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ノーベル賞、中国が(今回は)大喜びの理由

ニューズウィーク日本版 2015年10月16日 17時30分

 科学技術によって国の再活性化を図る──。ここ10年ほど、中国の指導者たちは「イノベーション立国」を合言葉のように唱えてきた。口先だけではない。政府研究開発費は13年には日本の約2倍、アメリカの4分の3近い3365億ドルに達し、今後も増える勢いだ。

 それなのに、中国からは自然科学分野のノーベル賞受賞者がいなかった(10年には民主活動家の劉暁波[リウ・シアオポー]が平和賞、12年には作家の莫言[モー・イエン]が文学賞を受賞)。独創的な考え方を重視しない教育システムや、硬直的な研究開発体制に問題があるからではないか──そんな指摘は少なくなかった。

 確かに、1957年に楊振寧(ヤン・チェンニン)と李政道(リー・チョンタオ)がノーベル物理学賞を受賞しているが、2人は中国が共産主義体制に移行する前の中華民国に生まれ、20代でアメリカに移住し、以来ずっとアメリカで研究生活を送っている。

 中国人が自然科学分野でノーベル賞を取るには、楊や李のように外国に行くしかないのか。中国人が子供を外国の大学に留学させるときも、何人のノーベル賞受賞者を輩出したかが学校選びの重要な決め手の1つになっているではないか......。

 そんな疑心暗鬼にとらわれていた中国にとって、屠呦呦(トゥー・ヨウヨウ)(84)がノーベル医学生理学賞を受賞したというニュースは、この上ない朗報となった。これは「現代中国の自然科学研究における重要な節目」であり、「中国人科学者に新たな可能性を示す」とともに、中国の研究体制に対する「疑念を払拭する」ものだと、共産党機関紙傘下の環球時報は報じた。

 楊や李と違って、屠は中国本土で教育を受け、研究者としてのキャリアも北京にある中国中医科学院で積んだ。受賞理由となったマラリアの治療法を研究し始めたのは、文化大革命の嵐が吹き荒れていた60年代だ。

 屠のノーベル賞受賞のニュースに、李克強(リー・コーチアン)首相も大興奮しているようだ。いわく、受賞は「中国の国力と国際的影響力が引き続き高まっていること」を示したと、鼻高々だ。
中国科学院の白春礼(パイ・チュンリー)院長も、屠の偉業は「中国の科学界全体にとっての誇り」であり、「中国の科学者(の研究活動)を一層刺激するだろう」と語った。

なるかイノベーション立国

 それでも屠のノーベル賞受賞は、中国の研究体制に疑問を投げ掛けたと、環球時報は指摘する。中国では伝統的に、研究者が重要な仕事をするには、大なり小なり政治家の後ろ盾が必要だと考えられている。だが、「屠は、(中国最高の研究機関で莫大な予算のある)中国科学院の会員でさえない。この事実を、よく考えるべきだ」。

 屠が初めて国際的な注目を集めたのは11年、アメリカ版ノーベル賞ともいわれるラスカー賞を受賞したときのこと。それまではほぼ無名の存在だった。

 今回の受賞について屠は、「驚いたけれど、ものすごく意外というわけではなかった」と語っている。また、この賞は「すべての中国人科学者」に与えられたものだと思っていると言う。「何十年も一緒に研究をしてきた仲間だから」

 実のところ、漢方薬に基づき、マラリアの治療薬アーテミシニンを発見する突破口を開いたのは、本当に屠なのかをめぐっては、少しばかり議論がある。74年にこの薬の有効性を最終的に証明したのは、別の中国人研究者だとの指摘もあるのだ。

 だが屠の受賞が、中国人研究者の精神的な励みになったのは確かだろう。「中国人研究者が二流ではないことが証明された」と、復旦大学国際問題研究院の沈丁立(シェン・ティンリー)副院長は胸を張った。

 環球時報は、40年前の研究にノーベル賞が贈られるということは、「他の領域でも(中国人による)ノーベル賞級の功績が既に存在し、世界的な確認や承認を待っている」だけかもしれないと期待を示した。

 これを機に、欧米諸国で中国医学に対する見方が変わり、西洋医学と同じように受け入れられることへも期待が集まっている。屠の同僚によると、アーテミシニン発見につながった研究は、4世紀の中国医学書にヒントを得たものだという。

 イノベーション立国を進める中国政府にとっても、屠のノーベル賞受賞のニュースは絶好のタイミングでもたらされた。政府は、安いモノを大量生産して輸出する経済から、独創的な技術に基づく付加価値の高い経済への移行を図っている。

 屠のノーベル賞は、独創的な研究活動を推進したい政府にとって、何よりの説得材料になりそうだ。屠自身も受賞のニュースを聞いてこう言ったとされる。「新しいものを見つけるためには、私たち科学者に独創性が必要であることの証拠だ」

[2015.10.20号掲載]
ダンカン・ヒューイット(上海)

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