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軍では効かない中東の紛争解決 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 2015年10月12日 9時54分

 この週末、筆者が勤務する千葉大学で、日本政治学会の年次大会が開催された。会員ではないのだが、開催校としてホスト側の立場を利用して、いくつかのセッションを楽しんだ。

 さすがに、「政治」関係の学会の最老舗である。安保法制を巡って揺れた今年の政治状況を反映して、関連のパネルが二つ組まれていた。ひとつは「憲法と政治」、もうひとつは「安倍政権の対外政策の検証」である。(プログラムは公開されている。登壇者がどういう顔ぶれだったかは、同学会のホームページをご覧いただきたい。)

 いずれの議論も、終了時間になっても尽きない、盛り上がったものだった。学会でいい議論とは、参加した者が個々に「私も言いたかった、私の意見はこうだ」と考えて、フラストレーションを溜めるようなセッションだと、私は思っている。特に後者のセッションはそういう類のものだった。なぜなら、議論の最後に「中東」が登場したからだ。

 安保法制の是非が議論される際に、いつも争点になる話題が、ここでも登場した。「平和主義じゃやっていけない現実が、中東や北アフリカに蔓延しているのを、どうすればいいんだ?」。この問は、下手をすると、日本も軍備を考えなきゃと考える人たちにいい口実にされることになる。安保法制の議論で、安倍首相が最後まで「ペルシア湾の機雷掃海」を強調していたのは、その例だ。

 実際、今のシリアで武装勢力と丸腰で対峙できるとは誰も思わない。中東政治をやっていると、武力に依存せざるを得ない状況がたくさんあることは、十分すぎるほどわかっている。

「だったら自衛隊の出番でしょ」というのが、安保法制推進の方々の発想なのだろうが、そこにはもう少し複雑な事情がある。むき出しの暴力が蔓延する世界だから軍の出番だ、というわけにはいかないのには、二つの理由がある。それは、今の現実の暴力の応酬が軍事をもってしても止められていない、ということであり、もうひとつはその暴力の応酬の根底にある外交の不在が改善されないことには、事態は全くよくならないということだ。

 今の中東の危機を理解するには、この二つの側面を分けて考えなければならない。前者は、シリアやイラクの一部で展開されている際限のない武力衝突にどう対峙するかの問題である。日々数千、数万の人々が家を追われ死に瀕し、難民化する途中で人道的とは程遠い扱いを受ける。身を守るのに武器がなければどうしようもない環境に置かれた人々にとっては、どんな攻撃でもかわせる盾と、どんな敵でもやっつける矛をもった助っ人なら、誰でも大歓迎だ。イラク戦争まではアメリカはいい用心棒だったが、今や期待しても動いてくれない以上、イランだろうがクルドだろうが、「イスラーム国」(IS)をやっつけてくれるなら頼るしかない、と考える。

 あるいはアサド政権こそが自分たちの命を脅かしていると考える人々(実際難民化したシリア人に対して行われたアンケートでは、ISが怖くて逃げたというよりアサド政権の攻撃を逃れて、という回答のほうが多かった)のなかには、援助を得るにはサウディなどの湾岸諸国に依存するしかないので彼らが支援する反政府側に身を投じるしかない、と考える。アサド支援側にはロシアによる空爆まで加わったが、これは誰でもいい、決着をつけてくれる軍ならだれでも歓迎する、というムードが呼び寄せたものだ。シリアだけではない、イラクやエジプトもまた、ロシアの登場を歓迎している。

 だが、次々に軍事力を投入して、事態はマシになったのか。ロシアの空爆開始から一週間強経って、ISはシリア第二の都市、アレッポに迫る勢いを見せた。同じころ、イランから派遣されていた革命防衛隊のトップクラスの司令官がシリア国内で死亡して、イランに衝撃が走った。11日にはヒズブッラーの幹部クラス司令官もまた、シリア国内で死んでいる。ロシアの参戦で雌雄に決着がつくどころか、関係国の被害はエスカレートするばかりだ。

 つまり、百戦錬磨の軍事組織が総出で介入してもなお、むしろ事態は悪化している。軍が出ていけばどうにかなる、という状況ではないのだ。

 もうひとつの側面は、このむき出しの暴力の衝突をエスカレートさせている原因に、中東地域の二極化、「新しい冷戦」状態がある、ということである。サウディアラビアやトルコといった反アサド派と、イラン、イラクのアサド支持派だ。この対立に宗派の違いが重なって、中東ではいま両者間の代理戦争が各地で勃発していることになる。シリアでの戦いの現状に決着がついたとしても、その背景にある「新しい冷戦」を処理しないことには、いつでも「冷戦」が「熱戦」になる。となると、こちらは軍の出番ではなく、域内関係をどう安定させるかという、外交の出番なのだ。

 軍をいくらつぎ込んでも埒が明かない状況と、外交が不在で根本的解決ができない状況が併存している。今の中東の危機は、軍をつぎ込みやすくすればなんとかなる、ということでは決してない。

 だが、「じゃあ何もできないままでいいのか」という反論が当然ある。無論、何かしなければならない。だが、「何かやったふり」のアリバイ作りのためだけに既存の方策にしがみつく(とりあえず空爆してみるとか、とりあえず軍を派兵してみるとか)ことは、事態をますます複雑にするばかりだ。ではどういう解決方法を国際社会はとれるのか。

 ISにせよシリア難民の問題にせよ、いまの事態は過去の例のない、未曾有の「新しい危機」である。だったら解決策も、まったく新しく考えていく必要があるのではないか。

<文頭の写真は今年5月にシリア北西部のアリハをアルカイダの下部組織ヌスラ戦線が制圧した様子 Khalil Ashawi-REUTERS>

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