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女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備(後編)

ニューズウィーク日本版 2015年10月5日 18時5分

 米デューク大学大学院でMBA取得後、ゴールドマン・サックスへ。激務の合間にエベレスト登頂の準備を進め、アメリカ初の女性エベレスト遠征隊隊長となった。その後も登山家としてキャリアを積み、七大陸最高峰登頂に成功したアリソン・レヴァインはこう問いかける。「あなたは正しいエゴを持っているか?」

 登山とはまさにチームワークであり、登山隊という極限状態にあるチームには卓越したリーダーシップが不可欠だ。レヴァインは著書『エゴがチームを強くする――登山家に学ぶ究極の組織論』(小林由香利訳、CCCメディアハウス)で、登山家としての経験に裏打ちされた、エゴに基づくリーダーシップ論を展開している。

 世界経済フォーラム総会(ダボス会議)で講演するなど、講師としても活躍するレヴァインは、「前進しているときは引き返せ」「弱点を克服しようとするな」「睡眠不足の練習をせよ」「成功は問題のもと」と説く。ここでは、本書の「第1章 準備はとことん――ときには痛みを」から一部を抜粋し、前後半に分けて掲載する。

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『エゴがチームを強くする
 ――登山家に学ぶ究極の組織論』
 アリソン・レヴァイン 著
 小林由香利 訳
 CCCメディアハウス


※女性エベレスト隊隊長に学ぶ、究極の準備:前編はこちら

◇ ◇ ◇

 二〇〇一年に市場が急落してからは状況はさらに厄介になった。誰もがレイオフを懸念し、大規模な「働いてます」アピール競争に突入した。みんな出社時間がどんどん早くなり、退社時間はどんどん遅くなっていった。出社するのが誰よりも遅くなったり、誰よりも早く退社したりするのを嫌がった。私も帰りは毎晩遅くなっていた。

 その一方で、エベレスト遠征のスポンサー探しも続けていた。資金が調達できなければ遠征はできなかったから。三万ドルがどこかに転がっているわけではなく、知り合いにも登山家でお金のある人間なんていなかった。おまけに私は「癌研究V財団」のための資金も調達したいと考えていた。財団の設立者はスポーツ専門ケーブル局ESPNの解説者と大学バスケットボールの伝説的コーチで癌のため一九九三年に世を去ったジム・ヴァルヴァーノ。私はヴァルヴァーノが死去する八週間前にESPNが主催するESPY賞の授賞式で行った「決して諦めるな」というスピーチを聴いて、彼の大ファンになった。今度の登山を何かインパクトのあるものにしたいと思っていたので、それには財団のための資金調達をするのはいい方法だと思った。

 もちろん、それはエベレスト遠征が実現すると見込んでの話で、すでに財団にはヴァルヴァーノ・コーチへの哀悼の意を込めて登ると伝えてあったから、確実に実現させなければという焦りがあった。そのため、仕事から帰って、郵便物を開封し、何かしらおなかに入れた後は、遠征のスポンサー探しと癌研究のための寄付を募ることに専念した。毎晩何十通も手紙を書き、何百通もeメールを送った。気がついたら真夜中を過ぎていることも多かった。毎朝四時に起きる必要があったので、睡眠をとり、かつ世界最高峰に登頂するトレーニングを積むための時間は、毎晩四時間しか残らなかった。

 でもそのうち、この難題を解決する理想的な方法を思いついた。二四時間営業のフィットネスクラブを見つけ、午前一時ごろに行って目をつぶったままできる心肺強化トレーニングマシンを探した(高負荷のステアマスターとか、高負荷のエアロバイクとか)。ステップを踏んだりペダルを漕いだりしながら、ジムにいる間に睡眠をとり、同時にトレーニングもしているのだと自分に言い聞かせた。太陽が昇る前に脚力を鍛え、心肺機能トレーニングをし、同時に少しレム睡眠が取れれば、「自由時間」をかなり有効に使えると考えた。マルチタスクの達人気取りで浮かれていた。お笑いだ!

