内戦の嵐が吹き荒れるシリアで、ロシアがテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)掃討を名目とする空爆作戦を開始した。これは驚くべき決断とは言えない。
ロシア政府がシリア空爆のシナリオに備えていることが、初めて明らかになったのは8月半ば。ロシアの軍事顧問団がシリアを訪問し、現地の空港にロシア軍戦闘機の配備が可能かを検討していると、複数のメディアが報じたときだ。
その後、アサド政権の支配地域に位置するシリア北西部ラタキアなど、3カ所の飛行場の再建工事が行われているとも報道された。こうした情報を受けて、ロシア政府が軍事作戦の準備をしているとの観測は高まるばかりだった。
先月後半に至って、決定的なデータが登場した。シリアに派遣したロシア軍戦闘機と軍用ヘリの総数が、操縦を担当するシリア人パイロットの総数を超えている──。もはやロシア政府の意図に疑いはなくなった。
先月30日、ついにロシアはシリア空爆に踏み切った。
シリアで軍事作戦を行うという決断は、シリア内戦をロシアに都合のいい条件で終わらせるという戦略の論理的な帰結だ。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は内戦終結の在り方について、シリアの既存の政府機関や制度に基づき、政権と反体制派の「健全な」勢力が権力を分かち合う形で和平を結ぶべきだとの主張を続けている。つまりバシャル・アサド大統領の退陣を、和平交渉の前提条件とするのは絶対に認められないということだ。
ロシアに言わせれば、アサドはISISに立ち向かい、シリアを完全崩壊から救うことができる唯一の人物。それに対して欧米や多くの中東諸国は、アサドをシリア問題の解決に不可欠の要素ではなく、問題を生んだ原因そのものと見なしている。根本的に食い違う2つの見方が災いし、和平交渉は遅々として進まない。
こうした現状を変えるべく、ロシア政府は今や二重路線で事に当たる構えだ。
ロシアは今年の春以降、外交努力を強化し、欧米やペルシャ湾岸諸国をはじめとする中東の国々に、和平協定をめぐる自国の主張の受け入れを迫っている。その一方で、交渉を自らに望ましい方向へ進展させるまでの時間稼ぎとして、軍事的支援を通じてアサド政権の延命を図っている。
こうした状況を考えれば、シリアでの軍事作戦は、ロシアが中東で繰り広げるゲームの切り札になるかもしれない。その理由は3つある。
懸念は軍事作戦のコスト
第1に、ロシアの軍事行動のおかげで、アサド政権が生き延びる確率は確実に高まる。ISISなどシリア領内の過激派組織の打倒を掲げるロシアだが、シリア政府軍の援護目的での空爆を行わないと考えるのは単純過ぎると、ロシアの軍事専門家でさえ口にしている。
シリア国内の「テロ組織」や「過激派」を幅広く定義するロシアは、アメリカが支援する穏健派の反政府武装勢力、自由シリア軍(FSA)も過激派組織に分類する可能性がある。ロシア軍が最初に狙うのは、アサド政権にとって最大の脅威になっているアルカイダ系武装勢力、アルヌスラ戦線だろうとの見方も出ている。
第2に、ロシアの軍事介入により、シリアで軍事作戦を展開するほかの国々は身動きが取りづらくなった。
アサドを支援するロシアは反体制派の敵
アメリカ主導の対ISIS有志連合は昨年、シリア空爆を開始した。彼らの本当の標的はアサド政権側の拠点ではないかと、ロシアは疑っていた。今回、自国も空爆に踏み切ったことで、ロシアは有志連合を牽制することができる。
同時に、有志連合側との情報交換や作戦協力を通じて、アサド政権を「反ISIS共同戦線」の一員とするべきだとの主張を売り込み続けること、ひいてはアサドの国際的孤立を解消することが可能になる。
第3の理由は、ロシアの外交的地位が強化されていることだ。シリア問題の行方は今や、ロシア抜きでは決められない。
先月末の空爆開始直後から、ロシアと欧米の接触は盛んになった。これは単なる偶然ではない。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は先週、ジョン・ケリー米国務長官と協議を行ったが、結果にご満悦の様子だった。
ただしロシアの行動には、大きな欠陥もある。ロシアが空爆を始める前から、バラク・オバマ米大統領ら欧米の指導者と地域大国のトルコやサウジアラビアは、プーチンをシリアの和平仲介者として認めるべきか否か、ジレンマに陥っていた。
空爆開始後、ロシア政府に対する不信感は飛躍的に高まった。交渉を有利に展開したいというロシアのもくろみは今後、大きな障害に直面するはずだ。
シリア反政府勢力内の世俗派やイスラム教穏健派組織とロシアとの関係も悪化するだろう。彼らはロシアを、政権側に立って戦う敵と見なし始めている。となれば、政権と反政権派の仲介役を務めることは難しい。
ロシアが軍事作戦という重荷をどこまで担えるかも疑問だ。地上軍の派遣はないとされるが、現在の規模でシリア駐留を維持するだけでも、経済制裁やウクライナ東部での「経費」で疲弊しているロシア経済にとって大きな負担になる。作戦が数カ月どころか数年続く可能性があるとなっては、なおさらだ。
だがどうやらロシアは今のところ、正しい戦略を選択したと確信している。シリアでの軍事作戦の中止や、アサド政権寄りの姿勢の転換を求めるのは時間の無駄だ。クレムリンは中東地域のキープレーヤーの座を手にするべく、すべてを計算した上で行動を開始したのだから。
