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問題だらけのミャンマー総選挙

ニューズウィーク日本版 2015年10月30日 15時19分

 チョー・ワナ・ソーの顔は不安で引きつっていた。40代の彼は、ミャンマー(ビルマ)の最大都市ヤンゴン(ラングーン)で新聞販売店を営んでいる。話している間も額の汗を拭い、そわそわと落ち着かない。

 ヤンゴンの街は真夏の熱気と湿気に容赦なく覆われていた。彼の表情が冴えないのは、この暑さのせいなのか。それとも国の将来を案じてのことか。

 11月の総選挙に何を期待するかと尋ねると「騒ぎにならないことを祈るだけ。緊張が高まっている」と、力なく答えた。それから彼は、新聞の1面にあった学生デモの写真を指さした。「何か事が起きたら......」と、床に散らかった新聞に目をやり、声を潜める。「うちの店もどうなることか」

 11月8日に予定される総選挙には楽観論がある一方、選挙に絡んで問題が起きればミャンマーの民主化が後退しかねないと懸念する声もある。国民は過去の経験から、支配層を信用できないことが骨身に染みている。

 特にそう思い知らされたのが、90年の総選挙だ。ミャンマーでは比較的自由で公正に行われた最後の選挙と言われ、アウン・サン・スー・チーが結成した国民民主連盟(NLD)が約80%の議席を獲得。だが軍事政権は選挙結果を無効とし、スー・チーの自宅軟禁を継続した。

 62年の軍事クーデターから約半世紀の間、ミャンマーは「ビルマ式社会主義」と呼ばれる独裁体制の下で発展が滞った。孤立主義を改め、改革が本格化したのは、ほんの4年前だ。

 ミャンマーの開放路線を、バラク・オバマ米大統領は外交の勝利と位置付けた。オバマはこれを外交がもたらした「クーデター」と考え、ミャンマーの国内情勢の変化に応じて経済制裁を調整するアメリカの「アメとムチ」政策の成果だとした。12年11月、オバマは米大統領として初めてミャンマーを訪問した。

 いまミャンマー政府は、自由で公正な選挙の実施を約束している。民主主義への移行を一層進めるのか、それとも支配層が国家を食い物にする軍事国家にとどまるのかが試されている。

 議会の上下両院にはいくつもの政党から立候補者がいるが、最も注目を集めているのは主要2政党。91年にノーベル平和賞を受賞したスー・チーが党首を務めるNLDと、テイン・セイン大統領が率いる与党・連邦団結発展党(USDP)だ。

投票できない少数民族も

「間違いなく重要な選挙になる。90年以降で最も公正で自由な総選挙になりそうだ」と語るのは、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの主任研究員としてヤンゴンで活動するデービッド・マティソン。「だが、それを阻む大きな要因がいくつかある」。08年に制定された憲法が改正されていないことがその1つ。この憲法は旧軍事政権が起草し、大型サイクロン(熱帯低気圧)「ナルギス」に襲われた直後の混乱に乗じて成立した。

 最も議論の多い条文の1つが、憲法改正に全議員の75%の賛成が必要と定めた436条だ。「この選挙を『75%選挙』と呼びたい。上下両院それぞれの議席の25%を軍人議員が占めるよう定められているからだ」と、マティソンは言う。「軍事政権は自分たちを憲法の守護者だと言う。一切の変更を認めないという方針を明確にしている」

 その証拠に8月、USDPは突然、党首で大統領の有力候補だったシュエ・マンを解任した。現行憲法を維持したい党内主流派と対立していた人物だ。

 この憲法で問題になっているのは、外国籍の配偶者や子供がいると大統領になれないという条項だ。スー・チーの亡夫も2人の息子もイギリス人国籍で、この条項は彼女が大統領になれないようにする目的で設けられたとも批判される。

 当のスー・チーは自信にあふれているようにみえる。ヤンゴン北郊で行われた決起集会では群衆に向かって、「はっきり言っておこう。誰が大統領になろうと、私はNLD政権のリーダーになる」と語った。

 今回の総選挙が自由で公正なものになりそうにない要因はほかにもある。多くの市民が投票できないのだ。

 ヤンゴン大学政治学大学院のミャット・トゥー院長によれば、官僚主義の弊害があるほか、有権者登録や投票を監視する選挙管理委員会も人手が不足している。「有権者名簿での名前の重複や無記載の話をよく耳にする。同じ名前が5回も出てくる場合もあると聞く」

 ミャンマー国境のいくつかの地域ではまだ暴力がはびこり、独立を求める少数民族の武装勢力との戦いは67年目に突入した。2年にわたる和平交渉の努力も、合意したのは参加した15の民族組織のうち8つだけだった。投票を認められない集落は600近くに上るだろう。

台頭した「仏教過激派」

 一方、西部ではイスラム系少数民族のロヒンギャ族への迫害が続き、政府が民政移管を真剣に考えているかどうかが疑問視されている。政府はロヒンギャ族をバングラデシュ人だとして、国民に与えられる権利の多くを認めていない。そのため約14万人が住んでいた場所を追われ、選挙権も与えられていない。

 オバマはミャンマーの政治改革の「勇気あるプロセス」を称賛する一方で、「イスラム教徒を迫害すれば成功しないだろう」と警告している。
今年に入ってロヒンギャ族の難民危機が起きた際、スー・チーをはじめとする政治エリート層は沈黙を守った。現在、ロヒンギャ族は一層の迫害に直面している。「民族と宗教を保護する同盟」(地元では「マバタ」と呼ばれる)など仏教徒のナショナリスト集団が反イスラム感情をたき付けているのだ。

 マバタを率いるのは強硬派の僧侶たち。仏教徒が圧倒的多数のミャンマーで、宗教間の緊張をあおっている。彼らは昨年、「民族と宗教の保護」をうたう反イスラム的な4法案を提出。すぐに議会を通過した。
「(政府は)傍観していただけで、(マバタの台頭を)放置し、今ではその主張を自分たちのために利用している」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのマティソンは言う。

 このところ国営メディアは、政府高官による高位の僧侶への喜捨を頻繁に報じている。マバタも支持者に対し、NLDに投票しないよう働き掛けている。

 15年に及ぶ自宅軟禁を強いられたスー・チーは支持者に対し、和解に向けて努力すると語った。「過去とは教訓を与えてくれるもの」と、彼女は言った。「怒りや恨みで身動きが取れないようにするものではない」


[2015.10. 3号掲載]
アダム・ラムジー

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