 言うまでもなく、結局やるべきことはどちらも(睡眠も適切なトレーニングも)達成できず、十日くらい過ぎたころには疲れ果ててしまった。ストレスも限界を超えていた。慢性的な睡眠不足と極度の疲労で体調がおかしくなっていた。それ以上に、トレーニング方法が非効率的だったので、準備不足のまま登頂に臨むはめになりかねなかった。それは困る。アメリカ初の女性エベレスト遠征隊の隊長として、そんなまねは絶対にできなかった。だからといって仕事が疎かになれば、ゴールドマンをクビになるおそれがあった。それも困る。給与でなんとか毎月の生活費をまかなっている状態で、学生ローンの返済も残っていたから、クビになるわけにはいかなかった。絶対に失業するわけにはいかないから仕事を疎かにはできず、遠征中はみんな私を頼りにするからトレーニングも疎かにはできなかった。

 結局、午前一時のトレーニングは諦めざるを得ないと悟った。どのみち効果も挙がっていなかった。本格的な遠征のための体づくり(あるいは精神づくり)はジムでできるものじゃない。チームメイトはコロラド州やワシントン州のアウトドアでトレーニングしているはずで、私も自分自身のためにもチームメイトのためにも、可能なかぎり万全の体調で臨む責任があった。それを踏まえて、私はトレーニングのやり方をすっかり変えた。平日はゴールドマンでの仕事に専念し、夜はできるだけ睡眠を取るために、起床時間を午前五時三〇分にずらした。仕事が終わった後の夜の時間は資金集めに充てた。そのうえで週末は登山に備えた適切な訓練に励んだ。金曜日は一日じゅうオフィスで仕事をし、土曜日になるとサンフランシスコのアパートメントから車で五時間半から六時間半かけて、カリフォルニア州シスキュー郡のシャスタ山に向かった。

 シャスタ山は標高四三二二メートル、冬は雪で覆われる。駐車場から山頂までの道のりは約九・五キロメートル、標高差は二〇〇〇メートルを超える(九・五キロでは急激な上昇だ)。ルートのかなりの部分はピッケルとアイゼンが必要なほど険しい。山頂の風速は毎時一六〇キロメートルを超えることもある。全体として、本格的な遠征に向けた調整をするには最高の場所だ。シャスタ山に登るほうがジムでのトレーニングよりはるかに効果的なのは間違いなかった。

 屋内で何時間もステアマスターを使ったトレーニングをすれば、空調の効いたオフィスビルの長い階段を昇る場合などは大いに役立つが、八〇〇〇メートル峰を目指す場合は役に立たない。登山で成果を挙げたいなら、山で遭遇する状況をシミュレーションしておくことが大切だ。そのためには屋外で、背中に重い荷物をくくりつけ、ピッケルを握り締め、雪や強風や低温と戦いながら、それなりの山に登らなければならない。

 シャスタ山は私にとって理想的なトレーニング場所だった。車で夕方出発して午後一一時に到着、一一時三〇分ごろ登り始めて、駐車場と山頂を一気に往復する。所要時間は荷物の重さにもよるが、たいてい一〇時間から一二時間。おかげで体力が鍛えられたのはもちろんだが、シャスタ山に登ることで得るものは他にもあった。一晩じゅう一睡もせず、「ガス欠」覚悟で、アドレナリンとパワージェルひとつかふたつだけをエネルギー源にしながら頑張りぬいたおかげで、精神も鍛えられた。

 遠征では、一晩一睡もせずに山に登ることも珍しくない。眠れない理由はいろいろある。高山病とか、一晩中風が吹き荒れているとか、同じテントで寝ている仲間のいびきがものすごいとか。でもたいていは、登攀(とうはん)開始の予定時刻が午前二時(ひょっとするとそれ以前)だからだ。日の出よりずっと早い時間から登り始める。ルートが凍っているほうが安全なのだ。クレバスが口を開けたり、雪崩が起きたり、落ちてきた岩に直撃されて命を落としたりする危険性が少ない。寝過ごしては困るから、午後九時にテントで横になっても、なかなか寝付けず、何度も寝返りを打つはめになる。

 有能なリーダーになるには、睡眠がとれない状況にも慣れておくことが大切だ。環境は変わりやすいものだから、想定外の事態が待ち受けている場合もあるはずだ。締め切りが迫っている場合や、何か結果を出すと約束した場合は、徹夜してでも守る。一瞬たりとも気が抜けない危機的状況に陥る可能性も大いにある。眠れないことそのものよりも、眠れないストレスのほうが足を引っ張りがちだから、一晩じゅう一睡もしなくても翌日ちゃんとやれるようになれば素晴らしい。眠れるに越したことはないが、睡眠不足の「予行演習」をしておけば、実際に睡眠不足になっても、そのストレスで参ってしまう心配はない。ストレスと睡眠不足の両方か、それともただの睡眠不足か。選ぶのはあなただ。