[2015.10.13号掲載]
ニコライ・コザノフ(英王立国際問題研究所ロシア・ユーラシア担当特別研究員)
ロシア政府がシリア空爆のシナリオに備えていることが、初めて明らかになったのは8月半ば。ロシアの軍事顧問団がシリアを訪問し、現地の空港にロシア軍戦闘機の配備が可能かを検討していると、複数のメディアが報じたときだ。
その後、アサド政権の支配地域に位置するシリア北西部ラタキアなど、3カ所の飛行場の再建工事が行われているとも報道された。こうした情報を受けて、ロシア政府が軍事作戦の準備をしているとの観測は高まるばかりだった。
先月後半に至って、決定的なデータが登場した。シリアに派遣したロシア軍戦闘機と軍用ヘリの総数が、操縦を担当するシリア人パイロットの総数を超えている──。もはやロシア政府の意図に疑いはなくなった。
先月30日、ついにロシアはシリア空爆に踏み切った。
シリアで軍事作戦を行うという決断は、シリア内戦をロシアに都合のいい条件で終わらせるという戦略の論理的な帰結だ。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は内戦終結の在り方について、シリアの既存の政府機関や制度に基づき、政権と反体制派の「健全な」勢力が権力を分かち合う形で和平を結ぶべきだとの主張を続けている。つまりバシャル・アサド大統領の退陣を、和平交渉の前提条件とするのは絶対に認められないということだ。
ロシアに言わせれば、アサドはISISに立ち向かい、シリアを完全崩壊から救うことができる唯一の人物。それに対して欧米や多くの中東諸国は、アサドをシリア問題の解決に不可欠の要素ではなく、問題を生んだ原因そのものと見なしている。根本的に食い違う2つの見方が災いし、和平交渉は遅々として進まない。
こうした現状を変えるべく、ロシア政府は今や二重路線で事に当たる構えだ。
ロシアは今年の春以降、外交努力を強化し、欧米やペルシャ湾岸諸国をはじめとする中東の国々に、和平協定をめぐる自国の主張の受け入れを迫っている。その一方で、交渉を自らに望ましい方向へ進展させるまでの時間稼ぎとして、軍事的支援を通じてアサド政権の延命を図っている。
こうした状況を考えれば、シリアでの軍事作戦は、ロシアが中東で繰り広げるゲームの切り札になるかもしれない。その理由は3つある。
懸念は軍事作戦のコスト
第1に、ロシアの軍事行動のおかげで、アサド政権が生き延びる確率は確実に高まる。ISISなどシリア領内の過激派組織の打倒を掲げるロシアだが、シリア政府軍の援護目的での空爆を行わないと考えるのは単純過ぎると、ロシアの軍事専門家でさえ口にしている。
シリア国内の「テロ組織」や「過激派」を幅広く定義するロシアは、アメリカが支援する穏健派の反政府武装勢力、自由シリア軍(FSA)も過激派組織に分類する可能性がある。ロシア軍が最初に狙うのは、アサド政権にとって最大の脅威になっているアルカイダ系武装勢力、アルヌスラ戦線だろうとの見方も出ている。
第2に、ロシアの軍事介入により、シリアで軍事作戦を展開するほかの国々は身動きが取りづらくなった。
アサドを支援するロシアは反体制派の敵
アメリカ主導の対ISIS有志連合は昨年、シリア空爆を開始した。彼らの本当の標的はアサド政権側の拠点ではないかと、ロシアは疑っていた。今回、自国も空爆に踏み切ったことで、ロシアは有志連合を牽制することができる。
同時に、有志連合側との情報交換や作戦協力を通じて、アサド政権を「反ISIS共同戦線」の一員とするべきだとの主張を売り込み続けること、ひいてはアサドの国際的孤立を解消することが可能になる。
第3の理由は、ロシアの外交的地位が強化されていることだ。シリア問題の行方は今や、ロシア抜きでは決められない。
先月末の空爆開始直後から、ロシアと欧米の接触は盛んになった。これは単なる偶然ではない。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は先週、ジョン・ケリー米国務長官と協議を行ったが、結果にご満悦の様子だった。
ただしロシアの行動には、大きな欠陥もある。ロシアが空爆を始める前から、バラク・オバマ米大統領ら欧米の指導者と地域大国のトルコやサウジアラビアは、プーチンをシリアの和平仲介者として認めるべきか否か、ジレンマに陥っていた。
空爆開始後、ロシア政府に対する不信感は飛躍的に高まった。交渉を有利に展開したいというロシアのもくろみは今後、大きな障害に直面するはずだ。
シリア反政府勢力内の世俗派やイスラム教穏健派組織とロシアとの関係も悪化するだろう。彼らはロシアを、政権側に立って戦う敵と見なし始めている。となれば、政権と反政権派の仲介役を務めることは難しい。
ロシアが軍事作戦という重荷をどこまで担えるかも疑問だ。地上軍の派遣はないとされるが、現在の規模でシリア駐留を維持するだけでも、経済制裁やウクライナ東部での「経費」で疲弊しているロシア経済にとって大きな負担になる。作戦が数カ月どころか数年続く可能性があるとなっては、なおさらだ。
だがどうやらロシアは今のところ、正しい戦略を選択したと確信している。シリアでの軍事作戦の中止や、アサド政権寄りの姿勢の転換を求めるのは時間の無駄だ。クレムリンは中東地域のキープレーヤーの座を手にするべく、すべてを計算した上で行動を開始したのだから。
[2015.10.13号掲載]
ニコライ・コザノフ(英王立国際問題研究所ロシア・ユーラシア担当特別研究員)