少年と犬の物語といっても、素直な愛らしさや感動に包まれた映画ではないのが『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』。昨年のベネチア国際映画祭で審査員特別賞を獲得したトルコ映画で、日本公開中だ。
11歳の主人公アスランは友達からのけ者にされ、好きな女の子には冷たくされ、学校で演じる「白雪姫」では狙っていた王子様役を村長の息子に取られてしまう。アスランはある日、闘犬で破れて瀕死となったシーヴァスを手当てし、屈強な犬に育て直すのだが......。
アスランの葛藤と成長、乾いた大地の光景と暴力の無意味さが心に残る。闘犬の場面は非常に現実味があり、トルコでは上映中に抗議のために席を立つ人もいたほどだとか(実際にはどの犬も傷付けられていない)。カアン・ミュジデジ監督(35)に話を聞いた。
――主人公アスランにはあなた自身が投影されている?
もちろん私の子供時代とか、経験したあらゆることがそれぞれのキャラクターや作品の中に映っている。それはアスランだけでなく、もう少し残酷で悪い登場人物にも、犬や馬にも投影されている。
――犬にも? 負けても立ち上がるようなところだろうか。
そうだね。例えば私は映画を勉強したくてベルリンに移住したが、映画学校への入学が認められなかった。自分はまったく価値のない人間で、もう映画を撮ることもできないのではないかと思って絶望的な気分になった。でも、そのときにその学校に入学した友人もいるが、彼らにはまだ監督作品がない。
――以前に闘犬についてのドキュメンタリーも撮っている。残酷な闘犬に引かれるのはなぜか。
この映画の中には国のシステムというか、国の構造があると思っている。劇中では兵士が、違法行為である闘犬に目をつぶる場面がある。つまり観客は違法な物との接し方を目にするんだ。
空手やボクシングといった合法的な闘いでは、違法行為を許している国、残酷な世界、男社会、それに対する子供の気持ちや動物たちの状況とか、そこで起きているいろいろな問題を表現できなかった。
――女性の登場人物は、アスランの同級生のアイシャだけだが。
確かにここには女性の存在がない。でも存在しないことが、その必要性を感じさせることがある。女性が見えない、こういう社会はなんてひどいんだと思わせる映画になったと思う。アイシャも子供であって女性ではない。
役者が演じているものは、良い役と悪い役に大別できる。特に大人の男たちはみんな悪者で、動物と子供たちは良い役。宮崎駿監督の『もののけ姫』を思い出すかもしれない。
――トルコは広い国だが、舞台となったアナトリア地方に独特の文化というのはあるのか。
トルコには中部、黒海地方、地中海地方などいろいろな地方があり、それぞれ文化や習慣は違ったりする。日本みたいにね。ただ、私がこの映画で土台としているのは人間の気持ちや感覚。それは地方や国によって違うものではない。人間は同じ状況であれば、同じような感情を持つ。
アスラン(中)は負け犬だったシーヴァスを助け、かけがえのない関係を築いていく ©COLOURED GIRAFFES
もちろんこの地方で撮った理由はある。犬と馬と大自然、暴力社会や男社会の冷たさを表わすような乾いた色合いなど、この映画のストーリーや構想に合う特徴があるから。これがエーゲ海地方なら、海があってラクダがいたりする。
自分がよく知っている場所で映画を撮りたかったというのもあるね。私はアンカラ生まれだが、家族はアナトリア地方の出身。撮影をしたのは私の祖父母が暮らしていた村で、夏休みによく遊びに行った。
――アスラン役のドアン・イズジは演技経験がない。プロの子役は使わないと最初から決めていた?
脚本を書いたときからそう思っていた。この映画ではリアリティと動物の自然な姿がとても大切だった。動物のワイルドさを描きたかったから、ちゃんとした訓練を受けた子役でなく、しかもその地方で暮らしている人間を選んだ。リアリティは周囲の環境や色合い、光、太陽、子供や動物の自然な姿など、そのすべてが一体化して表現されるものだ。
――闘犬の場面は、目を背けたくなるほどリアルだった。
以前にドキュメンタリーを撮ったときにいろいろな犬の闘い方を見たが、犬の大きさや体重によって出す声や音は全然違う。だから闘いの場面ではその現場の音声は使わず、体重別に分類して記録した犬の声を後から合成した。先ほども言ったが、リアリティを表現するには声も明かりもカメラの動きもそれに合ったものにしなければならない。
ある場面では犬にカメラをわざとぶつけた。「ミスでは?」と思えるかもしれないが、わざとやったんだ。いかに現実味のある表現ができるかを考えてカメラを動かして、その場面が生まれた。
――あなたはカフェやブランドなども経営している。映画作りに影響することは?
