Infoseek 楽天

朝日新聞の思い出話はドキュメンタリーたり得るか

ニューズウィーク日本版 2015年10月11日 8時38分

『ブンヤ暮らし三十六年――回想の朝日新聞』(永栄潔著、草思社)というタイトルを見たとき、純粋に「おもしろそうだな」と感じた。漠然とだが、「ゴリゴリとした、新聞記者のハードライフが描かれているのではないか」と期待したからである。ところがそんな気持ちは、ほどなく純粋な疑問に変わってもいった。

「......でも、よくよく考えてみると"ブンヤ"なんて、もう誰も使っていないことばだよな」

 まるで重箱の隅をつつくような話である。が、気になり出したら頭から離れなくなってしまった。そこで知り合いの新聞記者に確認してみたところ、戻ってきたのは、「そういえば最近はあまり聞きませんね。若い人は知らないかも」というような返答。そりゃまぁそうだよなぁ......。妙に納得してしまった。「おもしろそうだな」と感じながらも妙な違和感を拭えなかったのは、きっとそのせいだ。

 いや、厳密にいえば理由はもうひとつある。著者が自分のことを「不肖」と記している点だ。少なくとも私の感覚からすると、「不肖は◯◯をした」という表現はどこか過剰で前時代的。でも、お年を召した方なのだろうから仕方ないなと思いきや、1947生まれとのことなので団塊世代である。"お年を召した"というには若すぎる。だとすれば、古い表現がお好きな方なのだろう。そういう人はいる。

 いずれにしても、36年間の新聞記者生活をつづったのであれば、ましてや、それが朝日新聞だとすればなおさら、いろいろな意味で期待が高まっても当然ではある。一般人には知り得ない、鋭い視点がそこにありそうだ。しかし、相応の期待感とともにページをめくり、一行目を目にしたときから、いきなり出鼻をくじかれた感があった。


 二〇〇五年三月、朝日新聞社から関連会社への異動の打診があった。テレビ朝日やBS朝日のデータ放送を技術面でサポートする日立、NEC、富士通との合弁企業と聞き、務まるかなと思ったが、受けた。定年まで二年余。記者に戻ることはない。(11ページより)


 現場を去ると書かれていることに不満があるわけではない。そうではなく、気になったのは"時間"だ。つまり定年前に異動が決まってから、すでに10年が経過していることになる。当然、語られるのは、そこからさらに昔の話。1971年の入社からの36年間がモチーフになっているので、出てくる話題はとても古いのだ。

 ただ、それらが読みものとして楽しめることもまた事実ではある。

 たとえば「昭和天皇には一度だけ間近でお会いした」との記述があったので身を乗り出したところ、「正確を期せば、二メートルと離れないところで、小一時間ほど拝した」と続くので、「それ、"会った"じゃなくて"見た"ってことじゃないかなぁ?」と、読みながらズッコケてしまった。

「夜回り」をしていたとき、ソニー盛田社長(当時)夫人から追い立てられたエピソードが披露されているが、そこで著者が盛田夫人にかけることばの非常識さたるや、いま問題視されることの多い「ゆとり社員」のそれと大差ない。まぁ、若かったということなのだろう。

 1991年8月から9月にかけて朝鮮民主主義人民共和国訪問日本記者団の一員として北朝鮮に行ったそうだが、その時点で横田めぐみさんらの拉致事件を「まったく知らなかった」と書いてしまう大胆さにも驚かされる(私の記憶が間違っていなければ、日本政府は1991年の時点で北朝鮮政府に対して拉致問題を提言している)。

 つまり簡単にいえば、ツッコミどころ満載なのだ。だから「新聞業界四方山話」的なエッセイ集としては充分に楽しめるだろう。文体も軽妙で、ユーモアも散りばめられていることだし。

 しかし問題は、これがドキュメンタリーと銘打たれている点である。

「元朝日新聞記者によるドキュメンタリー」と聞けば、読者が純粋に期待するのは記者ならではの鋭い視点であるはずだ。私もそうだったし、時代性を鑑みれば原発事故関連、吉田調書問題などについての考え方はぜひ聞きたいところである。しかし著者が10年前に社を去ったのであれば当然ではあるが、それらに触れられることは一切ない。慰安婦問題についてはページが割かれているが、それも1992年に『月刊Asahi』で自身が体験したことだけだ。

 つまり、ここに書かれているのは個人的な思い出話なのだ。見たこと、聞いたことを「こんなことがありました」と書き連ねているにすぎず、しかも自分の視野に入ることしか書いていないから、「意思」が響いてくるようなことが少ない。先輩部員が痴漢容疑で逮捕されたという話を「~らしい」「あり得ることだと思った」というような曖昧な表現で書かれても、こちらとしては、「ああ、そうですか」としかいえない。


 何の専門も持たない記者ゆえの感慨かもしれないが、朝日新聞での三十六年余の生活は、まさに「友がみなわれよりえらく見ゆる」日々だった。(中略)本書は、そんな不肖が「これだけは専門だ」と唯一言える、自分の身の回りであったことのささやかな報告だ。(332~333ページ「あとがき」より)


 上記に明らかなとおり、これはドキュメンタリーというより「きわめて個人的な回想集」である。そういう意味でタイトルに偽りはないのかもしれないが、これが第14回新潮ドキュメント賞を獲ったという理由が私にはわからない。

 そしてなぜだか、読み終えたあとには、なんともいえない寂しさが残るのだ。

<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『ブンヤ暮らし三十六年
――回想の朝日新聞』
永栄潔 著
草思社

印南敦史(書評家、ライター)

この記事の関連ニュース