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女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備(前編)

ニューズウィーク日本版 2015年10月2日 14時49分

 米デューク大学大学院でMBA取得後、ゴールドマン・サックスへ。激務の合間にエベレスト登頂の準備を進め、アメリカ初の女性エベレスト遠征隊隊長となった。その後も登山家としてキャリアを積み、七大陸最高峰登頂に成功したアリソン・レヴァインはこう問いかける。「あなたは正しいエゴを持っているか?」

 登山とはまさにチームワークであり、登山隊という極限状態にあるチームには卓越したリーダーシップが不可欠だ。レヴァインは著書『エゴがチームを強くする――登山家に学ぶ究極の組織論』(小林由香利訳、CCCメディアハウス)で、登山家としての経験に裏打ちされた、エゴに基づくリーダーシップ論を展開している。

 世界経済フォーラム総会(ダボス会議)で講演するなど、講師としても活躍するレヴァインは、「前進しているときは引き返せ」「弱点を克服しようとするな」「睡眠不足の練習をせよ」「成功は問題のもと」と説く。ここでは、本書の「第1章 準備はとことん――ときには痛みを」から一部を抜粋し、前後半に分けて掲載する。

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『エゴがチームを強くする
 ――登山家に学ぶ究極の組織論』
 アリソン・レヴァイン 著
 小林由香利 訳
 CCCメディアハウス


◇ ◇ ◇

 準備は大切だ。ただし私の言う「準備」は、必ずしもボーイスカウトのモットーで言うような準備ではない。マッチを余分に持っていこう、と言っているわけじゃない。徹底的な準備をしよう、という意味だ。

 一九七五年五月一六日、田部井淳子はエベレスト登頂に成功し、女性では初めて世界最高峰に立った。田部井は身長約一五〇センチ、当時は三五歳で、東京の自宅に三歳の娘を置いての挑戦だった。田部井の快挙がひときわ目を引くのは、その一二日前にチームメイト五人(全員が日本の女性登山隊のメンバー)と共にキャンプ2で雪崩に巻き込まれ、完全に生き埋めになっていたことだ。シェルパが六人がかりで救出した。奇跡的に全員が生還したが、心身共に打撃を受け傷ついていた。田部井自身、雪崩直後は立っていることもままならないほどの激痛に苦しんだ。それでも何かが彼女を山頂へ導いた。それは何だったのか。田部井は次のように語る。「体力とか技術が優れていたからできたのではない――意志こそ力だ――意志というのはお金で買うこともできないし、第三者がつくってあげるものでもない――自分自身の心の中から湧いてくる」

 そのとおりだが、ひとこと付け加えたい。意志は山頂到達を後押しするだろうが、無事に下山するには技術と体力もあったほうがいい。皆忘れがちだが、山頂はあくまでも折り返し点だ。高峰での死亡事故の大部分は山頂にたどり着いた後に起きる。山頂に到着するためにエネルギーを使い果たし、下山するためのエネルギーが残っていないのだ。エベレストの頂上稜線を下るというのは苦難の連続だ――片側は三〇〇〇メートル、もう片側は二四〇〇メートルの断崖絶壁になっている。悪名高いヒラリー・ステップ(標高八七六〇メートル地点にある垂直に近い岩と氷でできた一二メートルの突起)を下り、八〇〇〇メートルのサウス・コルまで下山しなければならないので、それだけの酸素と体力を残しておいたほうがいい。さもないと死が待ち受けている。

 現実は非情で、エベレスト登頂に絶対成功してみせると固く決意している人が、山頂で遭遇する現実への備えができていないせいで命を落とすケースも多い。実際、登頂したいと思うばかりで準備が伴わなければ、山で致命的な事態につながりがちだ。登頂には田部井の言うとおり強靱な意志が必要だが、それだけで十分ということはめったにない。究極の環境においては、適切な訓練と準備が成功率を大幅に引き上げる。

 準備不足のせいで遠征が残念な結果に終わるのを、私はこれまでたびたび目にしてきた。山で、ビジネスで、あるいは人生で、大きく手ごわい難題に挑もうとする場合、成功するかもしれないし失敗するかもしれないというのは承知の上だ。それでも、失敗して、もっと準備しておきさえすれば違う結果になっていただろうに、などと後悔するはめにはなりたくないはず。周囲の状況が原因で諦めた場合も気落ちはするけれど、周囲の状況は自分ではどうしようもないから、自分自身や自分の能力についてくよくよ後悔したりはしない。けれども、自分の力不足で目標達成を諦めた場合は、自分を責めて厳しく問い詰める。《もっと時間をかけて訓練できたはずでは? もっとハードな訓練ができたのでは? もっといい訓練方法があったのでは? 一生懸命さが足りなかった? それとも集中力が足りなかった?》

