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心が疲れると、正しい決断はできない

ニューズウィーク日本版 2015年9月30日 16時5分

 一頭のロバが、二つの干し草の山を前にして思い悩んでいる。その二つは、そのロバからそれぞれ等距離にあり、量もまったく同じだ。ロバはどちらを選ぶこともできず、飢え死にしかかっている。

 これは「完璧に論理的なロバ」を風刺した古い哲学的なジョークだ。14世紀フランスの神学者ジャン・ビュリダンの作と言われている。

 私たちは、もちろんこの「論理的なロバ」とは違う。私たちの心は、そんなときでも行動を躊躇しないように進化してきている。完璧に合理的な選択をするというより、意外にも「感情」をもとにしたすばやい選択を行い、行動をしながら日々の生活を送っている。

 感情抜きでは、何をするにも苦労することになる。ある研究によれば、脳に損傷を負って感情を司る系統を失った患者は、ごく些細な物事の選択もできなくなるという。彼らは、「そろそろ考えるのをやめて行動する」タイミングがわからない。「ビュリダンのロバ」と同じだ。

 私たちは十分検討を重ねた思慮深い決断を下す能力がない、と言っているわけではない。そうした能力はもちながら、必要に応じてすばやく直感的に判断する能力をも備えている、ということなのだ。つまり私たちのマインドでは、状況に応じて二つの別々の思考システムが働いている。

思考の「自動システム」と「被制御システム」

 二つの思考システムのうちの一つを「自動(automatic)システム」と呼ぶことにしよう。これは、これまでの経験をもとにすばやく選択をする。このシステムが働くのは、日常の基本的な行動に際し、お馴染みの問題を解決して方向を定めるときなどだ。

 もう一つは「被制御(controlled)システム」。こちらはもっと詳細に検討したうえで決断を下す。あまり馴染みでないシチュエーションに直面したとき、あるいはとりわけ重大な選択を迫られているときに、直感的な反応を精査し、その是非を判断するのだ。

「自動システム」と言っても、機械的に選択を行っているわけではない。私たちは絶えず、ややこしい、互いに矛盾する情報の波状攻撃を受けている。自動システムは、それらをわかりやすくするためにフィルターをかけてくれているのだ。

 考慮しなくてはいけない項目について知識がゼロであっても、自動システムは答えを見つけてくれる。このシステムの役割は、これまでの経験を引っ張ってきて、そこから標準的な選択を導きだすことだからだ。

 自動システムは賢いシステムだが、間違うこともある。偏った思い込みや、周囲の無関係な要素がノイズになるときなどだ。こうしたミステイクを「無意識バイアス」と呼んでいる。これらのバイアスの多くは、私たちの心の中に固い鎖のごとくはびこっているようだ。自分が慣れている物事を選びがちだったり、良い結果の方を過大評価してリスクを過小に見積もる「楽観バイアス」などもある。

 さらに、性別や人種による差別意識や頑迷な敵対感情などの文化的バイアスもある。こうしたバイアスに気づき、それを正すことは、良い判断をするうえで非常に重要なことといえる。

 自動システムの限界を越えるには、「被制御システム」を使うのがよい。このシステムは、これから起こるシナリオを推測し、リスクとコストを評価しつつ、より多くの情報をもとにした詳細かつていねいな分析を行い、私たちの直感的な反応の是非を判断する。

心のエネルギーを使い果たさないために

 問題は、自動システムによる決断を覆すのが容易ではないことだ。被制御システムが働くときには、精神力が消耗する。意識的に考えれば考えるほど、心のエネルギーが費やされていくのだ。エネルギーが底をつくと、時間をかけたにもかかわらず、当初の直感的な決断に戻ってしまう。

 さまざまな実験から、心のエネルギーが空になると、衝動を抑制したり、熟考したりすることが難しくなることが分かっている。そのことをおそらくもっとも厄介なこととして描き出したのは、イスラエルの心理学者シャイ・ダンジガーらによる裁判官を対象にした研究だろう。

 受刑者の仮釈放を審理していた裁判官たちは、開始直後は寛大であり、3分の2の受刑者に仮釈放を言い渡していた。ところが、休憩を入れず、飲食もせずに根を詰めて審理を続けたところ、後半になると仮釈放者数がゼロに近くなっていった。被制御システムによる思考を長時間続けた結果、裁判官は心のエネルギーを使い果たし、現状維持という決断に流されるようになったのだ。

 こうした実験結果は、私たちの仕事の仕方に大いなる示唆を与えてくれる。私たちの決断に偏りが出てきて、それを正すだけの心のエネルギーが尽きているようだったら、より良い決断のために心のリソースを維持することを心がけるべきだろう。

 より良い決断をするためには、正しい分析のプロセスを踏んだり、情報の正しさを検討するだけでは足りない。精神状態を健全に保たなければならないのだ。できるかぎり情報を集めながら、バイアスのない決断をするための五つのヒントを紹介しよう。

(1)心のエネルギーを集中させる

 心のエネルギーは、徹底的に考えたり、衝動をコントロールしようとするたびにすり減っていく。だから、ここぞという大事な場面のためにセーブすることを心がけるべきだ。重要な決断が控えている時は、それとは無関係な事柄に関する判断を極力減らそう。物事の優先順位を決めたり、忙しいときでもルーチンをキープしようとしたりすることで、エネルギーの無駄づかいを防ぐことができる。有効活用すべきなのは時間だけではない。心のエネルギーにも注意を払おう。

(2)ストレスを避ける

 ストレスは、不安や脅威の警告サインである。ストレスを感じたり、ネガティブな気分にあるときには、「自動システム」はそこにフォーカスして働く。それ以外には目もくれなくなってしまうのだ。それで、チャンスを逃したり、大事な要素を忘れてしまったり、情報が不十分なまま何かを選択したりする。また、ストレスが強いと、リスクのあることに手を出したくなる。平静時には考えられないような危ない橋を渡ったりしがちだ。

(3)マルチタスクを避ける

 一度にたくさんのことをしようとすると、「自動システム」はそれらをすべて一気に処理しようとして混乱をきたすことがある。そのせいで、集中していれば起こりえないミスを犯したりもする。重要な決断をしなければいけないときには、それ以外のことはすべて心から追い出してしまおう。

(4)注意力を高める

 マリア・コニコワは、良い決断が「記憶の呼び出し」に関連していると主張している。記憶の中にある情報をスムーズに呼び出し、それを意思決定プロセスに活用することが、良い決断につながるのだという。そのためには(マインドフルネス瞑想のような)トレーニングによって注意力、集中力を高めることが有効とのことだ。

(5)軽い休息と充電

 心は、自らの健康、健全を維持するために定期的な休息を必要としている。エネルギーを充填し、リラックスするための時間を確保しよう。平日も含めて、気をゆるめ、休息をとり、リラックスとリチャージをする余裕をもつことを心がけよう。そのことが、心にも、良い決断にもポジティブな効果をもたらすはずだ。

[執筆者]
アンディ・ギブソン
イギリスで社員教育を行うマインドアップル(Mindapples)社の創設者。メンタルヘルスを専門とする。著書に"A Mind for Business"(ピアソン社)など。

編集・企画:情報工場 © 情報工場




※当記事は「Dialogue Jun/Aug 2015」からの転載記事です




アンディ・ギブソン ※Dialogue Jun/Aug 2015より転載

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