テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)は昨年6月、イラクとシリアの広大な領域を制圧し、イスラム国家の樹立を宣言した。このとき彼らは支配下に置かれる人々に約束した。
「これはムスリムの国だ。抑圧されたムスリム、孤児、夫と死別した女性、そして貧困にあえぐ人たちのための国だ」
ISISの「報道官」を名乗る人物は、イスラム法に基づく統治を行う「政府」の方針をそう説明した。「イスラム国の人々は生命と財産の安全を保障され、(従来の国境を越えてビザなしで)自由に移動できる」
ISISの支配地域の事実上の首都となったシリア北部の都市ラッカは当初、お祭りムードに包まれた。それからほぼ15カ月。ISISもまた、世界中の新政権が例外なく悩まされる現実に直面している。公約を掲げるのは簡単でも、実現は困難を極めるという現実だ。
「ISISは貧しい人々の味方だと言い、彼らにカネを与えると約束したが、そのカネで武器を買っている」と、歯科医志望のサイフ・サイードは批判する。
サイードはISISの支配下に置かれたイラク北部の都市モスルの大学に在籍していた。だがイラク政府がそこで取得した学位を公認しない方針を打ち出したため、首都バグダッドに脱出した。
油田の制圧で資金源を確保できると踏んでいたISIS。しかしその後、想定外の事態が相次いだ。石油の国際価格は急落。追い打ちをかけるように、ISISの拠点と石油関連施設を標的にした米軍主導の有志連合の空爆は激しさを増した。
流入する資金が減ったため、ISISは支配地域で暮らす推定800万人の住民から重税を取り立てるようになったと、専門家は言う。支配地域の住民の証言もそれを裏付けている。
医師や技術者が次々に逃げ出していることに加え、女性の就労が厳しく制限されていることも経済の足を引っ張っている。
こうした要因が重なって、ISISの支配地域では戦闘員と住民の所得格差が広がり、住民の不満が高まっている。
「住民は税金の支払い、とりわけ(ISISがさまざまな名目で取り立てる)罰金の支払いに苦しんでいる」と、モスル在住の30歳の医師アフメドは証言した(彼は反ISIS組織に参加しているため、実名を伏せて電子メールで取材に応じた)。
弱者救済の寄付金も流用
昨年6月にISISが制圧するまで、モスルの人口は約200万人だった。医療、交通、水道、電気など市の公共サービスの利用料金はISISの支配が始まってから大幅に上がった。
もうじき冬を迎えるが、支配地域の住民たちは食料と燃料価格の高騰に加え、頻繁に起こる停電に悩まされている。
「ISISが支配する以前は灯油1リットルが30セント相当だったが、今では2ドルもする」と、医学生のサイードは言う。「調理用のLPガスボンベ1個は5ドルから25ドルに跳ね上がった」
サイードによれば、ISISは「ザカート(寄付)」の名目でイスラム教徒の住民から所得の2.5%を徴収しているが、それを本来の使途である弱者救済には充てていないという。
貧しい人々がさらに窮乏する一方で、戦闘員(外国人の割合が増えている)は比較的快適な暮らしを享受している。「外国人戦闘員は欧米式の贅沢な生活をしている」と、アフメドはモスルの状況を伝える。「5つ星のニナワ国際ホテルや逃亡した金持ちの豪邸に滞在し、医療もただで受けられる。住民は1日2時間しか電気が使えないのに、彼らは使い放題だ」
資金の流入が減っても、ISISは戦闘員に高い給与を払い続けている。米財務省によると、最高額は一部の外国人戦闘員が受け取っている月1000ドルだ。戦闘員の給与だけで、ISISの支出は年間3億6000万ドルに上るとみられる。
収入はどうか。米シンクタンクのランド研究所によると、ISISの昨年の収入は推定12億ドルだ。うち5億ドルはイラクの国営銀行数行を占拠して没収したカネで、1度限りしか入ってこない。