 疲れすぎで失敗するなんてことは絶対に避けたほうがいい。そんなのは言い訳にならない。頭の中で、まだまだ行けるという声がすれば、全身をアドレナリンが駆けめぐる。ただし、オフィスで午後四時から先期の財務状況についての会議が始まるのをじっと待っているときは、アドレナリンが分泌されない可能性もあるので、ときには一杯のコーヒーが必要かもしれない。昼寝をして英気を養う技を習得するのもお勧めだ。自分の車に行くなりオフィスのドアを閉めるなりして、二〇分眠る。テキサス脳脊髄研究所のジョナサン・フリードマン所長によれば、「昼寝は非常に短時間でも認知機能を大幅に向上させるという科学的証拠が出てきている」。以上。

 これを読んで、睡眠不足の練習をするなんてアメリカ○○アカデミーが白書や学会誌で健康を維持し成果を挙げる方法について言っていることと矛盾する、と指摘してくる人もいるだろう。わかっている――そこをどうこういうつもりはない。ただ私の場合に効果があった方法を伝えようとしているだけで、やるかどうかはお好きなように。私も睡眠不足が成果や判断力に影響するという科学的研究の多くに目を通して、睡眠不足が長引いた場合の認知能力への影響はアルコールの血中濃度が〇・一〇パーセントの場合(アメリカのどの州でも飲酒運転になる下限値)に匹敵する、という研究結果があるのは知っている。

 でも、エベレストで車を運転するわけではないし、この本も百歳まで生きる方法を紹介しているわけではない。この本のテーマは、チームの皆があなたを頼りにしているときにあなたは何をすべきかだ。リーダーであるあなたが疲労くらいでストレスを感じていたら、チームの皆もストレスを感じてしまうはず。私は何も、眠らないほうがいいと言っているわけじゃない。ただ、極端な状況で睡眠不足だから使いものにならないようでは困る、ということだ。だから眠れないまま山で(あるいはオフィスで)過酷な一日を迎えても、余計な心配はしなくていい。とにかくやり抜こう。その状態がいつまでも続くわけじゃない。一時的なものだ。

 シャスタ山では睡眠不足に慣れるだけでなく、カロリー不足に慣れるトレーニングもできた。水分もカロリーも十分に取れない状態で登山する訓練をした。一二時間の登山中あえて水分や食事を必要な量以下に制限し、水分もカロリーも不足した状態での登山を疑似体験した。もちろん本当に必要になったときのためにザックには水も食料もたっぷり詰め込んでいた。ただ、水や食料が底をつきかけた場合に自分の体と心がどう反応するかを知り、エベレストでそういう状況に陥っても動揺しないようにしておきたかった。

 現実にはほとんどの人が、登山中に何度も脱水やカロリー不足の状態を経験するはずだ。水やカロリーを取る必要があるのに取れない状況にたびたび陥るだろう。スナックバーをポケットから取り出してみたら、七時間も暖かいところに入れていたせいで、噛んだら間違いなく歯が抜ける状態になっていて、もう捨てるしかなく、結局何も食べないまま雪に覆われた山の斜面を下りていく......なんてときはもう最悪だ。水筒の水を飲もうとしたらガチガチに凍りついていて飲めなかった、という悲惨な目に遭うこともある(絶対に凍らないとアウトドア用品ショップの店員が請け合った断熱性ホルダーに入れておいたのに)。つらくても頑張り抜かなければならない状況の感覚をつかんで、登山中最も緊迫した過酷な時期にも登り続けられるようにしておく必要がある。

 そういう境地――持てる力を出し尽くして頑張り抜いたという境地――に達したら、次もやれるという自信が生まれ、不安に思わなくなる。高峰に登る場合、これ以上はもう一歩も進めないという気持ちに追い込まれる......。内心こんなふうに思うかもしれない。《うわーっ、もうだめーっ......これが限界かも。これ以上は進めない......》それでもあなたはもう一歩踏み出す......それからもう一歩。さらにもう一歩。自分で行けると思っていた地点を通過する。次にもう一歩も進めないと思ったとき、あなたは心の中でこう思う。《ああ、あのときと同じ――あのときももう限界だと思って、それでもやめなかった。あのときやれたんだから、今度だってやれる》あなたは一歩踏み出す。それから一歩、また一歩。どんなにつらくなっても、あなたは歯を食いしばって進み続ける。あなた独りのためではないから。まわりの皆のためだから。おわかりだろうか。あなたが必死でトレーニングするのは結局は皆のため。チームのためだ。


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