュニティ』意識形成の背景に関する分析から」という博士論文。東京・新宿二丁目は日本を代表するゲイの街だ。読みやすさを考慮して章の並べ替えと文章の調整をおこない、加筆してまとめたものだという。

 まずは2000年に新宿二丁目のゲイバーを中心として企画された「東京レインボー祭り」が実現するまでのプロセスが描かれる。著者もこの催しのために尽力したというが、冷静な視点で描写される実現までのプロセスは、その場にいなかったノンケの私の心をも刺激する力を持っている。

 そこに至る過程においては、新宿と新宿二丁目の関係性、「ゲイ」「ホモ(セクシュアル)」「男性同性愛者」「おかま」などのことばの意味、あるいは「観光バー」と「ゲイメンズバー」の違いなども解説されている。また第2章では盛り場と都市との関係性が取り上げられ、第4章では新宿の歴史とゲイの歴史を対比させている。

 そしてそれらを踏まえたうえで、終章では新宿二丁目の「いま」が語られる。ゲイ・コミュニティに縁のない人にもわかりやすく、しかも歴史や社会状況などを交えて"文化人類学的な観点から"解説されているため、読者はゲイに対する偏見を打ち消しながら、陽の当たりにくい世界の実情を垣間見ることができるだろう。

 重要なのは、単にゲイを持ち上げるだけではなく、「ゲイバーは一般のスナックなどにくらべれば廉価だが、サービスの基本がなってないところが多い」など、問題点にもしっかり焦点を当てているところだ。だから読者は、美化されたゲイ像を押しつけられる必要がないのである。


 ゲイについての知識が少ない人には、ゲイが集まるバーは性的な出会いを求めている場所としてのイメージをもつ人が多いかもしれない。しかしじつは、「『ゲイバーでできる』(ゲイバーで知り合ったことをきっかけに性的な関係に入る)ことは少ない」と語られることが頻繁にあり、実際にその傾向は強い。また、ゲイバーへ行く目的をあらためて尋ねると、セックスの相手を探すことをあげる人はきわめて少ないことが、質問紙調査から明らかになっている。(187ページより)


 本書に印象的な記述は数多いが、このパートもまた、私の心に訴えるものだった。簡単なことだ。「ゲイバーではいかがわしいことが日常的に行われている」というのは、ゲイではない私たちの勝手なイメージにすぎず、そこで交わされているやりとりは、一般の飲み屋と大差ないということ。

 先の経験から個人的には、ゲイにはマイノリティーとして生きていくために知性を身につけた人が多いように感じているが、もしもそうだとしたら、場合によってはノンケの恋愛事情の方がよっぽどドロドロしているという見方もできるかもしれない。

 本書の紹介を通じて「共存しよう」とか「手をつなごう」とか、痒くなってくるような理想論を押しつけたいわけではない。ただ、「知っていること」はとても大切だと考えるのである。ともに社会の一員であり、そこには上下関係も優劣もない。それを理解し、「心のどこかにとどめておく」ことこそが、なにより大切なのではないかということだ。

 あのとき上司はたしか9歳上だったから、いま62歳ということになる。グーグルやフェイスブックで探しても出てこないので、元気でいるのか少し心配ではあるけれど、もし生きているのなら、いつか再会したいと思っている。そのときは、馴染みのゲイバーに連れて行ってもらうのもいいかもしれない。

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『新宿二丁目の文化人類学
――ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』
 砂川秀樹 著
 太郎次郎社エディタス

印南敦史(書評家、ライター)

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