ISISが戦闘員の給与に多額の資金をつぎ込んでいることは驚くに当たらないと、ロンドンのシンクタンク・王立統合軍事研究所(RUSI)のトム・キーティンジは言う。「今後はますます支配体制の維持が優先されるだろう。不足しがちな資金は組織の幹部と戦闘員に真っ先に分配される」
とはいえ、支配を確立した当初「資金は潤沢にあった」と、キーティンジは付け加える。「問題はこれまでにどれだけ使い、今どれだけ稼いでいるかだ。いずれは当初の余剰分を取り崩すことになるだろう」
通貨発行を宣言するも
経済に痛手となっているのは地元住民と外国人戦闘員の格差だけではない。ISISが女性に許可している職業は、女生徒相手の教師、女性患者相手の医療従事者、女性用品の販売員だけだ。
「私の姉妹は働けない」と、元医学生で、ラッカで反ISIS組織を設立したイブラヒム(偽名)は言う。「家に閉じ籠もる姉たちを見るのはつらい」
ISISの経済運営が順調ではないことを物語る証拠はほかにもある。ISISは8月末、独自通貨の発行を宣言する1時間の動画を公開した。「カリフ国の勃興──ディナール金貨の復活」と題したこの動画で、ISISは金本位制を復活させ、「人々を奴隷にするアメリカ資本主義の金融制度を破壊する」と豪語している。
しかし、それからほぼ1カ月たった今も、ISISは戦闘員に米ドルで給与を支払っている。
経済・財政運営につまずいて、ISISの支配は終焉を迎えるだろうか。そうとは限らないと、ランド研究所のアナリスト、ベン・バーニーはみる。
「ISISの支出はわずかだ。給与以外はほとんど使っていない。公共事業はほぼゼロ。福祉も1回限りのばらまきだけだ。ISISは90年代にイスラム原理主義勢力タリバンがアフガニスタンで行ったような統治ができれば満足なのだ」と、バーニーは言う。「彼ら流の法の支配を徹底できればいい。必要としているのはインフラ整備ではなく、戦闘員と武器だ」
[2015.10. 6号掲載]
ミレン・ギッダ
「これはムスリムの国だ。抑圧されたムスリム、孤児、夫と死別した女性、そして貧困にあえぐ人たちのための国だ」
ISISの「報道官」を名乗る人物は、イスラム法に基づく統治を行う「政府」の方針をそう説明した。「イスラム国の人々は生命と財産の安全を保障され、(従来の国境を越えてビザなしで)自由に移動できる」
ISISの支配地域の事実上の首都となったシリア北部の都市ラッカは当初、お祭りムードに包まれた。それからほぼ15カ月。ISISもまた、世界中の新政権が例外なく悩まされる現実に直面している。公約を掲げるのは簡単でも、実現は困難を極めるという現実だ。
「ISISは貧しい人々の味方だと言い、彼らにカネを与えると約束したが、そのカネで武器を買っている」と、歯科医志望のサイフ・サイードは批判する。
サイードはISISの支配下に置かれたイラク北部の都市モスルの大学に在籍していた。だがイラク政府がそこで取得した学位を公認しない方針を打ち出したため、首都バグダッドに脱出した。
油田の制圧で資金源を確保できると踏んでいたISIS。しかしその後、想定外の事態が相次いだ。石油の国際価格は急落。追い打ちをかけるように、ISISの拠点と石油関連施設を標的にした米軍主導の有志連合の空爆は激しさを増した。
流入する資金が減ったため、ISISは支配地域で暮らす推定800万人の住民から重税を取り立てるようになったと、専門家は言う。支配地域の住民の証言もそれを裏付けている。
医師や技術者が次々に逃げ出していることに加え、女性の就労が厳しく制限されていることも経済の足を引っ張っている。
こうした要因が重なって、ISISの支配地域では戦闘員と住民の所得格差が広がり、住民の不満が高まっている。