いろいろな人々と接する中で得たことが、もちろん映画の中に反映されている。
もう1つ大きいのは、経済的な自立を支えてくれること。映画はたくさんのお金が必要な芸術だから。私はスポンサーからの依頼で映画を作っているわけではない。自分が好きなように、撮りたいテーマで映画作りができることは監督にとって大事なことだ。
大橋 希(本誌記者)
11歳の主人公アスランは友達からのけ者にされ、好きな女の子には冷たくされ、学校で演じる「白雪姫」では狙っていた王子様役を村長の息子に取られてしまう。アスランはある日、闘犬で破れて瀕死となったシーヴァスを手当てし、屈強な犬に育て直すのだが......。
アスランの葛藤と成長、乾いた大地の光景と暴力の無意味さが心に残る。闘犬の場面は非常に現実味があり、トルコでは上映中に抗議のために席を立つ人もいたほどだとか(実際にはどの犬も傷付けられていない)。カアン・ミュジデジ監督(35)に話を聞いた。
――主人公アスランにはあなた自身が投影されている?
もちろん私の子供時代とか、経験したあらゆることがそれぞれのキャラクターや作品の中に映っている。それはアスランだけでなく、もう少し残酷で悪い登場人物にも、犬や馬にも投影されている。
――犬にも? 負けても立ち上がるようなところだろうか。
そうだね。例えば私は映画を勉強したくてベルリンに移住したが、映画学校への入学が認められなかった。自分はまったく価値のない人間で、もう映画を撮ることもできないのではないかと思って絶望的な気分になった。でも、そのときにその学校に入学した友人もいるが、彼らにはまだ監督作品がない。
――以前に闘犬についてのドキュメンタリーも撮っている。残酷な闘犬に引かれるのはなぜか。
この映画の中には国のシステムというか、国の構造があると思っている。劇中では兵士が、違法行為である闘犬に目をつぶる場面がある。つまり観客は違法な物との接し方を目にするんだ。
空手やボクシングといった合法的な闘いでは、違法行為を許している国、残酷な世界、男社会、それに対する子供の気持ちや動物たちの状況とか、そこで起きているいろいろな問題を表現できなかった。
――女性の登場人物は、アスランの同級生のアイシャだけだが。
確かにここには女性の存在がない。でも存在しないことが、その必要性を感じさせることがある。女性が見えない、こういう社会はなんてひどいんだと思わせる映画になったと思う。アイシャも子供であって女性ではない。
役者が演じているものは、良い役と悪い役に大別できる。特に大人の男たちはみんな悪者で、動物と子供たちは良い役。宮崎駿監督の『もののけ姫』を思い出すかもしれない。
――トルコは広い国だが、舞台となったアナトリア地方に独特の文化というのはあるのか。
トルコには中部、黒海地方、地中海地方などいろいろな地方があり、それぞれ文化や習慣は違ったりする。日本みたいにね。ただ、私がこの映画で土台としているのは人間の気持ちや感覚。それは地方や国によって違うものではない。人間は同じ状況であれば、同じような感情を持つ。
アスラン(中)は負け犬だったシーヴァスを助け、かけがえのない関係を築いていく ©COLOURED GIRAFFES
もちろんこの地方で撮った理由はある。犬と馬と大自然、暴力社会や男社会の冷たさを表わすような乾いた色合いなど、この映画のストーリーや構想に合う特徴があるから。これがエーゲ海地方なら、海があってラクダがいたりする。
自分がよく知っている場所で映画を撮りたかったというのもあるね。私はアンカラ生まれだが、家族はアナトリア地方の出身。撮影をしたのは私の祖父母が暮らしていた村で、夏休みによく遊びに行った。
――アスラン役のドアン・イズジは演技経験がない。プロの子役は使わないと最初から決めていた?
脚本を書いたときからそう思っていた。この映画ではリアリティと動物の自然な姿がとても大切だった。動物のワイルドさを描きたかったから、ちゃんとした訓練を受けた子役でなく、しかもその地方で暮らしている人間を選んだ。リアリティは周囲の環境や色合い、光、太陽、子供や動物の自然な姿など、そのすべてが一体化して表現されるものだ。
――闘犬の場面は、目を背けたくなるほどリアルだった。
以前にドキュメンタリーを撮ったときにいろいろな犬の闘い方を見たが、犬の大きさや体重によって出す声や音は全然違う。だから闘いの場面ではその現場の音声は使わず、体重別に分類して記録した犬の声を後から合成した。先ほども言ったが、リアリティを表現するには声も明かりもカメラの動きもそれに合ったものにしなければならない。
ある場面では犬にカメラをわざとぶつけた。「ミスでは?」と思えるかもしれないが、わざとやったんだ。いかに現実味のある表現ができるかを考えてカメラを動かして、その場面が生まれた。
――あなたはカフェやブランドなども経営している。映画作りに影響することは?
いろいろな人々と接する中で得たことが、もちろん映画の中に反映されている。
もう1つ大きいのは、経済的な自立を支えてくれること。映画はたくさんのお金が必要な芸術だから。私はスポンサーからの依頼で映画を作っているわけではない。自分が好きなように、撮りたいテーマで映画作りができることは監督にとって大事なことだ。
大橋 希(本誌記者)