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反政府デモの「正しい負け方」とは何か?

ニューズウィーク日本版 2015年10月2日 11時46分

 2015年9月28日、香港で「雨傘運動」1周年の記念集会が開催された。1年前には最大で20万人もの市民が政府庁舎前に詰めかけたが、この日集まったのはわずかに1000人。寂しい光景となった。世界の注目を集めた若者たちの抗議活動はいったい何を残したのだろうか。「祭りの後」を振り返ってみたい。

雨傘運動とはなんだったのか

 まず、簡単に雨傘運動について振り返っておこう。

 1997年の香港返還の際、中国政府は将来的に香港特別行政区の行政長官を普通選挙で選出することを約束している。中国政府は2017年の行政長官選出時から普通選挙を導入する方針を固めたが、しかしそれは中国政府の意に沿う候補者しか立候補できないという偽りの普通選挙だった。それで「我要真普選」(真の普通選挙が欲しい)をスローガンとし、昨年秋に起こったのが雨傘運動だ。

 抗議の座り込みを行い、強制排除・逮捕された学生団体メンバーを支持するべく、学生や市民など約5万人が政府庁舎付近に集まったが、9月28日に警官隊が催涙弾を使用した。当局の暴力的行為が反発を招き、最大20万人もの人々が抗議に集まった。参加者の多くが催涙弾よけのための傘を持ち寄ったことから、海外メディアにより「雨傘運動」と呼ばれるようになる。

 参加者は政府庁舎前(セントラル)、コーズウェイベイ、モンコックの3カ所で道路占拠を実施し、「真の普通選挙」を導入するよう政府に要求を続けた。12月15日まで79日間にわたり占拠は継続された。最終的に警察の強制排除によって運動は終結する。

 この雨傘運動は世界的な注目を集めた。大都市の中心部で長期にわたる占拠が実施されるという異例の事態もさることながら、占拠区には無数のアートが飾られ、夜中に携帯電話のディスプレイの明かりを利用した光の集会が開催されるなど、アーティスティックなビジュアルを駆使した手法、占拠区で学生たちによる自習室や市民教室などが開催された点も、注目を集めた理由となった。

 筆者も昨年、現地を取材したが、占拠区の隅にぽつんと座り、静かに運動支持を表明する人の姿など、胸を打たれる情景がいくつもあったことを鮮明に覚えている。

祭りの後に何が起きたのか

 若者たちを中心に美しい運動が展開されたが、政府の強権に敗れ去ってしまった――となればわかりやすいストーリーだが、残念ながらそれだけではなかった。

 運動は組織的な動員ではなく、義憤を感じた人々が自然に集結したという側面が強い。既存の政治団体に縛られない市民的抵抗などと表現すればなにやらすばらしく感じるが、運動全体の意思統一の手段がなかった。香港政府と学生団体との対話は、わずか1回で物別れに終わってしまう。モンコックの占拠区では香港の中心的繁華街であるネイザンロードを長期にわたり占拠したため、近隣の商店に大きな打撃を与えたとされる。

 また、平和的かつ美しい運動の姿ばかりがクローズアップされたが、別の場所では諸肌を脱いだ荒くれ者たちが道路に大の字になって寝ていて、警官や中国人観光客ともみあいになるシーンも多かった。

 占拠が長引くにつれ、運動のリーダー的存在と見なされていた学生団体「学聯」への批判も強まっていく。学聯は8校の大学学生会が加盟する組織だったが、雨傘運動終結後に民主的な運営がなされていないとの批判が高まり、4校の学生会が脱退している。

 また運動当初は理性的な動きが目立ったが、次第に中国本土人に対するヘイト的な動きが散見されるようになる。もともと香港では、大手ネット掲示板を拠点としてヘイト的な活動を行うグループがあり、2012年には募金を集めて「中国人は醜いイナゴ」との新聞広告を出したり、あるいは繁華街で中国人観光客を罵倒するなどの"運動"が行われていた。こうした過激な人々は数こそ少ないものの、次第に目立つ存在となっていった。

 雨傘運動の終結後は、中国人「鳩嗚団」(「購物団」の掛け言葉。「購物」は「買物」のこと)と呼ばれる、中国人観光客への罵倒、嫌がらせを行う活動も行われた。一方、平和的抵抗を呼びかける人々を「左膠」(クソサヨク)と侮蔑し、堂々と「以武制暴」(武力をもって暴政に対抗する)を主張する人まで現れている。

 その後、実効的な動きを見せられなかった民主派への失望が広がった。毎年7月1日の香港返還記念日には大規模なデモが実施されるが、2015年のデモは参加者が主催者発表でも約4万8000人と予定数の半分以下という退潮を見せている。今年11月には区議会選が実施されるが、民主派に失望した人々が独自候補を擁立する動きを見せており、野党票を食い合うことで、建制派と呼ばれる政府支持派が圧勝する可能性が高まっている。

東アジアに訪れた街頭政治の時代

 2014年3月の台湾・ひまわり学生運動、2014年9月の香港・雨傘運動、そして今夏の日本の反安保法制デモ。それぞれは直接関連しているわけではないが、いずれも若者発の運動である点、従来とは異なるポップな装いをしている点で共通している。既存の政治制度に限界を感じた人々による街頭政治の時代が東アジアに訪れている。

 短期的な成果だけで見ると、学生たちが立法院を占拠し、中台サービス貿易協定の批准をストップさせた台湾だけが成功したように見える。ただし台湾のケースでは、与党・国民党の大物でありながら、馬英九総統と対立していた王金平立法院院長が学生支持に回ったことが最大の要因であり、幸運に恵まれたことは否定できない。

 歴史を紐解いてみても、街頭運動が短期的な成果をあげることは困難だ。だがそれだけがすべてではない。問題はどのように負けるか、祭りの後に何をもたらすことができるかにある。

 雨傘運動は何を残したのだろうか。中国政府の押し付けに対する香港社会の抵抗力を見せつけたという側面は否定できない。しかし、1周年記念集会の寂しい光景や今も続くヘイト的な活動、政府批判派の分裂を見ると、正しい負け方ができたとは言いがたいのではないか。

[執筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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