 こうした問いに答えられるのはあなただけだ。自分とチームが成功するために人事は尽くした、という気分で登山に臨みたい。いったん山に入ったら、何もかもがあなたの邪魔をする。寒さ、風、高度、体力の低下、精神的な壁、予備のトイレットペーパーをくすねるチームメイト――何もかもが、だ。コンディションが万全でないというのは言い訳にならない。万全のコンディションで臨むのがあなた自身の責任であり、それ以上にチームに対する責任でもある。リーダーたるもの、前もって戦闘態勢を整えておくべきだ。リーダーは人並み以上に期待されるもの。心身共に期待を上まわる成果を示さなければならない。

ゴールドマン・サックス時代

 高所遠征トレーニングは誰にとっても楽ではないが、特に苦労するのが、普段は近くに山がなくて代わりのトレーニング方法を探さなければならない人たち―たとえばこの私だ。二〇〇一年、アメリカ初の女性エベレスト遠征隊の準備をしていた頃の私は、ビジネススクールを卒業してゴールドマン・サックスに入社して一年目。ニューヨーク本社で九カ月勤務した後、サンフランシスコ支社に異動になったばかりだった。ゴールドマンに就職できるなんて思ってもいなかった。他の志願者はアイビーリーグの名門大学を出ていて、MBAの取得前に金融業界で勤務した経験のある人も多かった。それに引き替え、私はアリゾナ大学の教養学部出身で、金融や会計の予備知識はゼロだった。ビジネススクールでの定量分析手法の授業の成績もぱっとしなかったから、なおさら一流金融企業への就職は見込み薄に思えた。それでも粘り強さと意欲と決断力だけはあった。それにビジネススクールが休みの間に登山に出かけたときはいつも企業の採用担当者に絵はがきを送っていたから、独創性の点数は多少稼げたと思う(CFAのクラスから絵はがきを送るより目立つので)。それに、少なくとも金融の仕事を覚えるくらいの知性は持ち合わせていると、採用担当者に思ってもらえたらしい。

 ビジネススクールに入学したのはいつか冒険旅行会社を経営したいと思ったからで、まさか自分が投資銀行で働くとは思っていなかった。でも金融は学びたかったので、それにはウォール街の企業が一番だと考えた。当然ながら、ゴールドマンでの仕事では毎日が緊張の連続だった。まわりは市場に情熱を持っている人たちばかり。同僚のほとんどは午前五時か六時には席に着いていて、もっと早く出社している人も多かった。毎日そんなに朝早くから何をしているのか、確実なところはわからなかったけれど、とにかくみんな忙しそうな様子だった。それなら私にもできそうだった――ひたすらコンピューターの画面を見つめて、市場の動向に応じてうなずくなりオーバーに頭を左右に振るなりすればよかった。

 ゴールドマン・サックスではうまくやりたいと本気で思っていた。何と言っても、そもそもゴールドマンに就職しようなどというのが一か八かの賭けで、危険を冒して私を採用した人たちを失望させたくなかったのだ。私なんかを採用したのは世紀の大失敗だったといつかきっと後悔することになるはずだけれど、私としてはせっかくのチャンスを今すぐふいにしたくはなかったので、朝早くから夜遅くまで働いて、大物に会う資格があるふりをした。受話器を手に取り、周囲に聞こえるように大きすぎるくらいの声で話した。「はい、そうですね、ゲイツさん......ええ、オーケー、ビル......あなたがどうしてもと言うなら......ええ、火曜日に。ええ、午前一〇時で結構よ。メリンダによろしく」

 もちろん電話の向こうには誰もいない。私に会ってくれる見込み客なんているとは思えなかった。そのせいか、歩合はまったく稼げず、社内の実務アシスタントの大半より給与も安かった。彼らのほうが私よりも仕事ができたからだ。ゴールドマンになじめないと感じながらも、私は絶対にうまくやってみせると決意していた。大いに学び、仕事にはうんざりしていたけれど会社と同僚たちのことはとても好きだった。それに仕事を楽しんでいるかどうかは関係なかった――労働契約を結んだのだし、失敗したくはなかったのだ。

※女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備(後編)はこちら

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