「住民は税金の支払い、とりわけ(ISISがさまざまな名目で取り立てる)罰金の支払いに苦しんでいる」と、モスル在住の30歳の医師アフメドは証言した(彼は反ISIS組織に参加しているため、実名を伏せて電子メールで取材に応じた)。
弱者救済の寄付金も流用
昨年6月にISISが制圧するまで、モスルの人口は約200万人だった。医療、交通、水道、電気など市の公共サービスの利用料金はISISの支配が始まってから大幅に上がった。
もうじき冬を迎えるが、支配地域の住民たちは食料と燃料価格の高騰に加え、頻繁に起こる停電に悩まされている。
「ISISが支配する以前は灯油1リットルが30セント相当だったが、今では2ドルもする」と、医学生のサイードは言う。「調理用のLPガスボンベ1個は5ドルから25ドルに跳ね上がった」
サイードによれば、ISISは「ザカート(寄付)」の名目でイスラム教徒の住民から所得の2.5%を徴収しているが、それを本来の使途である弱者救済には充てていないという。
貧しい人々がさらに窮乏する一方で、戦闘員(外国人の割合が増えている)は比較的快適な暮らしを享受している。「外国人戦闘員は欧米式の贅沢な生活をしている」と、アフメドはモスルの状況を伝える。「5つ星のニナワ国際ホテルや逃亡した金持ちの豪邸に滞在し、医療もただで受けられる。住民は1日2時間しか電気が使えないのに、彼らは使い放題だ」
資金の流入が減っても、ISISは戦闘員に高い給与を払い続けている。米財務省によると、最高額は一部の外国人戦闘員が受け取っている月1000ドルだ。戦闘員の給与だけで、ISISの支出は年間3億6000万ドルに上るとみられる。
収入はどうか。米シンクタンクのランド研究所によると、ISISの昨年の収入は推定12億ドルだ。うち5億ドルはイラクの国営銀行数行を占拠して没収したカネで、1度限りしか入ってこない。
ISISが戦闘員の給与に多額の資金をつぎ込んでいることは驚くに当たらないと、ロンドンのシンクタンク・王立統合軍事研究所(RUSI)のトム・キーティンジは言う。「今後はますます支配体制の維持が優先されるだろう。不足しがちな資金は組織の幹部と戦闘員に真っ先に分配される」
とはいえ、支配を確立した当初「資金は潤沢にあった」と、キーティンジは付け加える。「問題はこれまでにどれだけ使い、今どれだけ稼いでいるかだ。いずれは当初の余剰分を取り崩すことになるだろう」
通貨発行を宣言するも
経済に痛手となっているのは地元住民と外国人戦闘員の格差だけではない。ISISが女性に許可している職業は、女生徒相手の教師、女性患者相手の医療従事者、女性用品の販売員だけだ。
「私の姉妹は働けない」と、元医学生で、ラッカで反ISIS組織を設立したイブラヒム(偽名)は言う。「家に閉じ籠もる姉たちを見るのはつらい」
ISISの経済運営が順調ではないことを物語る証拠はほかにもある。ISISは8月末、独自通貨の発行を宣言する1時間の動画を公開した。「カリフ国の勃興──ディナール金貨の復活」と題したこの動画で、ISISは金本位制を復活させ、「人々を奴隷にするアメリカ資本主義の金融制度を破壊する」と豪語している。
しかし、それからほぼ1カ月たった今も、ISISは戦闘員に米ドルで給与を支払っている。
経済・財政運営につまずいて、ISISの支配は終焉を迎えるだろうか。そうとは限らないと、ランド研究所のアナリスト、ベン・バーニーはみる。
「ISISの支出はわずかだ。給与以外はほとんど使っていない。公共事業はほぼゼロ。福祉も1回限りのばらまきだけだ。ISISは90年代にイスラム原理主義勢力タリバンがアフガニスタンで行ったような統治ができれば満足なのだ」と、バーニーは言う。「彼ら流の法の支配を徹底できればいい。必要としているのはインフラ整備ではなく、戦闘員と武器だ」
[2015.10. 6号掲載]
ミレン・ギッダ